当然ながら、何十年もの間に仕事上の酷い失敗を何度かしている。自分のせいであったり、結果としてそうなってしまった理不尽なものもある。
ある金融機関の新規出店プロジェクトに関わっていた時、こともあろうにその出店予定地の地主を激怒させた。事務所にいた女の子の電話応対が無礼だったと、たったそれだけのことだったが、地主は人の道に反すると激怒した。いま思えばナーバスな土地交渉のさなかである。彼もナーバスになっていたのだろう。
詫びたが収まらずもう土地を貸さぬというところまでこじれて、担当者の僕は震え上がった。まだ20代だった。
ついには何とその金融機関の支店長と一緒に地主を訪ね、玄関先で長時間粘り、ようやく中に入れてもらい、共に畳に頭を擦り付ける羽目になった。
「このクソジジイが」と僕は怒りに燃えていたが、横で共に頭を擦り付ける支店長は一言も僕のことも、事務所の女の子のことも責めなかった。間にたった代理店の担当者も共に黙って頭を下げてくれた。
地主の怒りはようやく収まった。電話一本の恐ろしさを知った。
「こういうこともあるよ」
と落ち込みまくる若い自分に対して、ニコリと笑った支店長の笑顔がいまでも忘れられない。彼こそ理不尽と屈辱に震えていたろうに。
そればかりかその日は、致命的とも言えるミスをした我々を飲みに誘ってくれて遅くまで盛り上がった。やがて支店は無事にオープンしたが、バブル後の混乱期を経てその金融機関は今はない。
だが。いまでもその駅に降りるたびにあの日の遠い記憶を思い出す。いま、自分のために横で頭を下げてくれる年上の人は殆どおられなくなった。それどころか、おそらく誰かのために頭を下げたり、嫌なことを引き受ける場面が増えたと思う。
理不尽だと憤るとき、誰かのために人の嫌がることをしなければならない時、あの日の支店長のことを思い出す。
どんな時も逃げるなと彼はきっと教えてくれた。そう勝手に僕は信じ込んでいる。
※昨日ちょっと厳しいシーンがあったのでそんなことをちょっと思い出して書いてみた。
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