もちつけ。真性引き篭もり氏。(3)------ちゃっかりRSSリンク集
真性引き篭もり氏が、今のところ住み慣れたゲームの世界に戻った(ように見える)こともあり、この話題関連のリンク集をつくる余裕が生まれてきたダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングであった。
※カタカナ表記の時は、「ビッグバン」でいいと思うぞ。引き篭もり氏。
転んでもただでは起きずに、このことから物事を発展的に・・見苦しいか?悪かったよ。
ともかく以下を参照のこと
↓
本田美奈子: アメイジング・グレイス (DVD付)
移動途中の銀座線の車内の空間がふいに色相を変え、彼女の声が響き渡る。あのころはぎりぎりまで、何か折れてしまいそうな繊細さと痛々しさすらあった、振り絞るような彼女の声は、いつの間にか少し穏やかな丸みを帯びた大人の女性の歌声に変わっていた。僕は長い間、この歌声を忘れていた。
生きる者は死んだ者に煩わされてはならない。
そんな言葉は嘘だ。
僕はあなたの「ミス・サイゴン」を生涯忘れない。
本田美奈子の死-----僕は「ミス・サイゴン」を忘れない
(★★★★★)
レニ・リーフェンシュタール: Triumph of the Will / (意志の勝利)
ナチズムの強烈な存在感と、貫かれた徹底した様式美である。ナチズムの善悪について考える余裕もなく、観客はレニの卓越した、しかも隙のない演出手法に息を飲む。記事はこちら。
(★★★★★)
西 加奈子: さくら
さくらという雑種の犬と、ある家族の苦難の、そして再生の物語。なぜだろう。人間の悲しいところや柔らかいところが、くっきりと浮かび上がる。後半の泣かせパワーはセカチュウの比じゃないよ。記事はこちら。
(★★★★★)
ロバートキャパ: キャパ・イン・ラブ・アンド・ウォー
20世紀を駆け抜けた世界でもっとも有名な報道写真家、ロバート・キャパの半生を、写真、ニュース映像、日記、著名人のインタビューなどで構成したドキュメンタリー。キャパの知られざる素顔や恋愛観、人生観に触れながら彼のメッセージが伝わってくる。
素晴らしいドキュメンタリーです。
サイト関連記事は
ロバートキャパのこと---キャパ・イン・カラー (★★★★★)
柳田 邦男: 犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
ぎりぎりの家族状況の中で自死した息子への想い。脳死や臓器移植へのアプローチは鬼気迫る。タイトルはタルコフスキーの映画「サクリファイス」から。 (★★★★★)
こうの 史代: 夕凪の街桜の国
原爆体験を伝えていくということの、新しい世代としての一つの形を示し、そのことが希望を示していると思う。物語の悲しみの深さにも関わらず。
サイトでの関連記事は
「夕凪の街 桜の国」----穏やかでスローな悲しみ
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)-(4) (★★★★★)
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真性引き篭もり氏が、今のところ住み慣れたゲームの世界に戻った(ように見える)こともあり、この話題関連のリンク集をつくる余裕が生まれてきたダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングであった。
※カタカナ表記の時は、「ビッグバン」でいいと思うぞ。引き篭もり氏。
転んでもただでは起きずに、このことから物事を発展的に・・見苦しいか?悪かったよ。
ともかく以下を参照のこと
↓
うーん。セカンドエントリーがあがったようである。
「JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。」とは何か。
#電波系を意識的に装いながら前記事にも、マジレスも求むという姿勢のようだから、少しマジレス度のレベルを上げるよ。
この中で真性引き篭もり氏は前回のエントリーの趣旨を解説し、それは次の3つであるとしている。
>・優先度1。「個人→大衆」(僕→ハッカー)
無料のインターネットを構築している人間へ敬意を示す事。
>・優先度2。「大衆→大衆」(無料に感謝→無料に当然)
インターネットは無料が当たり前だと考えている人達への嘲笑。
>・優先度3。「個人→個人」(僕→BigBang)
対象者(BigBang)へメッセージを伝える事。
さらに、これに加え
>・優先度0。「大衆→個人」(読者→僕)
著者(真性引き篭もりhankakueisuu)は毒電波だ。
を前記事に「非常に強く被せ」ることにより、「読み流せば、これのみが伝わるように書いた」のだという。
Continue reading "もちつけ。真性引き篭もり氏。(2)-------ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングの反論" »
JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。だって?
この記事に驚いちゃったよ。
真性引き篭もり氏。
言ったよ。確かに言った。
君がガ島さんに関する歴史的な大批判を展開しているときに、ガ島さんは幸せだって。
もしも自分が槍玉にあげられたら、しばらくは落ち込むけれどきっと君に感謝するだろうって。
確かに言った。
でも、君みたいに才気ほとばしるブロガーが、まさか僕のために本当にこんな長文を書いてくれるとは思わなかった。これじゃあ、当分アクセスが増えちゃって、せっかくしみじみとした自分史でも書こうかと思っていたのが台無しじゃないか。
確かにネットには、かなりのめり込んでいるかもしれない。
以前に比べて、とにかく席についている=机の端末に向かっていることが感謝されるような職場環境に変化したこともあり、ブログを読んだり書いたりする時間が、じわじわと増えている。ブログも始めて1年余り。アクセスやコメントもずいぶん増えた。いかん、これでは早いうちに引退しなければならないかもしれない。人のことをあれこれ言っているうちに自分が先に「終焉」してしまうと危惧する。
かといって、現在あちこちで展開されているブログvsオールドメディアのような対立二元論には、あらゆる意味であまり関心がない。なぜなら、この世のあらゆる出来事は、先に伝達する媒体を決めてから生じるわけではない。
いわば星雲のように、自分達の世界に混沌と浮かび散っているのが現象であり出来事であり、それを一つ一つ、雲を掴むように思念で捉えることが、伝える必死の試みがあればいい。その手段など本来どうでもいい。
と言いながら、こんな記事も書いてしまったが、これは個人の乏しい小さな経験を(小さなと敢えて言わせてもらう)、状況に乱暴に昇華しようとすることを、見るに見かねたからだ。きっと僕は彼の若さを見かねたのかもしれない。
それというのも。
Continue reading "Time is on my side(1)-----時は今でも味方しているのか" »
ネットで反響を呼んだ記事「ブログの終焉」を書いたものの、「やはり終わらない」ガ島さんが、こう述べて日経BPへ誘導しておられる。
詳細は日経BPの「ブログの終わりと始まり ブログはオルタナティブなマスメディアになり得るのか」をご覧ください。このところ盛り上がっていた実名、匿名論争にも少し触れています。キーワードは「リアル」です。
ちょうど日経BPの原稿を書き終えたときに、Japan Media Reviewの記者から「日本のブログは数が増えているのに、なぜ政治やマスコミに対して影響力がないのか」「日本のブロガーは社会に対してどのような役割を果たせるのか」という質問がメールで届きました。日経BPの原稿はこの質問に対するひとつの回答であり、議論の出発点になるのではないかと考えています。
そして・・
すさまじい雨と風。
「驟雨」という言葉を思い出す。どんな字だったろう。
いや、そんな場合ではない。
ああ、もう少し早くバスに乗っていればよかった、
などと思いながらずぶぬれになって走る。
なんていじましく、つまらないことを考えているんだろう。
雨ぐらいで。
やっとたどり着いた店の軒先で、空を仰ぐ。
気がつけばそこかしこで、不安そうに人が
急に暗く荒れ狂い始めた空を見上げている。
RSSリーダーがそもそもなんなのかは、わかっているつもりだし、自分も使っているから文句は言えないんだけれど、それにしても
http://1470.net/bm/siteinfo/54438
↑
ここを見たら驚いちゃったよ。
こんな風にインデックス化されて、アマゾンのブックリストも・・それプラスサイト管理者側の広告も挿入表示されていて・・なんだかすごいねー。ちゃっかりRSSと言ったら言い過ぎかもしれないけれど。
#アフィリエイトなんて、かすめとりっぽくない?ありかあ・・?こういうの。
《5/27加筆》
この記事に対して、当該サイトblogmapのishinaoさんからTBをいただき、サイト趣旨の説明をいただきました。blogmapのユーザーの方からも擁護論をいただきました。
また、私が問題にしていたアフィリエイトのID書き換えについてはishinaoさんが早くも対処していただいたということです。確認しましたので報告します。ishinaoさん、すばやい対応、感謝です。
元来、クレームをつけるというよりも、趣旨を聞いてみたいという希望でしたから、ishinaoさんとも連絡をとってから記事を書くべきだったのかもしれません。それ以前に「かすめとり」という表現を安直に使ったことをお詫びします。
この件についての考え方はまたどこかで書きたいと思いますが、blogmapのユーザーの方もずいぶんここを見ているようですから、急ぎコメントしておきます。
《5/31加筆修正》
この件だけれど、当初のこちらの軽い気持ちを越えて、何だかそこここで、大きな広がりになってしまった。ブログの電波力・・じゃなかった伝播力を甘く見ていた自分の初動ミスだと受け止めているが、そんなことを今更言ってもしょうがない。その後の経緯をまとめるリンク集を作ったので、参照して欲しい。
「ガ島通信」さんは、その生き様(古いね。表現が)が魅力的であったことと、そのブログの語り口が、メディアの中に生きるものとして、ある種の「誠実さと率直さ」が溢れるもものであったということで、多くの人の関心を集め支持された。と僕は考えている。
ガ島さんが、会社を退職され、日経BPに執筆されるようになってから、ある種の「客離れ」が起き、こうした批判も見受けられるようになった。コメント欄にも、彼の才能の枯渇を言い立てる発言も増えた。皮肉にもガ島さんの社会的認知度が上がるにつれて、こうした批判的な状況はネットではむしろ増えていった。 これも有名税。大変だね・・ などと「遠景から」見ていたが、今回のこの「ブログの終焉」という記事の表題を見て、この言葉が頭にぽんと降りてきてしまった。
終焉を言う者から順に終焉が訪れる
小説「終戦のローレライ」を全身でのめりこんで読んだ。ただ事ではないその重量感。たぶんこの本のことは別に記事で書くけれど、パウラと征人の人生に打ちのめされ、すっかり頭は憂国ムードである。結局BigBanは単純なのだろうか。いや、そんなことはない。この時節に憂国を感じないものがあるものか。(一杯いるか)
昨日のエントリーでは、国家の最高指導者に向かって無礼千万、バカ呼ばわり。その上あろうことか、賢くも陛下まで引きずり出したけれど、確かに日本も周辺国に対しては苦労している。靖国や反日デモの例を引くまでもなく、多くの人のエントリーに、日に日に苛立ちの色が濃くなってきていることは事実。ネットでは、親愛なる隣人国家に向かって極東3・・国家などと大変に失礼なことを書いている手合いがいるけれど、そんなことは言うものじゃない。彼らをこんな風にしてしまった責任は、やはり日本にもあるのだ。それに人だって、国だって生まれてくる場所は選べない。(・・・と僕が言うと洒落にならない)
「横丁のオヤジ」を軽んじるわけじゃないが、「横丁のオヤジ」が日本国の内閣総理大臣だったら大問題だ。
首相の靖国参拝の問題点については、ここですでに長々と書いた。
これでも非力な者なりに、ずいぶん力を入れて書いたつもりであり、主たる論点も織り込んだつもりなので、もう同じことは繰り返したくは無い。少なくとも、わが国の総理の国会答弁よりは、数百パーセントは、私のほうが真面目に論じているつもりである。
それほどかように、衆院予算委員会における小泉氏の靖国参拝に関する答弁は、無残、無意味、無教養、無誠意としか言いようがない。
腹が立つので書き捨てる。書き捨てでない記事を読んでくれる人は上のリンクを辿ってくれ。
(前記事) 北朝鮮があなたのブログを狙っている?----kpドメイン接続事情
このテーマについて前回何とも中途半端な記事を書いてしまったが、いろいろ調べてみたところ、ちょっと面白いものをみつけた。
北朝鮮市民と海外との電子メールを仲介するサービス「実利銀行」が、2001年10月8日からサービスを開始しているという。ここから日本語サイトが用意されており、
サイトに行くと
実利銀行は朝鮮民主主義人民共和国との通信において実利を保障してあげるでしょう。
(ハア?)
という大書された珍妙なコピーが目につく。
電波の入ったタイトルだと思わないでくださいね。(笑)
実は、中国朝鮮関連記事で、この人のことを書いたのだが、これがヤフーで個人名検索すると極めて上位にランクされているため、最近は圧倒的にこのワードで検索して当サイトに来る方が多い。こうなると心配になる。実は北朝鮮国内でもウォッチしていて、「反共和国的なブロガー」として僕をマークしていないだろうか。(笑)金正日が、「反共和国ブロガー」ワースト1に、僕を指名し拉致の計画を立てないと誰が言えよう。何があってもおかしくない世の中である。そうでしょう?(ないない?)
#何しろ金正日はネットサーファーとしても知られていて、2000年,当時のアメリカのマデレーン・オルブライト国務長官が平壌を訪問した際,長官は金総書記から電子メールのアドレスを尋ねられたという話がある。
「執着に執着しない」などと人には立派なことを言ってしまったが、
内実は執着ばかり。
いや、間違えた。「執着」に「執着」ばかり。
今日はこの夕暮れの小雨が降る中、
人を「信じること」について絶望的になっている。
誰かにこっぴどく裏切られたわけでもない。
むしろ全ての人を限りなく裏切り続けているのは自分のほうだろう。
だとすれば、この湧き上がる自己嫌悪は何だろう。
権威を信じないこと
国家を信じないこと
組織を信じないこと
宗教を信じないこと
メディアを信じないこと
社会を信じないこと
これがお前の性根だと言われれば、喜んで、いやむしろ胸を張ってその謗りを受けよう。
あらゆる意味で過ちのない人間はいないし、その人間が作ったことを考えれば、過ちのない国も組織もない。全てのシステムは、人がその原初に関与したという意味で、あらかじめ過ちを内在している。
そうであるなら、私達は自分の過ちと、そして他者が犯す過ちの両方を、
あらかじめ織り込んで生きていくべきだろう。
もしもこの世が戦いに満ちているとしても、全ての間違いを認めずに、つまり「前線」を一歩も後退させずに生きていくことは厳しいし、そしてまた硬直や不合理の極みでもある。どうしたら自分のあやまちを認めずにできるかとごまかしたり、あるいは逆に開き直ったり凄んだりすることに時間を費やすくらいであれば、全面的にではなくても、局地的にはさっさと謝ったほうが遥かに楽であるし、譲れないところでの、次の反撃のチャンスも伺える。
あの「月曜組曲」の全11回の放送(ノーカット)が、DVDになって5/25に発売になるということを、「新・ネモの雑記帳」さんの記事で知った。今、予約受付中とのこと。タイトルは、「風のようにうたが流れていた」。番組では1話30分だけど、DVDでは1話あたり50分弱、全11話で計560分・94曲という超大作に仕上がっている。(Amazonより)
これはこのサイトで紹介しないわけにはいかない。この番組の連続記事で、多くの人と知り合うことができて、今も交流が続いている。当ブログの読者も増えた。でも半年近く前のことだけれど、ずいぶんと昔のことのようにも思えるよね。この半年でもいろんなことがあった。違いますか?
#このサイトもこの記事の終了後、ちょっと硬派に走ったかな・・(笑)
あなたの最初の記憶は何歳の頃のものですか?
そしてそれはどんなものですか?
というアンケートがネットにあった。
軽い気持ちでそれを始めて、無防備に記憶を遡っていく。
小学校を過ぎて、幼稚園の頃まで遡った時点で、自分の過ちに気づく。
最初の記憶?・・・
2005年5月5日の日経新聞によれば、中国の反日デモが鎮静化に向かっている理由の一つとして、反日サイトへの接続を、当局が遮断し始めていることを、理由の一つとして挙げている。
すでにこのサイトでも、中国におけるネット規制について触れたことがあったが、そこでの僕の認識よりも、調べてみると検閲の事態は遥かに進んでいるようである。
2005年4月19日の読売新聞では、「中国のネット検閲」として、この問題を扱っている。
それによれば、米ハーバード大、英ケンブリッジ大、カナダ・トロント大の合同チーム「オープンネット・イニシアチブ」の報告書によるとして、
昨夜の夢は、ゴールデンウィークにふさわしくない夢だった。
私の大学時代の友人(女性)が、夢の中で何かの事故に会い、私はその横でおろおろしている。どうも、回復不能な障害が彼女に残ると医師に聞き、私は狼狽して泣いている。
そんな私の横で、彼女の母親が、妙に落ち着き払った顔で、「リハビリをすれば大丈夫です」などと言いながら、のんびりと、彼女の横で家事などをしている。
車椅子のようなものに乗った彼女は、後姿で庭を見ているようだが、何もしゃべらない。顔は、庭から差し込む光で逆光になっているのか、よく見えない。
唐突な例から始めることをお許し願いたい。
自分の子供と、友人の子供が2人で川で溺れている。通りかかったあなたは、どちらを先に助けようとするだろうか。なぜか友人とそんな話になったことがある。
僕は、「そこに2人の子供が溺れているという事実以外、何もない。両方を助けようとするだろうし、無理なら助けられる一方を助ける。」と答えたところ、友人から一笑に付された。
「そんなことはあるわけがない。俺はまず自分の子供から助ける。お前だってそうだ。嘘をつくな。」というのが彼の言い分である。
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