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November 30, 2004

不幸に敏感で幸福に鈍感であることの不幸

「幸福なのか」

身近な人に聞かれた。

うーんと考え込んだ。

幸福でない理由を明確に言い表せる言葉がない。
というより僕の中に「幸福」という概念がもともとないのでは
ないかと思った。

「不幸」について考えることはあっても
「幸福」について考えることも、自分がそれを志向することも
少ないというより、まったくと言っていいほどないからだ。

さらに聞かれる。

楽しいことはあるのか、と。それはある。もちろん。

「ではそれは幸福な状態なのではないか?」

「それはリラックスしている状態のようなもので
幸福とは違うよ。」

と僕は答える。

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小田和正という存在-月曜組曲での驚異6

小田和正という存在-月曜組曲での驚異
小田和正という存在-月曜組曲での驚異2
小田和正という存在-月曜組曲での驚異3
小田和正という存在-月曜組曲での驚異4
小田和正という存在-月曜組曲での驚異5


今日の「月曜組曲」で流れた「生まれくる子供達のために」 は、なおこさんが
「日々のキリトリ帳」で書いていらした曲だ。 僕は、この曲はあまり聞いてい
なかったんだけれど、なおこさんのブログで 読んでから、心に留めていた。

言葉の持つ力は、それが素朴であればあるほど際立つ。
同時にやはりその詞がどんな時代にめぐり合うのか、ということも重要だと
思う。

古い曲の場合、それが書かれた時代は今とは全く違うわけだけれど
幾時代かが巡る中で、同じような、あるいはもっとふさわしい時間に
めぐり合う場合がある。

「生まれくる子どもたちのために」

も、今このときだから、あなたにひときわ響くのかもしれない。

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November 24, 2004

小田和正という存在-月曜組曲での驚異5

小田和正という存在-月曜組曲での驚異
小田和正という存在-月曜組曲での驚異2
小田和正という存在-月曜組曲での驚異3
小田和正という存在-月曜組曲での驚異4

今週は、財津和夫がゲストだったけれど、それよりも印象的だったのは
この曲。


果たして小田和正の「人生を語らず」(吉田拓郎)を
聴ける日が来るとあなたは思いましたか?


センチメントを嫌い、叙情を嫌い、感傷と干渉を嫌う。

青き年のころ。そんな心の頑なさのなかにあって僕に見えなかったものを
そろそろもう一度見てみてもいいのではないか。

今までこの番組を見てきて、そんな思いにたどり着いている。

「今はまだ人生を語らず」

この「今」というのはいったいいつだったのだろうか。
吉田拓郎がこの歌を歌ったのは、74年だからおそらく
彼が28才のころのもの。

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November 20, 2004

無力と戦う夜---ベトナムからファルージャへ

僕はベトナム反戦の世代ではない。
幾度となくその世代と一緒にされ
(若い人には一緒らしいんだよね。団塊世代も、その10年後の世代も)
違うじゃんと思ってきた。

さしづめ僕たちは「遅れて来た世代」と呼ばれ、喪失感以外に何もないと
言われ続けた。70年代の熱い日々に参加するには子供過ぎたし、
ITを正面から語るには年寄りすぎた。

生まれ続ける、死に続ける人間の連鎖の命がある限り、本来
「間に合った」とか「遅れた」とかはないはずなんだ。
それはわかっている。

でも。

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November 19, 2004

果たして「闇」は変わろうとしているのか?-「むぎ茶」と「ネオむぎ茶」と「電車男」

night2.jpg

まだ2ちゃんねるが今ほど巨大ではなく、ITベンチャーが球団を買うなど
遠い未来でしかなかった、ネット世界の神話の時代。
「むぎ茶」というハンドルを持つ魔神がうごめいていた。

「むぎ茶」は決して媚びない、妥協しない、なじまない。
虚偽を見抜き、偽善に敏感でとてつもなくニヒルで露悪家。
それでいて、寸鉄人を射るような言語と頭脳の鋭さを持つ。

僕は今でも「むぎ茶」なるものが残した掲示板の書き込みを思い出すたびに
鳥肌が立つ。

そうだ。あの頃。渋谷に「ビットバレー」などという馬鹿げた呼び名が付き、
成金ぶった青二才が昨日あつらえたようなスーツで街を闊歩し始めた90年代。
ネットバブル前夜。

「むぎ茶」なるものは、悪のヒーローだった。

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November 15, 2004

友へ---追悼の言葉

今となっては君の耳には届かないけれど、君の友人達に
読んでもらうことで、どこかでどのようにしてか、で
君に届くことを、不合理にも期待して書きます。

芝居を見に行かせてもらいにいく以外に何もできなかったけれど、
最後に告別式で君を見送ることができたのは僕の幸運だった。

久しぶりに見た君の顔はずいぶんとやせ細っていて驚いたけれど
告別式の弟さんのお話では、君は亡くなる最後の瞬間まで、僕達の
良く知っている「奇抜でやんちゃ」な君だったようで、それは
近しい人たちにとっては、大変なご苦労だったようだけれど、
今となっては、皆がみな揃って、滑稽なほど自分らしさを貫いて
走り去ってしまった君のことを、自分自身の生き方とどこかで
比較しながら。心に留めたと思う。

ただ、もっともっと君の芝居を見せてほしかった。

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November 11, 2004

死の格段の厳粛さに気づかぬ者は大バカである。

ようやく欝な検索用語の波が引いてきた。
ネットにはさまざまな人がいる。
僕のサイトにコメントを残された方で、この発言は聞き捨てならないと思うこと数知れず。
しかし大海のような人の数の前で、徒労感にすら襲われる。

香田さんの件では、我慢のならない無礼さが行きかっている。
バカをバカと言って何が悪いなどという単純思考からは
何も生まれない。1人でずっと言ってればよろしい。
おっと1人ではありませんでしたね。お仲間は結構たくさんいる。


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November 10, 2004

今夜のファルージャ--世界と接する境界を見て欲しい

usa.jpg


コメントもいただいたFAIRNESSさんのサイトを見ていたら、普通の米国人のの善良さと、一方でその限界のようなものに言及されていて興味深かった。

一方で僕が思い浮かべるのは映画の中、ハリウッド映画の中に出てくる米国人の姿である。
多くの米国映画には、私たちがニューヨークやロサンゼルスに行ったときには知ることのできない茫漠たる中西部の砂漠が広がっている。

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November 08, 2004

米国への失意と希望2--ジグソーが乱れた世界に

そういえば、マイケルムーアサイトにあがっていたこれも、ジグソーだったな。
イラク戦争での戦死者の顔でコラージュした米国大統領だ。

強烈なり、ムーア。

bush-small.jpeg


米国への失意と希望--ジグソーが乱れた世界に

米国への失意と希望--ジグソーが乱れた世界に

mosaic.jpg

この世界のジグソーパズルは、もともと乱れていたのかもしれない。
というよりは、残念だけれど、人の世界というのはそういうものであるのかもしれないのだ。

「調和のとれた世界」や「理想の世界」「平和な世界」をプラカードを持って唱える人々の横で、考えられないような数の子供たちが、罪なき人たちが今日も次々と死んでいく。

私達は、そうした人々がいることに気がつきながらも、ニュースを報じるテレビの前で今日も高カロリーの食事をとり、膨らみすぎたお腹を気にしている。

そうだ。これが昔からのあなたと私たちの風景だ。

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最後に詫びて死んだ青年2-そんな言葉で検索するな。

この2-3日、Blogのアクセス数が爆発的に増えた。
本来は喜ばしいと思うべきかもしれないが、原因がはっきりしているので、素直に喜べない。

同輩よ、憂えよ。
この社会には、異国で非業に命を奪われた同胞の悲惨な死の映像を見ようと、おぞましき検索用語を打ち込み闇のインターネット世界を徘徊する輩の何と多いことか。その数も数十の単位ではない。
詳しくは言うまい。同種の現象を憂いているブロガーは多いだろうし、嘆いているのも僕だけではあるまい。

動機はさまざまなのであろうし、そうした関心のあり方の全てを批判するものでもない。
ただ、せめておぞましい検索用語やフレーズの羅列に深夜ひそかに心寒いものを感じているブロガーも多くいることを心に止めて忘れるな。

神もブロガーも見ているのである。

November 02, 2004

最後に詫びて死んだ青年---香田証生さんの死は軽くない

おそらくは思ったはずだ。
あの無謀なイラク攻撃が始まったとき、「こうした命」がいくつも犠牲になるで
あろうと予感したはずだ。
あの時。

イラクを米軍が根拠もない理由で攻撃にかかったときだ。

「こうした命」とは

警戒を知らない
悪意を図れない
戦いの本当の怖さを知らない
善意を善意として抱いている

世界中に幾億も散らばっている無辜の命である。

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小田和正という存在-月曜組曲での驚異4

小田和正という存在-月曜組曲での驚異
小田和正という存在-月曜組曲での驚異2
小田和正という存在-月曜組曲での驚異3


いったい、どうしてこのオフコース嫌いのはずの僕が、月曜の深夜になると、
この番組の中継(?)などしなければならないのだ。わからない。

それもこれで4回目だぞ。全くわからない。
ここは小田和正のファンサイトではないのに。

今日は赤い鳥・・・
横文字が多かった当時のフォークバンドの中で、赤い鳥は日本語のグループ名で
挑発的な感じがしたのだそうだ。へえ。


akaitori.jpg


ゲストは山本潤子。
「竹田の子守唄」だ・・

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