水を守る森林篇・第5話-明治神宮の森と外苑再開発-
- 2023/08/26
- 14:29
「東京都都知事 小池百合子様
突然のお手紙、失礼します。私は音楽家の坂本龍一です。神宮外苑の再開発について私の考えをお伝えしたく筆をとりました。どうかご一読ください。
率直に言って、目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。これらの樹々はどんな人にも恩恵をもたらしますが、開発によって恩恵を得るのは一握りの富裕層にしか過ぎません。この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です。(以下は最下段に)」
坂本龍一さんが亡くなるほぼ一月前に小池都知事に宛てた(2月14日付)手紙が公表され、「外苑の樹を伐るな!」の声が一挙に高まり、計画の中止を求める署名は21万筆を越えました。
外苑再開発とは、神宮球場と秩父の宮ラグビー場の場所を移して建て替え、185mと150mの高層商業ビル、ホテルなどを建造、今ある樹木を伐採して新たに植林するという計画です。
都心に奇跡の自然林~神宮の森~
代々木の原に神宮の森の造林を任されたのは、前稿で紹介した東京の水道水源林の再生を手掛けた本多静六です。
当初、本多は東京の地に明治神宮を建てることに反対でした。年々、ばい煙で大気が悪化する東京では針葉樹は枯れやすく、杉などでの森厳な森は造れないと主張していました。しかし神宮建造の旗振り役の渋沢栄一に膝詰めで懇願され、森造りを引き受けることになりました。ですが、これは難題でした。100年200年後、更にその先まで時代を超えて都心に存続できる森とは、いかなる森なのか?
本多は帝国大学の教え子2人を任官させ造林計画を練ります。樹木はその地の土壌風土に合わなければ育ちません。奥多摩の水源林事業での数々の失敗でドイツ仕込みの林学は柔軟な林学に鍛え直されていました。
本多らは、森は4段階のステージを経て遷移するだろうと予測、以下のような植栽計画を立てました。
第1ステージ。スタート時点では、既存のアカマツとクロマツなどの高木を残し、その間にスギ、ヒノキ、サワラなどの針葉樹を植え、更に将来の主木となるカシ、シイ、クスの照葉樹(常緑の広葉樹)を配する。最下層には各種の灌木(低木)を植栽、これ以降は人の手を加えないで自然の遷移にまかせる。
第2ステージ。数10年後にアカマツ、クロマツが占めていた林冠最上部をスギ、ヒノキ、サワラなどの針葉樹がとって変わると予測。
第3ステージではカシ、シイ、クスの照葉樹が主木となり、あいだにスギ、ヒノキなどの高木が混生する。
第4ステージ。カシ、シイ、クスがさらに成長してスギ、ヒノキなどの針葉樹は消滅して、この地の自然林を形成する。
100年後の現在、神宮の森は本多静六らが予測した通り照葉樹の森へ遷移しました。みごとです。
しかしながら当時、この造林計画は多くの批判にさらされました。時の総理大臣大隈重信からも「カシやシイでは森厳からほど遠い、ただの藪ではないか」と変更を迫られた(注1)そうです。神社の森は鬱蒼とした針葉樹というイメージを誰もが抱いていたようです。
本多らの造林計画が実現したのには、2つのことが大きく影響しています。
1つは、全国の神社などの林相を調査した結果、仁徳天皇陵(大仙古墳)が照葉樹の森であったこと。
2つ目は、渋沢栄一などの造営推進者が明治神宮を“近代日本を象徴する神社”でありたい、伝統の踏襲に留まらない“新たな空間”を創出したいと想い描いていたことでした。
ようするに、従来にない新たな森で良かったわけです。この“近代日本を象徴する神社”というコンセプトは外苑の設計で、より一層顕著になります。
再開発を中断して 外苑を日本の名勝に指定を
「私(坂本龍一)が住むニューヨークでは、2007年、当時のブルームバーグ市長が市内に100万本の木を植えるというプロジェクトをスタートさせました。環境面や心の健康への配慮、社会正義、そして何より未来のためであるとの目標をかかげてのこと、慧眼です。NY市に追随するように、ボストンやLAなどのアメリカの大都市や中規模都市でも植林キャンペーンが進んでいます。
いま世界はSDGsを推進していますが、神宮外苑の開発はとても持続可能なものとは言えません。持続可能であらんとするなら、これらの樹々を私たちが未来の子供達へと手渡せるよう、現在進められている神宮外苑地区再開発計画を中断し、計画を見直すべきです。
東京を「都市と自然の聖地」と位置づけ、そのゴールに向け政治主導をすることこそ、世界の称賛を得るのではないでしょうか。そして、神宮外苑を未来永劫守るためにも、むしろこの機会に神宮外苑を日本の名勝として指定していただくことを謹んでお願いしたく存じます。
あなたのリーダーシップに期待します。
2023年2月24日 坂本龍一」
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注1)「藪ではないか」と変更を迫られた:今泉宣子著『明治神宮』新潮選書2013年刊、158頁。
2023・8・23記 文責 山本喜浩