水を守る森林篇 第2話―旧約聖書 秋田杉 植林―
- 2023/05/02
- 22:24

ご存じピーテル・ブリューゲルのバベルの塔です。ボスの「快楽の園」からおよそ60年後の1565年に描かれました。この絵の原典である旧約聖書にバベルの塔は、以下のように語られています。
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住みついた。彼らは、
「レンガを造り、それをよく焼こう」と話しあった。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のある町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、みな一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めるのだ。」 (旧約聖書 創世記第11章)
バベルの塔は都市建設の物語です。旧約聖書研究者の並木浩一氏は、これは人の驕りに対する警告というより、都市論として読む(注1)ことが大切だと語っています。
都市は新たなテクノロジーを生み文化を広め知識階級を育てます。しかしその裏で周辺の資源を収奪しつくします。
「レンガを造り、それをよく焼こう」とは、それまでの素朴な日干し煉瓦の代わりに強度に優れる焼成煉瓦で都市を造ろうということです。煉瓦を焼くには燃料となる木材が必要です。そのために周辺の樹木を伐採し、更には遠くの森林から木材を調達することになります。過剰に煉瓦を生産して滅びた都市もあります。
(モヘンジョダロ。パキスタン南部、インダス川右岸にあった都市。BC2500年頃から栄えBC1800年頃から急速に衰退した。)
インダス文明を代表する都市モヘンジョダロは家屋から道路・水路に至るまで焼き煉瓦を多用。樹木の皆伐が砂漠化を招き、都市を衰退させたと言われています。
さて、画家ブリューゲルは森林受難に思いが至ったでしょうか。塔の背景にはまだ伐られない森が描かれていますが・・
収奪される秋田杉 引き起こされる災害
秋田杉も収奪されました。豊臣秀吉に命じられ、船の建造用の板材と「伏見作事板」呼ばれた築城用の杉材を献上させられています。その後、徳川幕府に「軍役板」と呼ばれた板材の納入を課せられ、秋田杉が大量に召し上げられました。また、秋田杉と金銀銅の鉱山資源は秋田藩の財政を支える基幹産業でしたから、伐採に歯止めがかかりません。
伐り出された杉は筏を組んで米代川と雄物川を下り、能代や秋田の港から江戸、京にと搬出されました。秋田杉の乱伐はいやでも山河の荒廃を招きます。
安藤昌益は藩の鉱山開発を批判しましたが、同時代に藩の林業を手厳しく批判した僧侶がいました。横手市に現存する浄土真宗玄福寺の第18代住職であった釈浄因(しゃくじょういん)です。
(横手市の玄福寺。釈浄因は1730年生まれで昌益より28歳若い。昌益と交流があった否かは不明。)
浄因は秋田杉の乱伐を次のように批判しました。
「山谷の大樹良材を伐り、他国へ運送交易してその得益ありと言へども。万物造化を恵み生ずるその本を失ふて、万物の土産生ぜざるときは、千万倍の損失となるがゆえに、大いに国家衰徴の基となるなり」
現代意訳しますと、「一時的な金儲けに走って山林を切り売りし、万物に恵をもたらす水源を失っては、もとも子もないし、国家衰退の始まりでしょう」ということでしょうか。
この一文は、1788年に秋田藩主佐竹義和に献上された意見書(注2)とされています。この時代には秋田杉は枯渇。山林の保水力を失った米代川や雄物川は頻繁に氾濫災害を引き起こしました。江戸や浪花の繁栄がもたらした災害でもあります。
この時代(18世紀後半)から藩も山林の荒廃に手を打ちます。樹種を問わず一切の山林伐採を禁止する「札山」を増やし、植林を奨めますが成果は上がりませんでした。なにしろ杉などの針葉樹は成木になるまでに50~100年、広葉樹のブナなどは100~200年かかるそうです。荒廃した山林の再生には百年単位の時間を要します。
(雄物川の支流の成瀬川に建設中の成瀬ダム(注3)。山林を破壊するこの光景を浄因が見たらなんと言うでしょう。写真は2019年7月の撮影。最下段にマップ。)
森林ジャーナリストの田中敦夫氏によれば(注4)、僧侶の釈浄因は「玄福寺開き」と名付けられた新田開発で藩から表彰されるほどの優れた農業技術者でした。
驚くことに、メンデルよりほぼ100年も早く「突然変異」や「純系分離」などの遺伝法則を発見していたそうです。
傑出した思想はしばしば辺境の地に生まれます。江戸から観れば安藤昌益や浄因は辺境の人です。旧約聖書もまたギリシャやペルシャから観れば辺境の地の思想でした。
バベルの塔 都市と言語の物語
主は「彼らは一つの民で、みな一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めるのだ。」と、人々がお互いの言葉を理解できないようにしてしまいました。
この物語は、多数の言語が誕生した始原のエピソードとされていますが、
並木浩一氏はこの物語を「単一の言語で対話を排除する軍隊のような世界、そんな世界を神は否定した」と読み解いています。
都市は富の集中が権力者を生みます。権力を握った人々だけの言葉が重んじられ人々の自由な対話が禁じられた世界、それがバベルの塔の町でしょうか。
上のバベルの塔は冒頭の絵から5年後の作品です。冒頭のバベルの塔は外部が石づくりで内部が煉瓦でしたが、この塔はすべて煉瓦造りで、塔の建設を命じた王も描かれていません。「聖書に帰れ!」宗教改革の激流に洗われた時代です。ブリューゲルも旧約聖書の記述に忠実に従ったのでしょうか。
この絵の中にほぼ1400人が描き込まれているそうです。やがて崩壊する塔を黙々と建設する人々、ブリューゲルはそんな人々の姿を克明に描きたかったのかもしれません。
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注1)都市論として読む:『旧約聖書がわかる本 <対話>でひもとくその世界』並木浩一国際基督教大学名誉教授と作家奥泉光との対談より。河出新書2022年9月刊。
注2)献上された意見書:釈浄因(照井浄因)の唯一の著書『羽陽秋北水土録』は実践的農業経済書で、地方行政機構の改革案や農村荒廃への具体策を論じている。9代藩主に献上されたとされている。
注3)成瀬ダム:農業用水確保と治水を謳っていますが、農業用水は余っていますし、治水に関しては費用便益費が1.1というとんでもない無駄ダムです。
2026年完成予定。
https://suigenren.jp/?s=%E6%88%90%E7%80%AC%E3%83%80%E3%83%A0&x=24&y=7
注4)田中敦夫氏によれば:田中敦夫著『森と日本人の1500年』第2章「江戸時代の森づくり思想」より。平凡社新書2014年刊。