川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

俎始(マナイタハジメ) 448 ダントン

昨夜、久しぶりに嫁さんと近くの大好きな居酒屋に行って、本当に楽しく飲みました。で、朝のランはお休みです。

「世界史1200人」448 ダントン(1759〜1794)

フランス革命時の政治家、パリ・コミューン助役。1780年にパリへ出て法律を学び弁護士となった。「ものやわらかで、控えめで無口」だったが、1789年に市民たちを扇動して革命に参加した。一時はイギリスに亡命したが、パリ・コミューンの第2助役に選ばれ、司法大臣として急進派でただ一人起用された。国民公会議員にも当選し、1793年春における革命裁判所や公安委員会の創設にも貢献した。しかし、党派抗争を止めることに失敗し、自身の汚職疑惑に加え、オーストリアへ寝返ったことによって窮地に陥り、公安委員会からも退いた。病気のため一旦帰省してパリに戻ったが、帰還後は恐怖政治の廃止や反革命容疑者の釈放を叫び寛容路線に進んだ。1794年に逮捕されたが、サン・ジュストによる告発状はいい加減なものであった。ダントンは雄弁をふるったが、死刑の判決を受けた。

「内ゲバの俎始(マナイタハジメ)は寛容 ダントン に 端遊」

俎始(マナイタハジメ)が新年の季語です。歳末に買った包丁や俎をおろして使います。革命にとって寛容はメッタ斬りか!・・・ギロチンへの道すがらロベスピエールの家の前を通りかかると「ロベスピエール、次はお前の番だ!」と叫び、最後まで堂々とした態度で処刑されました。

習字は、「内ゲバの」は悲しく、「俎始」はそれなりに、「は寛容」は優しく、というつもりで書きました。


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