父の書棚
父親の一周忌のために、田舎に帰る。
実家には3畳ほどの部屋があって、父が元気なころはそこを書斎めいた場所として使っていたのだけど、病気で寝たきりになってからはすっかりただの物置になってしまっていた。スライド式の2本をふくむ4本の書棚には、父の蔵書とともに母や私や弟の本が乱雑につっこんであって、(前職の)職業柄というかなんというか、実家に帰ってその部屋に入るたびに非常に気持ち悪い感じを味わっていた。
寝たきりでもう二度とその部屋に入ることはないとはいえ、生きているあいだはその部屋の主は父なので、いくら本棚がめちゃくちゃだろうが勝手にいじろうとは思わなかったのだけど、父が亡くなってしまうと、今度はその棚を乱雑なままにしておくほうがよくないように思えてきた。というわけで、今回の帰省に際してその棚の整理をしてやろうと思ったのであった。
棚の中身はおおざっぱに分けて4種類ある。1.父の仕事のための本、2.父の仕事以外の本、3.私が高校時代までに買った本(文庫本がほとんど)、4.母と弟の本である。4はホンの数冊程度で母も弟も別に自分の本棚や物入れを持っているので、これらはそこへ移動する。そして1と2をきちんと整理して収納したあと、空いたところに3を間借りさせていただく、という方針である。
父は放送局の技術職の社員だったので、仕事の本というのはテレビやラジオの専門書ばかりで、「ラジオ工學・全4巻」だの「テレビジョン受像機の設計」だの「NHK技術ハンドブック」だのおそろしく古い本が多い。こういう本というのは、技術史的な資料として今でもそれなりの価値があるものなのかどうなのか門外漢にはサッパリわからないが、「書名・著者名・出版社名と体裁だけで、だいたいの見当をつけてそれっぽく並べる」という元書店員としてのスキル(ホントかよ)を最大限に発揮して棚に詰めなおすのである。
そういった技術書を前面に配し、その隣の端の1本には、仕事がらみではないものの父が好んで読んだ理工系の一般書を並べてみる。自分が子どもの頃の印象だと講談社のブルーバックスなんかもっと膨大にあった気がしたのだけど、整理してみると10冊くらいしかなくて拍子抜けをした。このくらいならド文系の自分の本棚にもある。それとも処分したのであろうか。
スライド書棚の後ろ側には、中公の「日本の文学」全80巻を並べる。数冊を除いてほとんどページを開かれた様子のない全集である。他の棚には小学館の「大日本百科事典」(ジャポニカ)もあったりして、まあ要するにそういうウチだったのだ。高度成長とか、新中間層とか、そういう……*1
後ろ側の棚のいちばん端には、松本清張・高木彬光・黒岩重吾といった作家のカッパブックスやその他の読み物、「天中殺入門」「高血圧がなおる本」株がどうしたこうしたというような本*2をつっこみ、一応完成ということにした。
作業しているうちに、なんとなく「この書棚によって『亡くなった父はこのような人間だったのだ』ということを表現すること」が自分の使命なのではないかと思い始めてきた(ちょっと大げさですが)。そしてそれは、たぶん自分にしかできないことだろうというふうにも思ったのだった。残念なのは、自分の作ったこの棚を父に見てもらえないことである。まあ、見ても「ほー」くらいしか言わなかっただろうけれども。
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