またまた
戻ってきてみた。
どんなもんでしょ。
ちょっと
事情があって戻ってきました。
これでどうだ!
今までの「1行プロフィール」
「プロフィール」欄の「1行プロフィール」は、そのとき心に残った言葉をランダムに使用しておりました。以下の通り。
「……しかしわたしは、人類は絶滅寸前の状態にあり、図書館だけが永久に残るのだと思う」(JLB) ボルヘス『バベルの図書館』
「……いいですか、皆さん、ドーウィン卿は五日間の討議で、たったの一言もいっていないのですぞ……」 アシモフ『銀河帝国の興亡』
「ちがうよ ちがうよ まるでちがうよ。」 かこさとし『だるまちゃんとてんぐちゃん』
「苦しい夢のなかで、何とか地獄をまぬがれて煉獄に行きたいと、両掌でへさきを作り、一所懸命に動かしながら……」 大江健三郎『キルプの軍団』
「考えても考えても、目をつむっても思いだせないことがあるというのは、かなしいことです」 いせひでこ『マキちゃんの絵にっき』
「犯罪が起ると同時に我々は、我々自身がその無意識の共犯者であることを知るのであり、本能的にその連鎖系を断ち切ろうとする衝動に駆られて、そうするのである。犯人探しというのは、犯行者を全ての連鎖系から切り離し、孤立させるための試みにほかならない」(BM) 別役実『別役実の犯罪症候群』
「こわした家を出たくせに 今わたしたちは あたらしい家をつくる」(YA) 矢野顕子『ホーム・スイート・ホーム』
「あたし、赤頭巾。あんたのこと聞いたわ。あたしたちみんな、あんたのやったこと聞いた。それが気に入らないの。あんた危険よ」J.C ジョナサン・キャロル『炎の眠り』
「私たちは、私たちのために、事実の絵を描く」(L.W) ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
「飛んでるんじゃない。落ちているだけだ。カッコつけてな」(A.S) アンドリュー・スタントンほか(脚本)『トイ・ストーリー』
「私は声を高くしていおう。これが私のやったことです。考えたことです」(J.J.R) ルソー『告白』
「馬鹿!……呼んだんだ」(N.H) 野田秀樹『野獣降臨』
「猫ニコニコ小判」 うちのコドモ
「そうだ。私たちは二人いなければならない」 バタイユ
最後のやつだけ出典を覚えてない。たしか内田樹の本からの孫引きだったと思うんだけど…
見る前に跳べ
意味のない見出しをつけてしまいましたが、サブアカで新しいブログを作りました(ダイアリーだけど)。
こちら→『Lebensansichten des Kater Mugi』になります。タイトルは『牡猫ムルの人生観 (1950年)』のもじりでございます。
というわけで、どうぞよろしくお願いします。
突然ですが、idを変えようかと思っているのだった
そもそもこのハンドルネームは、はてなに登録するときに、学生劇団にいたころのペンネームをひっぱりだしてきたものだったりする。
そのころ、当時はやっていた「夢の遊眠社」の上演記録を見ていて、ごく初期の作品に「三島由紀子」という人が端役だかスタッフだかで参加しているのを見つけて「芸名だとしたら巧い名前をつけたもんだなあ」と感心したことがあって、その後自分の演出した公演を芸名可という方針にしたときに、その真似をして演出用のペンネームとしてこの名前をでっちあげたのである。当時私は『絶対安全剃刀―高野文子作品集』や『おともだち』などにたいへん感動をしていたので作者の高野文子さんのお名前をお借りしたわけなのだけど、「高野文子→文夫」は「三島由紀夫→由紀子」のように元ネタがわかりやすくなかったせいで、正体を知った知合いや友人からは「何おまえ高田文夫のファンだったの?」だの「高野之夫*1となんか関係あんの?」などといわれる始末であった。
ちなみに私はこの作品に役者としても出ていて、そっちには本名を使っていた。つまり出演者何某と演出高野文夫はじつは同一人物だという、まあお遊びである。ただ私は個人的にこのお遊びが気に入って、その後の公演でも裏方をやるときの名前として使い続けた。だからこのサークルやそのあと仲間と旗揚げした小劇団(4公演やって解散したけど)の上演記録を見ると、高野文夫氏が舞台監督をやったり音響オペレーターをやったりしているのが見つかるという具合である。そして二十数年を経て、こんどはネットの片隅に復活したよというわけ。いや、ただの自己満足なんですがね。
そんなつもりで呑気にやってきたのだけれど、なんだかんだとはてな歴もそれなりに長くなり不都合が懸念されるようになってきた。つまり、実在のタカノフミオさんと混同されてしまわないかということである。もともと「本名なのか仮名なのか曖昧なかんじ」を狙ってつくった名前なのだからそういう事態になるのはじゅうぶん予想できたことなのだけど、はじめのうちははてなでも泡沫会員にすぎなかったからとくに心配もしなかったのだ。しかしここんとこ、はてブスターランキングのサイトで結構上位にきてしまうわ、某ブログにちょっかいを出すようなブクマコメントをつけたら名指しで反論の記事を書かれて注目を浴びてしまうわ(これは自分が悪いんですけど)ちょいちょい悪目立ちするようになってしまったのである。
なにより実在のタカノフミオ氏には、小説家の高野史緒先生がおられるのだ。いや、自分がはてなにアカウントをとった2006年にはすでに著書を何冊も出されてましたが、わりと「知る人ぞ知る」という感じだったので気楽に考えていたのである。ところが2012年に乱歩賞をとられたりしてちょっと事情が変わってきて、ヘタするとファンのかたが「あら先生がはてなをやってらっしゃる」なんて言ってこっちに来ないともかぎらない。それはまずい。まずいというか申し訳ない。
というようなことを去年あたりからぼんやり考えていて、そういう面倒が実際に起きる前に新しいアカウントを作り、ダイアリーやブックマークをごっそり引っ越そうかなあと思っている次第。ちゃんと完成させてなくてアップしてない日記が何本もほったらかしになっていて、引っ越しのどさくさに紛れて混ぜて出しちゃおうかなという魂胆もあったり(なんか粗大ごみみたい)、それほど熱心に更新しているわけでもないブログでも、8年もたつといろいろ垢がたまってきていて、いっぺんざーっと洗い流したい気持ちになっているのであった。
さて新しいid、どうしよう……(悩)。
村上龍『半島を出よ』
ちょっと思うところがあって、図書館に行って『半島を出よ (上)』『半島を出よ (下)』を借りてきて読んでみました。
私は軍事方面にはとんと疎いので、この小説の状況設定や描写が的を射ているのかとんちんかんなものなのかわからなくて困りました。そこで例によってネットの評判をみてみると、これも「さすが村上龍すっごくリアルぅ」という感想と「よく知らないくせに出鱈目書いてんじゃねえよプゲラ」みたいなのが相半ばしており、定まった評価がないようなのです。ためしにはてなダイアリーで貶していた人に「どこが可怪しいの?」と聞いてみましたが、よく覚えてないというお返事でした。単行本が2005年ですから、まあほとんど10年前の小説ですもんね。
否定派には、軍事・兵器にかんする文句の他に「中国経済がそんなに順調に強大になるはずがない」と言う人が結構いて、こういった意見こそなんというか「往時を忍ばせる」という感じがする。
それはともかく、軍事や経済に疎くても読んでいて「これは、あるなあ!」と思ったのはたとえばこういう部分。
確か2007年の春だったが、総理大臣と財務大臣がテレビの前でぺこぺこと頭を下げながら、これは日本を救うためです、これしか方法がないのです、と涙ながらに演説して……
「prologue1 2014年12月14日川崎 ブーメランの少年」
私は村上龍の良い読者ではなくて、今まで『コインロッカー・ベイビーズ』と『愛と幻想のファシズム』しか読んだことがない。きらいではないのだけど両方とも「超もりあがる上巻+ほとんど尻切れトンボみたいな下巻」という読後感だったので、本作もそのパターンじゃないかと疑っていたのだけれど、なんとかテンションを維持してラストシーンまで走ってくれてよかった。
あの○○が××してしまう!? という場面がクライマックスになりますが、たとえばこれが大江健三郎のような純文学だと「全ては徒労に終わり虚無感だけが残る」という結末が予想されるし、反対に純エンタメ作家なら「首尾よく計画が成功してド派手なラストシーン」になるに決まっているわけです。ところが村上龍の場合「どっちの結末に持っていくかわからない」というスリルがあって、あらためて作家の立ち位置として面白い存在だなあと思いました。
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/08/01
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「本好き」補遺
前の日記を書いてからつらつら眺めていたら、この「100の質問」がちょっとした流行になったみたいでウレシイ(別に私のおかげではない)。面白いので他の人の回答をいろいろ読んでいます。
結構あれこれ読んでいるみたいなのに「自分はそんなに読書家じゃないから」と謙遜する人がいたり、好きな本をオススメするのにどうも押しつけがましい感じになっちゃう人がいたりするのは本や音楽や映画etc.を語るときにはよくあることですけど、必要以上に攻撃的になっちゃうのはイカガナモノカと思いますね。人や本の悪口はよくないよ。あとこれめちゃくちゃ多いんだけど、作家をさん付けするのやめてくれー!
んであらためて自分の回答を読み直してみたら、「おっ、こいつはなかなか肩の力が抜けてていい感じなんじゃないの?」と誉めてやりたくなりました。まあその程度には、私にも年の功があるとゆーことですかね(しょぼい)。もうちょっと作家や作品がばらけてたらもっとよくなるんだけどなあなんて思って、ちょこちょこ修正を入れたりしてるのです。
* * *
ところで、できた記事に自動的につく「キーワードリンク」をたどって見てみるともうちょっと頑張ろうよっていう項目が目について、またぞろキーワードの編集に手をつけてしまった。そういえばたしか去年もこの時期に「津島佑子」を調べてたなあ。思うに、作家の項目は、書き手の評価などよりもあるていど網羅的なビブリオグラフィがあった方がいいと思うのです。というわけで、「ポール・オースター」「中上健次」「大江健三郎」などに立て続けに手を入れさせていただきました。
これが今年の自由研究(おっ「今週のお題」だ)。コドモらの夏休みも、もうあと半分。