「同窓会には行かない」
http://anond.hatelabo.jp/20071031044108
学生時代の友人とやっていた劇団を解消して、以前からちょっとつきあいのあった外部の劇団に加わらせてもらって1年ちょっと活動していたのだけれど、いろいろと限界を感じて退団させてもらうことになった。20年前の話になる。
退団の理由は「方向性が違う」としか言いようがない。こちらにはこちらの言い分があり、劇団のほうには劇団の理屈がある。自分は、その理屈を変更しないかぎり劇団はこの先のびてゆけないだろうと思っていたけれど、首脳陣はそうは考えていなかった。ので、自分が退団することになったわけである。ちなみに、同時に3,4人の劇団員がやめたようだった(あくまでそれぞれの事情で退団したのであって連絡をとっていたわけではないのではっきりとは知らない)。
その劇団で学んだことは自分にとって大変おおきく、もしかするともったいないことをしてしまったのかもしれないという考えが頭をよぎることもあったが、そのたびに、いやあのままあそこにいたら自分は役者としてだめになってしまっていただろう、と思い直すのだった。
それでも、時間が経つにつれ、細部の記憶はぼやけてゆき、「いろいろあったけど、あの頃は充実してたよなあ」などと述懐するのかしらと思ったとき、いやそれだけは決してすまいと決意したのだった。
自分にとってその劇団での日々はかけがえのないものではあったが、そのかけがえのなさとおなじくらい、やめると決意したときの閉塞感は自分にとっては大きなものだったはずだ。けれどその当時かんじていた閉塞感は時が経つにつれ輪郭を失い、ぼんやりとしたものになっていって、そのかわりに劇団員時代の楽しかった思い出がクローズアップされてゆくのだろう。なにも考えずただその流れに身をまかせてだけいれば、きっといつか「いろいろあったけど…云々」などと言い出すにちがいない。
けれど、劇団をやめると決めたときに感じていた閉塞感もやはり確実に存在したはずのものなのだ。そのことを、肝心の自分が忘れてしまってどうするのだ。たった一人で辞めると決意した自分を、未来の自分が否定してしまってどうするのだ。そんなことをすれば、そのときの自分が本当に孤立無援になってしまうではないか。
そして自分はこう決意したのだった。未来永劫、細部の事情をすっかり忘れてしまったとしても、自分はあの時の決断を支持する、と。