ウェブ1丁目図書館

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時間の節約が不自由な社会を生み出す

社会保障費の増加、労働者不足など、日本社会には解決しなければならない問題が山ほどあります。

これらの問題を解決するために他国の事例を調べたり、知恵を出し合ったりしているわけですが、なかなか先が見通せない状況です。社会保障費の増加は、もう何十年も問題になっているのに全く解決できそうにないのは、発想の起点がずれているからかもしれません。

人間社会が抱える問題を他の人間社会を見て解決しようと考えるから、出口が見当たらなくなるのでしょう。

霊長類のリーダーシップ

臨床哲学、倫理学を専門とする鷲田清一さんと霊長類学、人類学を専門とする山極寿一さんの対談を収録した『都市と野生の思考』は、現代の日本社会が抱える問題を解決するためのヒントが散りばめられています。

社会が迷走し始めると強いリーダーシップを求めたくなるもの。そういう時代にあっては、人々は救世主のようなリーダーを待ち望みますし、そうなってやろうとする人も現れます。

リーダーが的確な指示を出し、それに従うことで良い方向に向かっていくという発想は、そもそもリーダーシップとは言えないのかもしれません。山極さんは、リーダーはまわりの人の適性や能力を的確に判断し、チームワークを先導して目的に向かってみんなをまとめるものだと述べています。そして、リーダー自身は目立たなくても良いと。

ゴリラの場合は、自分がリーダーになろうとしてリーダーになっているわけではなく、周囲からリーダーに担ぎ上げられるそうです。こいつをリーダーにしておけば、自分の分け前が増えるなどの信頼を置かれたゴリラがリーダーになるのです。

鷲田さんは、みんながリーダーになりたがる社会ほどもろいものはないと指摘しています。リーダーになろうと思っている時点で、その人はリーダーに向いていないのだとか。リーダーとは、なりたくてなるものではなく、周囲から望まれてなるものなのです。リーダーになると思った時点で、その人はもうリーダー失格です。

同じ霊長類でも、ニホンザルは、ゴリラと違っており、人間に近い印象を受けます。ニホンザルは、勝敗を決めて、勝った方が全てを独占します。人間も、ルールがなければ勝った者が全てを手に入れる社会を築いていくでしょう。人類の歴史を見ても、常に貧富の差は存在し続けています。

対して、ゴリラの社会では負けを作らないそうです。みんなが負けそうな方に味方し、敗者を作らないようにしているとのこと。負けない論理で形成されたゴリラの社会は、目線がみんな同じになり、決して誰かを遠ざけることはしません。こういう社会では差別も起こりにくいでしょう。

人間社会は時間をかけることが大切

近年、インターネットの発達で、遠くの人とコミュニケーションをとることが容易になりました。実に便利な社会になったものです。また、多くの人とネットを通じて知り合うこともでき、これまでになかった交流が生まれやすくなっています。

ネットはまた、時間の節約にも貢献してくれます。時間の節約により自由に使える時間が増え、それが豊かさにつながっていると考えてきました。しかし、人間にとっていちばん大切な社会的ネットワークをつくるためには、時間をかけることが必要です。信頼関係は、時間をかけないと築けないからです。

また、SNSでのコミュニケーションは、感性の裏付けがないので過剰反応しやすくなります。面と向かって話をしているようでしていないネットでのコミュニケーションでは、生物学的、文化的な感性が抜け落ちてしまい、それが、変な憶測を招き、不毛な議論を繰り広げる原因となっています。

人と関わることで自由が生まれる

山際さんは、「究極の自由とは究極の不自由」と述べています。人間が自由を感じるのは、時間が有り余っている時ではありません。他人から何かを期待され、他人とかかわりを持つなかで、自分の行為を自分で決定できるとき、自由を感じるのです。

時間を節約する発想は、実は、自由な時間を生み出すこととは真逆なんですね。

他人と関わる時間が少なくなると、相互依存のネットワークを築けなくなっていきます。それは、何か困ったことがあっても、誰かに助けてもらえる自由を持てなくなることを意味します。鷲田さんは、何かをしたい時に電話すれば、助けを求められる人がいることが本当の意味での自立だと語っています。自分で何でもできる、何でもしなければならない社会は、実は不自由な社会なのです。


社会保障費の増加、労働者不足など、日本社会が抱える問題は、時間の節約に力を入れ過ぎたことで起こったのかもしれません。相互依存の関係が希薄となったことで、これらの問題を解決するためにお金を使うという発想が、不自由な社会を作り出しているのでしょう。