2021年 02月 19日
「楊震家族墓地」六号墓 |
表記の墓主は,楊震の孫楊著で、没年は後漢建寧元(一六八)年.上段に子母闕.先行研究はこれを「天門」と解釈する.下段に大型斗栱.土居淑子説によると,天柱の上部.地上と天を繋ぐ天柱の上端に斗栱があるとする.ここでは天柱の上端を想定したと覚しき,柱としては短すぎる造型がある.天柱の上端にある斗栱,そしてその上に天門たる子母闕.斗栱と天門の間(中段)には紋様塼の層があるが,それほど部厚くはない.部厚いと天門にたどり着けないから.これが本来の門楼なのだろう.そう考えれば,門楼の高大化はこのような冥界観とは相容れなくなる.河西における門楼の高大化(しかし,敦煌では大型斗栱も門闕も残る)は,確固とした冥界観の稀薄化を意味するのではないだろうか. この冬は何度も寒気が襲来して,新潟は平野部でも何度も降雪があり,その都度,膝下まである(重たい)長靴を履き,ある時は高く積もった雪をかきながら,ある時は凍結した雪にすべって転倒しないように注意しながら,朝早く自宅から30分かけて研究室まで通った(過去形では済まないようだが).研究室に着くと,心身とも疲れ果ててしまうのだが,今朝は雪が消えたので,30分近く,歩きながらあれやこれや考えることができた.その結果が上に書いたこと.
by s_sekio
| 2021-02-19 07:29
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