2022年 03月 06日
小林敏男の岡田英弘評価 |
以下,引用する(110頁/111頁).
……岡田英弘は「『倭人伝』は三世紀の日本の実情を描こうとしてつくられたものでない.『倭人伝』は魏王朝の皇帝と倭人との間の政治関係の記録なのであって,倭国の方位や里数,風俗など,われわれの興味をそそる記事はそのつけたりにすぎず,陳寿をして個人的に当時の日本に特に関心をもつべき理由は全くなかった」といわれている.これは本質をつく指摘であって,岡田によれば,『倭人伝』というのは,中国皇帝と民族(倭人)がどういう政治的関係をもったかを列伝の形式で書いたものだとされている.
そうしてみると,陳寿の頭の中では,女王国たる邪馬台国は,西域の大国大月氏国(クシャン朝)の「親魏大月氏王」と同じように「親魏倭王」という称号を授与された東夷の大国として対比される存在であった.
……この点は岡田英弘の以下の指摘が参考となる.
倭国(女王国)が東夷の大国として幻想されたことは魏王朝が呉と倭国の接近をおそれたことに主因がある.また魏の司馬懿が公孫淵を打ちやぶったことによって,帯方郡が解放されて卑弥呼の朝貢使が帯方郡から魏の都洛陽に入ることができたこと(景初三年九月),魏王朝でも重臣として活躍した司馬懿の功績を讃えて卑弥呼を好遇したのであろうこと,さらには晋王朝になって陳寿が女王国を邪馬台国とみて東方はるか彼方に所在する七万戸を有する大国として記述したのも司馬懿の孫司馬炎(武帝)の樹立した晋王朝の立場を考慮したものであることが指摘されている.
233年に他国で生まれた陳寿にとって,親魏大月氏王も親魏倭王も自国の同時代史ではない.他国の昔話にすぎない.だから逆に「東夷の大国」と錯覚してしまったという理屈もあるだろう.ただ最後の部分,「晋王朝の立場を考慮した」かどうかは別の問題である.「考慮」はこの場合「忖度」に等しいが,そもそも陳寿のキャラからして疑問である.現代政治が投影されているように思えてならない.
でも小林はなぜ岡田ばかりを引いて渡邉義浩を引こうとしないのか.渡邉の引用はきわめて少ないのである.まあどうでも良いことだが.
by s_sekio
| 2022-03-06 20:08
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