2008年 06月 30日
魏晋時代の名刺簡 |
とある中国考古関係のブログを見ていたら,南京の薛秋墓出土の名刺簡を4例目と紹介してあったが,正しくは7例目である.詳細は以下のとおり.
① 武昌任家湾六朝初期(呉?)墓:木質名刺3枚(18~23×3㎝)
「道士鄭丑再拜……」
② 南昌東湖区1号晋墓:木質名刺5枚(M1:37 25.3×3×0.6㎝,楷書 )
「弟子呉應再拜 問起居 南昌字子遠」(3枚)
「豫章呉應再拜 問起居」(釈文は,下部に「南昌字子遠」を明記するも,文字の痕跡なし)
「中郎豫章南昌都郷吉陽里呉應年七十三字子遠」
③ 南昌東呉早期高榮墓:木質名刺21枚(24.5×3.5×1㎝,隷書)
「弟子高榮再拜 問起居 沛國相字萬綬」
④ 鄂城水泥廠1号東呉早期墓:木刺6枚(24~25×3.3×0.4㎝)
「廣陵」
「廣陵史綽再拜」(2枚)
「廣陵史綽再拜 問起居」
「童子史綽再拜 問起居 廣陵高郵字澆瑜」(2枚)
⑤ 馬鞍山安民村朱然墓:名刺14枚,木謁3枚
名刺(24.8×3.4×0.6㎝)
木謁(24.8×9.5×3.4㎝)
「丹陽朱然再拜 問起居 故■(章+おおざと)字義封」
「故■(章+おおざと)朱然再拜 問起居 字義封」
「弟子朱然再拜 問起居 字義封」
「□節右軍師左大司馬當陽侯丹楊朱然再拜」」謁」
⑥ 長沙走馬楼J22:木刺(J22-2697 24.2×3.2×0.5㎝)
(正)「弟子黄朝再拜 問起居 長沙益陽字元寶」
(背)「弟子黄先再拜」(習字)
⑦ 南京薛秋墓:木刺5枚(3枚は男棺から,2枚は墓室から)
「折鋒校尉沛國竹邑東郷安平里公乘薛秋年六十六字子春」(M1:57 24.8×3.4×0.4㎝〉
「折鋒校尉薛秋□□□竹邑字子春」(M1:12 24.2×3.6×0.7㎝)
「字子春」(M1:45 24.2×3.2×0.6㎝.釈読不能の文字列の存在?)
これはあくまでも魏(呉)晋時代の出土例であり,後漢時代についてはなお未調査である.また前漢時代の名謁例も対象外である(朱然墓からも出土例がある).
① 武昌任家湾六朝初期(呉?)墓:木質名刺3枚(18~23×3㎝)
「道士鄭丑再拜……」
② 南昌東湖区1号晋墓:木質名刺5枚(M1:37 25.3×3×0.6㎝,楷書 )
「弟子呉應再拜 問起居 南昌字子遠」(3枚)
「豫章呉應再拜 問起居」(釈文は,下部に「南昌字子遠」を明記するも,文字の痕跡なし)
「中郎豫章南昌都郷吉陽里呉應年七十三字子遠」
③ 南昌東呉早期高榮墓:木質名刺21枚(24.5×3.5×1㎝,隷書)
「弟子高榮再拜 問起居 沛國相字萬綬」
④ 鄂城水泥廠1号東呉早期墓:木刺6枚(24~25×3.3×0.4㎝)
「廣陵」
「廣陵史綽再拜」(2枚)
「廣陵史綽再拜 問起居」
「童子史綽再拜 問起居 廣陵高郵字澆瑜」(2枚)
⑤ 馬鞍山安民村朱然墓:名刺14枚,木謁3枚
名刺(24.8×3.4×0.6㎝)
木謁(24.8×9.5×3.4㎝)
「丹陽朱然再拜 問起居 故■(章+おおざと)字義封」
「故■(章+おおざと)朱然再拜 問起居 字義封」
「弟子朱然再拜 問起居 字義封」
「□節右軍師左大司馬當陽侯丹楊朱然再拜」」謁」
⑥ 長沙走馬楼J22:木刺(J22-2697 24.2×3.2×0.5㎝)
(正)「弟子黄朝再拜 問起居 長沙益陽字元寶」
(背)「弟子黄先再拜」(習字)
⑦ 南京薛秋墓:木刺5枚(3枚は男棺から,2枚は墓室から)
「折鋒校尉沛國竹邑東郷安平里公乘薛秋年六十六字子春」(M1:57 24.8×3.4×0.4㎝〉
「折鋒校尉薛秋□□□竹邑字子春」(M1:12 24.2×3.6×0.7㎝)
「字子春」(M1:45 24.2×3.2×0.6㎝.釈読不能の文字列の存在?)
これはあくまでも魏(呉)晋時代の出土例であり,後漢時代についてはなお未調査である.また前漢時代の名謁例も対象外である(朱然墓からも出土例がある).
by s_sekio
| 2008-06-30 14:08
| 余滴