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ブラマヨ×ナイツの対談「ナイツの結成秘話」
2012.06.11 (Mon)
ナイツ結成前
2012年06月09日放送の「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」にて、ナイツ・塙宣之、土屋伸之がゲスト出演していた。
ブラマヨ・小杉「二人は、そもそもどういう経緯で結成したんですか?」
ナイツ・塙「僕らは同じ大学だったんです。大学時代に、落語研究会で僕が3年生のときに部長をやってたんですけど、土屋くんがずっとお客さんとして見に来てたんですね」
ナイツ・土屋「学年が1個下なんですね」
ブラマヨ・吉田「へぇ、そうなんや」
ナイツ・土屋「1年生の時には、公認会計士を目指してましてね」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)お前、イメージ通りの生い立ちやんか」
ナイツ・塙「勉強ばっかりしてたんですよ」
ナイツ・土屋「1日10時間くらい勉強してて」
ブラマヨ・吉田「スゴイな」
ナイツ・土屋「1年生の時ですけど、もう全然ついていけなくなって。キツイ勉強の合間に、塙さんたちがやってるライブが大学の中でやってたんですけど、それを観に行くのが唯一の楽しみだったんですよ」
ブラマヨ・小杉「大学行かせ甲斐ある子供やなぁ(笑)」
ナイツ・塙「親はね」
ブラマヨ・小杉「10時間勉強してて、合間に同好会の落語観に行くのが楽しみって」
ナイツ・土屋「唯一の楽しみだったんですよ」
ブラマヨ・小杉「授業料分、満喫してるやん大学を」
ナイツ・塙「そうですね。いいお客さんでしたね」
ナイツ・土屋「勉強ついていけなくなって。パンクして。もう、投げ出したんです」
ブラマヨ・吉田「演芸ホールとか、お笑いの劇場に行こうとは思わへんかった?」
ナイツ・土屋「時間が無かったからですね。勉強が基本でしたから」
ナイツ・塙「学生でしたからね。お金が無かったですから。同好会の落語は、タダでしたからね」
ナイツ・土屋「大学の中でやってたんでね(笑)それが、めちゃくちゃ面白くて。塙さんは、その時の部長だから、一番、尊敬する芸人なんです。その時から」
ブラマヨ・吉田「塙さんやぁ!みたいな」
ナイツ・土屋「本当にそんな感じでした。公認会計士を諦めて、何をしようってときに、大好きだった落研にまず入ろうって思って入部したのが2年の秋くらいですね」
ナイツ・塙「そうですね。当時、僕は1個上の先輩と『ナイツ』ってコンビで漫才をやってたんですよ」
ブラマヨ・小杉「えぇ?前身の第一期ナイツがもうあったんや」
ナイツ・塙「あったんですよ」
ナイツ・土屋「学生時代、一番に面白かったナイツってコンビがあって」
ナイツ・塙「土屋くんは、二代目なんですよ」
ブラマヨ・吉田「なんでそんなナイツってコンビ名にこだわってるの?」
ナイツ・塙「いや、僕がどうしようって言ったときに、『ナイツってコンビが好きなんで、そのままナイツってコンビで良いです』って言ってくれたんです」
ナイツ・土屋「"ナイツ"に憧れてたんで。だから、『コンビ名どうする?』って訊かれたときに、『ナイツのままでいきましょう』って」
ブラマヨ・吉田「すごいな。NHKのドラマ見てるみたいやな」
ナイツ・塙「ドキュメンタリーみたいな感じで」
さらに、以下のように語っていた。
ナイツ結成後
ブラマヨ・小杉「聞いたところによるとね、塙と第二期ナイツを結成直後、塙が事故ったって聞いて」
ナイツ・塙「そうですね。2000年の4月にコンビを組みましたけども、6月にバイクを運転してまして、僕の不注意でめっちゃ飛ばしてたら、横から乗用車と思い切りぶつかっちゃいまして。それで、左大腿骨が折れて外に出てしましまして」
ブラマヨ・小杉「えぇ~!大腿骨が?」
ナイツ・塙「大腿骨の開放複雑骨折って言って、真っ二つに折れて、粉々になっちゃったんです。それで、切断しなきゃいけないって状況になったんです。でも、なんとか繋がって、というか。それくらいの大事故があったんです」
ブラマヨ・小杉「うん」
ナイツ・塙「それが、コンビ結成して2ヶ月で、もうグチャグチャになって、もう歩けないかもしれないんですよ。それで、もう相方としては普通は、『舞台にも上がってないし、コンビ解消しませんか?』って言うでしょ」
ブラマヨ・小杉「うん」
ナイツ・塙「でも、逆で。毎日お見舞いにきてくれて。毎日、お世話してくれたんです。だから、コンビ組んで一番最初にしてくれたことは、僕の介護なんです」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)なんで?せっかくお笑い芸人やろうと思ったのに、なんちゅう事故やねん、可哀想やけども…みたいにならなかったの?」
ナイツ・土屋「でしたけど、でもやっぱり僕は治るって信じてたんで」
ブラマヨ・吉田「でも、そこからすぐに動いて、大学4年の6月やから、まだ就職間に合うよな」
ナイツ・塙「間に合います」
ナイツ・土屋「はい。でも、諦められなかったんです。だから、治るって信じて毎日行って。そしたら、塙さんの兄が、先に芸人やってて。病室で一緒にいて。そのとき、塙さんが寝ちゃってたときに、『良いからね。土屋くんには土屋くんの人生があるから。良いから…』って、涙を浮かべて言ってくれたんです」
ブラマヨ・小杉「お兄さんが?あんな陽気なご当地ソングを歌ってた人が?」
ブラマヨ・吉田「ベースに乗せてた?」
ナイツ・土屋「まだ始める前です(笑)でも、めちゃくちゃ兄弟愛を感じて。それで、『絶対に治りますよね』って言いながら、お見舞いしてたんですけど、そういう熱い話をしてた直後に、お兄さんが傷口のガーゼをちょっとズラして、『気持ち悪いだろ…』って言ったんです」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)なんか空気を変えなアカンって思ったのかな?」
ナイツ・塙「その時は、ちょっと起きてたんですけどね」
ブラマヨ・小杉「起きてたん?(笑)」
ナイツ・塙「なんかお兄ちゃんやってくれてんなって思ったら、看護師さんが『なんですか、コレ?』って怒られて」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)」
ナイツ・塙「『傷口丸見えじゃないですか!』って」
ブラマヨ・小杉「カラカラになるじゃないですかって?(笑)」と語っていた。
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2012年06月09日放送の「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」にて、ナイツ・塙宣之、土屋伸之がゲスト出演していた。
ブラマヨ・小杉「二人は、そもそもどういう経緯で結成したんですか?」
ナイツ・塙「僕らは同じ大学だったんです。大学時代に、落語研究会で僕が3年生のときに部長をやってたんですけど、土屋くんがずっとお客さんとして見に来てたんですね」
ナイツ・土屋「学年が1個下なんですね」
ブラマヨ・吉田「へぇ、そうなんや」
ナイツ・土屋「1年生の時には、公認会計士を目指してましてね」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)お前、イメージ通りの生い立ちやんか」
ナイツ・塙「勉強ばっかりしてたんですよ」
ナイツ・土屋「1日10時間くらい勉強してて」
ブラマヨ・吉田「スゴイな」
ナイツ・土屋「1年生の時ですけど、もう全然ついていけなくなって。キツイ勉強の合間に、塙さんたちがやってるライブが大学の中でやってたんですけど、それを観に行くのが唯一の楽しみだったんですよ」
ブラマヨ・小杉「大学行かせ甲斐ある子供やなぁ(笑)」
ナイツ・塙「親はね」
ブラマヨ・小杉「10時間勉強してて、合間に同好会の落語観に行くのが楽しみって」
ナイツ・土屋「唯一の楽しみだったんですよ」
ブラマヨ・小杉「授業料分、満喫してるやん大学を」
ナイツ・塙「そうですね。いいお客さんでしたね」
ナイツ・土屋「勉強ついていけなくなって。パンクして。もう、投げ出したんです」
ブラマヨ・吉田「演芸ホールとか、お笑いの劇場に行こうとは思わへんかった?」
ナイツ・土屋「時間が無かったからですね。勉強が基本でしたから」
ナイツ・塙「学生でしたからね。お金が無かったですから。同好会の落語は、タダでしたからね」
ナイツ・土屋「大学の中でやってたんでね(笑)それが、めちゃくちゃ面白くて。塙さんは、その時の部長だから、一番、尊敬する芸人なんです。その時から」
ブラマヨ・吉田「塙さんやぁ!みたいな」
ナイツ・土屋「本当にそんな感じでした。公認会計士を諦めて、何をしようってときに、大好きだった落研にまず入ろうって思って入部したのが2年の秋くらいですね」
ナイツ・塙「そうですね。当時、僕は1個上の先輩と『ナイツ』ってコンビで漫才をやってたんですよ」
ブラマヨ・小杉「えぇ?前身の第一期ナイツがもうあったんや」
ナイツ・塙「あったんですよ」
ナイツ・土屋「学生時代、一番に面白かったナイツってコンビがあって」
ナイツ・塙「土屋くんは、二代目なんですよ」
ブラマヨ・吉田「なんでそんなナイツってコンビ名にこだわってるの?」
ナイツ・塙「いや、僕がどうしようって言ったときに、『ナイツってコンビが好きなんで、そのままナイツってコンビで良いです』って言ってくれたんです」
ナイツ・土屋「"ナイツ"に憧れてたんで。だから、『コンビ名どうする?』って訊かれたときに、『ナイツのままでいきましょう』って」
ブラマヨ・吉田「すごいな。NHKのドラマ見てるみたいやな」
ナイツ・塙「ドキュメンタリーみたいな感じで」
さらに、以下のように語っていた。
ナイツ結成後
ブラマヨ・小杉「聞いたところによるとね、塙と第二期ナイツを結成直後、塙が事故ったって聞いて」
ナイツ・塙「そうですね。2000年の4月にコンビを組みましたけども、6月にバイクを運転してまして、僕の不注意でめっちゃ飛ばしてたら、横から乗用車と思い切りぶつかっちゃいまして。それで、左大腿骨が折れて外に出てしましまして」
ブラマヨ・小杉「えぇ~!大腿骨が?」
ナイツ・塙「大腿骨の開放複雑骨折って言って、真っ二つに折れて、粉々になっちゃったんです。それで、切断しなきゃいけないって状況になったんです。でも、なんとか繋がって、というか。それくらいの大事故があったんです」
ブラマヨ・小杉「うん」
ナイツ・塙「それが、コンビ結成して2ヶ月で、もうグチャグチャになって、もう歩けないかもしれないんですよ。それで、もう相方としては普通は、『舞台にも上がってないし、コンビ解消しませんか?』って言うでしょ」
ブラマヨ・小杉「うん」
ナイツ・塙「でも、逆で。毎日お見舞いにきてくれて。毎日、お世話してくれたんです。だから、コンビ組んで一番最初にしてくれたことは、僕の介護なんです」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)なんで?せっかくお笑い芸人やろうと思ったのに、なんちゅう事故やねん、可哀想やけども…みたいにならなかったの?」
ナイツ・土屋「でしたけど、でもやっぱり僕は治るって信じてたんで」
ブラマヨ・吉田「でも、そこからすぐに動いて、大学4年の6月やから、まだ就職間に合うよな」
ナイツ・塙「間に合います」
ナイツ・土屋「はい。でも、諦められなかったんです。だから、治るって信じて毎日行って。そしたら、塙さんの兄が、先に芸人やってて。病室で一緒にいて。そのとき、塙さんが寝ちゃってたときに、『良いからね。土屋くんには土屋くんの人生があるから。良いから…』って、涙を浮かべて言ってくれたんです」
ブラマヨ・小杉「お兄さんが?あんな陽気なご当地ソングを歌ってた人が?」
ブラマヨ・吉田「ベースに乗せてた?」
ナイツ・土屋「まだ始める前です(笑)でも、めちゃくちゃ兄弟愛を感じて。それで、『絶対に治りますよね』って言いながら、お見舞いしてたんですけど、そういう熱い話をしてた直後に、お兄さんが傷口のガーゼをちょっとズラして、『気持ち悪いだろ…』って言ったんです」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)なんか空気を変えなアカンって思ったのかな?」
ナイツ・塙「その時は、ちょっと起きてたんですけどね」
ブラマヨ・小杉「起きてたん?(笑)」
ナイツ・塙「なんかお兄ちゃんやってくれてんなって思ったら、看護師さんが『なんですか、コレ?』って怒られて」
ブラマヨ・小杉「はっはっはっ(笑)」
ナイツ・塙「『傷口丸見えじゃないですか!』って」
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