象徴の設計・・・松本清張
「象徴の設計」で山県有朋や、かれが創った参謀本部に興味が湧いてきました。
たまたま、本屋でこの本が平積みされていたので買いました。
もともと、明治・大正・昭和初期の軍隊のしくみには興味がありました。
明治初期に3万人しかいなかった軍隊が暴走し始め、太平洋戦争時に数百万に膨張し、崩壊にいたった過程を知りたいと考えていたのです。
日本陸軍は西南戦争で産声をあげ、日清、日露戦争、第一次世界大戦で絶頂期を迎えるのですが、すでに誕生期に致命的な欠陥を内包していました。
20世紀にはいってからの戦争は、軍隊対軍隊でなく、国家対国家の総力戦になっていました。
つまり、政治・外交・軍事を一本化する必要がありました。にもかかわらず、山県は陸軍を自由民権運動の影響を受けないようにするため、政治から切り離し、さらに海軍とも参謀部を別にするなどして、隔離しました。その結果、陸海軍・政府の意見を統合する場が存在しませんでした。
にもかかわらず、日露戦争・第一次世界大戦で勝利を収めることができたのは、組織的には分離していても、山県有朋、伊藤博文など薩長を中心とした人脈でなりたっている軍・政府には一貫性があったせいだと著者は分析しています。
明治の元老が死に絶えると、あとは欠陥をかかえた組織だけが残ります。政府、陸軍、海軍は勝手な方向性を打ち出し、陸軍は、中央の命令が戦地にゆきわたらないという自壊現象が発生しはじめます。
数百万人の国民を死においやり、それ以上の被害を近隣諸国に与えた大戦がなんの主義主張、方法論もなくいきあたりばったりでおこなわれたことについて驚きを感じざるをえませんでした。
自分の身をふりかえってみると、会社などの組織運営で、「まぁ、よくわからんけど、とりあえずやってみますか」的な決定を下していることが少なからずあります。
でも、それが許されるのは、失敗しても上司に怒られるとか、給料が少し減るくらいのものでしかないからです。
同じレベル感で国家運営されたり、いわんや戦争なんかされたらたまりません。
国家の指導者層がバカだと、本当におそろしいなぁ、とつくづく思いました。