注文してもない料理店
その日は、大寒に相応しく強い北風が頬に突き刺さる寒い寒い夜だった。秋に開催される中四国臨床工学技士会山口県大会の打ち合わせを終えて、徒歩でわずかのところにある大衆的なもつなべ店に6名で集合した。昨今の日本の縮図のような、寂びれたローカル線の駅に寄り添うようにひっそりと佇む風情。真冬でもソフトクリームの電飾だけが煌々と灯されているが、今日の寒さでなんとなく灯りにぼかしが入っているようにも見えた。
戸口を空けると、韓国のオンドルが設置されてそうなワンフロアと、昭和を感じさせる卓上コンロとちゃぶ台。意外にも他のお客さんが二組も居る。最近はやりの「掘りごたつだったら良かったのにな」と感じながら腰を下ろす。大よそ色気のないバイトと思われる女子店員さんが1名で忙しそうに対応していた。男6人、普通で考えれば「とりあえずビール」が定番ではあるが、最近は時代の変化と規制強化も相まってノンアルコールを頼む機会も増えている。物語はそこから始まった。
「とりあえずビール、それとノンアルも2つ。」
「すみません、ノンアル置いてないんです。」
そうか、切らしたんだな。大して繁盛している風でも無さそうだから仕方ないか。
「どっかその辺で買ってこいや」
と後輩に冗談を言いながら、コーラ2つで乾杯。打ち合わせの続きも含めて歓談が始まった。もつなべ店なのでもつなべを人数分注文するのは王道として、サイドメニューに焼肉もある。といってもホルモンが中心でがっつり焼肉と言う感じは無く、ひっそり”とんちゃん”と言う感じである。
「ホルモンとカルビー。」
「はい。ありがとうございます。」
「それと、ミノとレバー。」
「あ…すみません、それ置いてないんです。」
「え?メニューに載ってるよ。」
「はい、さっきまではあったんですけど…。」
と隣の卓に目をやる店員。そうか、あれで終わりだったんだな。大して繁盛している風でも無さそうだから仕方ないか。
「んじゃ、チヂミとチャンジャ。」
「あ…すみません、ないんです。」
「は?メニューに載ってるよ。」
「はい、普通はあるんですけど今日は…」
なんだか怪しくなってきたぞ。まぁ大して繁盛している風でも無さそうだから仕方ないか。
「んじゃ、キムチはある?」
「はい。キムチはあります。」
即答である。どうやら、このバイトの店員さんそこそこ経験があって、店の内情を知り尽くしているようだ。そう言えばさっき電話で当日予約をした時は、やけに対応が機敏だった。と言うことは、何があって何が無いのか把握している可能性が高い。と言うことは次に何が注文されるのか内心ドキドキしている可能性が高い。
…ムフフ( ̄ー+ ̄)
店員対お客。ここからお互いの深層心理を推察する壮絶な戦いが始まったのであった。
「いったい何があるんだろう?」
そういう疑問がグループの中で話題となるのは必然である。「これはある。」、「いやない。」、「これはきっとある。」、「そうだなありそうだな。」と料理そっちのけで、あるかないかの話題に集中する男6人。それを遠目で聞き耳を立て、不安げに様子を伺う女子店員。何とも言えない空気がもつなべの香りに混じって部屋中を駆け巡った。
「あれ、あるんじゃない!?」
日頃から遠慮のなくズケズケ言う男が大声で叫んだ。指差した方向を直視する他の5人と、店のはずれからこっそり横目で伺う女子店員。指差した方向に示すものはハイボール。どこぞのメーカーが綺麗な女優を駆使して魅せるポスターが、1杯○○円と華やかに貼られていいる。もつなべ店という性格上、ハイボールが無いとは常識的に考えられない。恐る恐る注文してみると。笑顔で
ホッ。安堵した空気が部屋中を漂ったが、次の瞬間その空気は脆くも打ち破られた。
「んじゃ3ハイ」
「…すみません、1ハイで終わりです。」
そう言って、速やかにポスターを剥がす女子店員。はぁぁぁぁ?( ̄Д ̄;;それはないやろ。もつなべ店という性格上、ハイボールが無いとは常識的に考えられない。…はずだったのだが。もうこうなると、この店を楽しむしかない。そうだ!店を入る時にソフトクリームの電飾。客引きの目的かどうかは置いといて、寒空に煌々と存在感を示していたあのネオン。これの勝負は如何に?
「あると思う人~。一口100円」
ついに、賭けが始まった。○と×がないと賭けは成立しないが、微妙にバランスが整って、2対4、1対5など何度も勝負を重ねて行き、快活なガッツポーズと歓声が夜遅くまでこだましたのであった。
最後に店の奥から、店主と思われるおばちゃんの登場。店の歴史と注文してもない言い訳を15分程度熱心に話され、お腹も心もいっぱいになって店を後にしたのであった。お腹を満たしに行ったはずだが予想だにしない楽しさを実感することができた。次はどの程度注文してもないのか?楽しみだ( ^ω^ )。
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