秋吉久美子さんがっ語った、「卵で産みたい」発言の真意とは―― (写真:新潮社)

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 女優・秋吉久美子さん、70歳。作家・下重暁子さん、88歳。昭和の時代から活躍してきた彼女たちの年齢を見て、感慨にふける向きも多かろう。このたび、そんな二人が「親子」について語り合う『母を葬(おく)る』(新潮新書)が刊行された。

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 娘にとって「母を知る」とは「自分を知る」ことでもある。男性と肩を並べて仕事にまい進してきた二人は、今にも増して複雑だった「女性の葛藤」について振り返る。(以下「週刊新潮」11月28日号より転載)【全3回の第1回(第1回/第2回/第3回)】

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「人気絶頂期」に子どもができて……

秋吉 これまで自分の年齢なんてこれっぽっちも意識してこなかったけれど、この間ついに古希を迎えたんですよ。人生のベテランといってもいいのかな、70歳です。

秋吉久美子さんがっ語った、「卵で産みたい」発言の真意とは―― (写真:新潮社)

下重 私はいま88歳。いわゆる米寿ですが、実年齢とは別に「自分が思っている年齢」を持つようにしています。どういうことかというと、還暦を迎えたときに1歳から勘定し直すようにしたんです。だから今は28歳というわけ。

秋吉 青春を謳歌されているのですね。確かに還暦って、暦が一巡りしてリセットされること。そう考えると、なんだか心が軽やかになるような……。ともかく「実年齢」のほうでお互い節目の年を迎えたタイミングに、こうしてお話しするようになるなんて。

下重 私、ずっと秋吉さんにお話を聞いてみたいと思っていたんですよ。出演作品もたくさん観ていますが、とにかく印象的だったのは「卵で産みたい」発言。妊娠されて、1979年にそれを公表するマスコミの囲み取材で話していましたね。あれは名言でした。

昭和の時代から活躍し、男性と肩を並べて仕事にまい進してきた二人が、今にも増して複雑だった「女性の葛藤」について振り返る。秋吉久美子さん(左)と下重暁子さん (写真:新潮社)

秋吉 当時、私は24歳。いわゆるできちゃった婚でしたし、あの発言が大々的に報道されて、私はますます「ぶっ飛んだ子」、まるで宇宙人みたいな扱いを受けました。

下重 それはもう、めちゃくちゃに忙しかった時期でしょう?

秋吉 そうなんです。当時のマネジャーの意向で、妊娠6カ月ごろまで子どもができたことは伏せて仕事していたの。ロケで訪れたアメリカでは1日10時間もバスで移動して、オーバーワークでこげ茶色のオシッコが出ました。

【70歳と88歳が語る、苦しくも愛しい“家族という呪縛”】過剰とも思える愛情を注がれて育ったものの、理想の娘にはなれなかった……看取ってから年月が過ぎても未だ「母を葬(おく)る」ことができないのはなぜなのか。“家族という名の呪縛”に囚われたすべての人に贈る、女優・秋吉久美子と作家・下重暁子による特別対談 『母を葬(おく)る』

下重 そんな無茶な働き方を……。

秋吉 同時期に連続ドラマの撮影を掛け持ちしていて、早朝から深夜まで1日20時間の撮影をこなすこともザラでした。さすがにド根性だけでは乗り切れなくなっちゃった。腎臓も肝臓もボロボロの状態だったと思います。

「卵で産みたい」発言の真意

下重 そのあとに、あの「卵発言」があった。

秋吉 はい。仕事を続けながらの妊娠・出産が女性にとってどれだけハードなことか、身をもって感じていましたから。

「できることなら卵で産んでしまいたい。それから3年くらい大事に温め続けて、時間と心に余裕ができてから、落ち着いて育てたい」。――そんな切実な思いを抱いていましたし、当時の社会矛盾に対しても一石を投じたかったんです。

下重 とってもよく分かります、私も長年「キャリアウーマン」をやってきましたから。

 31歳でNHKのアナウンサーを辞めたあとは、民放でキャスターの仕事をする傍ら、文筆業にも打ち込みました。もともとは体が弱かったのに、社会人になってからは風邪をひくヒマもないくらい忙しかった。

 私は子どもを産まない選択をしましたが、秋吉さんの報道を見て、「卵でなら産んでもいいな」って思えたのよ。

秋吉 第一線で活躍する女性にそう感じていただけたのならありがたい。

 どういうわけか、私はいまだに“不思議ちゃん”のような印象を抱かれることが多くって。「卵で産みたい」だって単なる例え話に過ぎませんが、100人いたら100とおりの解釈をされますよね。面白いと言ってくれる人もいたし、「プッツン」のレッテルを貼る人もいました。

「不適切にもほどがあった!」昭和の職場

下重 世間のイメージはさておき、あなた自身はわりと論理的に話すタイプなんじゃないかしら?

秋吉 根はけっこう理屈っぽいんです。ただ、日本における女優さんって「かわいいひと」であることを求められる。男性に脅威を与えたり、コンプレックスを抱かせたりしない、純粋無垢な存在でなくちゃならない。期待を裏切らないために、言葉をぐっと呑み込む場面も少なくありませんでした。

下重 門外漢なので芸能の世界のことは分かりませんが、「女性たるもの、こうであってほしい」という幻想を押し付ける男の人たち、昭和の時代はとにかく多かったですね。

 かくいう私もアナウンサー時代、「カワイ子ちゃん」のように振る舞っていたことがあります。仕事と割り切って従順そうに奥ゆかしくしていたらラブレターが殺到した。それが私の本来の姿だと信じ込んでしまったのでしょう。会ったこともない男性から求婚されたことも。

秋吉 いきなりプロポーズとはすごいですね。女優の場合、顔や体が言動と一致しないと仕事は非常にやりにくいのです。私の場合は不一致も甚だしかった。

下重 本当にね、働く女性に対する世間の風当たりは強かったですよ。妊娠中に「そんなでかい腹をして、よく職場に出てこられるな」なんて暴言を浴びせられた同僚もいます。NHKに勤めていた頃の話です。

秋吉 不適切にもほどがある!

下重 今の時代だったら一発アウト、謹慎処分モノですよね。とりわけ自分の言葉を持っている女は周囲から煙たがられました。当時はウーマン・リブ運動の黎明期でもありましたが、現実が理想にまったく追いついていなかったんです。

(第2回に続く)

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 第2回【「どうして女子アナに…」とぼやかれた元NHKアナ 「理想の娘」になれなかったと明かす二人が語った「家族」【秋吉久美子×下重暁子】】では、何十年も前に看取った母といまだ訣別(けつべつ)できておらず、その根っこの部分には「理想の娘」になれなかったことが影を落としているというが――。第一線で活躍してきた二人の「家族」について語ってもらった。

 また、第3回【「死んだらどうなるの?」末期がんの母に応えられなかった後悔――いまだに「葬れない」と感じてしまう「娘側の本音」とは【秋吉久美子×下重暁子】】では、看取ってから年月が過ぎた今も「母が本当に死ぬのは、自分が死ぬ時」と語る真意などについて明かしてもらった。

秋吉久美子(あきよし・くみこ)
1954年生まれ。1972年、映画「旅の重さ」でデビュー後、「赤ちょうちん」「異人たちとの夏」「深い河」など出演作多数。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修了。

下重暁子(しもじゅう・あきこ)
1936年生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。民放キャスターを経て文筆業に。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数。

デイリー新潮編集部