新型コロナウィルスの感染拡大がジワジワと深刻になってきて、首都東京の状況も厳しいものになってきた。
あの志村けんさんも、コロナで亡くなってしまった。
ドリフ世代の自分としては、本当に悲しい。小さい頃から、志村けんだけは死なないと、なぜかずっと思っていた。心から、本当に心から、ご冥福をお祈りします。
そんなショッキングなニュースも相まって、いよいよ日本も緊急事態宣言か、東京もロックダウンか⋯と、いかにも胸がざわざわさするような状況になってきたように見える。
しかし、この日本ではシンゾーの緊急事態宣言もユリコのロックダウン宣言も必要ないと、個人的には思う。
思うを超えて、これはほぼ確信。
何故か。
26日に小池百合子都知事が週末の外出自粛要請を出して、関東近県もそれに追随した。
そしたら一気に、世間はそれに従ったじゃないですか。
インスタではさっそく「おうち時間」というタグがつくられ(仕事が早い!)
各界の著名人も、こぞって「今は家にいよう!」と呼びかけた。
雰囲気が一変。街は想像以上に人出が減り、それでも外出している人はいるけれど、そんな人達に対して「外に出るのは悪!」「こんな時になぜ外出するんだ!」という空気が、一気に蔓延した。それはコロナの蔓延よりも、強力で早かった。
「あそこのサッカー部が練習してました!いいんですか!皆さん拡散してください」という、晒して同調を求める投稿も見た。
「みんなやりたくても休んでるのに…決まり的なことには従うべき」という、謎のコメントも見た。
「決まり的なこと」この言い方、いかにも日本人らしいな。。
緊急事態宣言でも、非常事態宣言でも、戒厳令でもない。自粛が自粛を呼び、自粛が萎縮となり、そして知事に「要請」されただけで、ここまでの同調空気はいとも簡単につくられた。
ちなみにうちのクラブは3月16日から練習も試合もしてるのだけど、やはり、それを揶揄し批判する同業者の声も聞こえてきた。
今日(3/30)所用で渋谷に来たんですよ。また怒られるかもしれないけれど。
あの渋谷が、本当にガッラガラ。いつ来てもほぼ満席状態のカフェには、自分以外に客がいなかった。
レジのお姉さんに「朝からこんな感じなんですか?」って聞いたら「はい⋯そうなんですよ」と苦笑いされた。「こんな時だから仕方ないですよね」とも言っていた。
営業を休んでるお店も、たくさんあった。
ただ「要請」されただけなのに。その補償をしてくれる目処も、政府はまだまるで示さないのに。
(補償は速やかにするとか言いつつ、安倍晋三はその時期について一切明確に言ってない)
これら全て、要請されただけで。
ここに、日本人の特徴が見如実に表れていると思う。
よく言えば素直。しかし悪く言えば 従順、従属、同調。
好きな言葉は「みんなやってるから」
嫌いな言葉は「自分だけ」
「お上の言うことには逆らいません」という昔からのDNAが、今回見事に発揮されている。
もちろん、感染を本当に防ぎたいから今は自重しておこう、甘くみたらイタリアやスペインのようになる⋯というような危機感を自分で持った上での行動ならば、それは本当に素晴らしいこと。そして見習いたい。
しかし、政府や知事に要請されたからというだけで「自粛」をした人は、逆に「大丈夫かな」っていうムードに周りがちょっとでもなったら、一気にみんな街に出るでしょう。
自分で考えるというフィルターを通さずに、従順に、皆と、世間と、周りの目と同調して。
というわけで
ただ要請されただけでここまで従順に従い、従わない人を徹底的に晒し上げて叩く社会の空気が出来上がっているのだから、安倍晋三が張り切って緊急事態宣言を出さなくても、小池百合子が出しゃばってロックダウン宣言しなくても、ただひと言「要請」するだけでここまで皆が従ってくれるんだから、わざわざ宣言出さなくてもたぶん大丈夫。
こんな日本を、戦後日本の先人たちはさらに磨き上げ作り上げてしまった。だから安倍晋三のような人物が2回も総理になれたのだし、あんな人物が7年も総理を続けられている。おっと、この件についてはまた今度たっぷり。
幸か不幸かこんな国民性だから、それが功を奏しておそらく日本ではイタリアやスペイン、アメリカのような事態までには広がらないのではないかと、個人的には思ってます。この予感、今回ばかりは当たりますように。
偉そうに言いつつ、自分も先週末は友達とこんなLINEして盛り上がってたから、結局は典型的な「ザ・日本人」なのかもしれぬ。OMG