来日したローマ教皇が、離日する直前、最後に上智大学の学生達に語った言葉がとても素敵で、優しくて、尊いものだったので、ここでシェアします。
新自由主義が蔓延り、競争に追われ、弱者を嗤う者が増え、総理大臣を筆頭に政治家は平然と嘘をつき、けれどそんな権威に平気で従属する者、どうせ…と、諦めてしまった多くの人。
そんな事なかれ主義に浸かってしまっている多くの日本人は、このフランシスコ教皇の言葉を襟を正して聴くべきだ。心で聴いて、必ずどこかに残っているであろう理性で考えてほしい。
心に響いたいくつかの部分を抜粋します。
この大学の学生の中に、何が最善なのかということを意識的に理解したうえで、責任をもって自由に選択するすべを習得せずに卒業する人がいてはなりません。
若者たちが単に準備された教育の受け手となるのではなく、若者たち自身もその教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うことに注力すべきです。
それぞれの状況において、たとえそれがどんなに複雑なものであったとしても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような責任あることに関心をもつ者となってください。
そして、決然と弱者を擁護する者と、ことばと行動が偽りや欺瞞であることが少なくないこの時代にあって、まさに必要とされるそうした誠実さにおいて知られる者となってください。
真正な人間性とは、閉じた扉の下からそっと入り込む霧のように、ほとんど気づかれないながらも、新たな総合へと招きつつ、テクノロジー文化の只中に住まっているようです。
真正なものの粘り強い抵抗が生まれるのですから、いろいろなことがあったとしても、期待し続けることはできるのではないでしょうか。
常に「弱者に寄り添う側であること」
これを、僕も忘れないでいたいと思う。
ローマ教皇の講話(上智大学YouTube)
https://youtu.be/82iNNjeca1I
ローマ教皇のメッセージ日本語訳・全文
(バチカン市国HPより)
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愛する兄弟姉妹の皆さん。
わたしの教皇としての日本司牧訪問の最後に、貴国を発ってローマに戻る前の少しの時間を皆さんとともに過ごせることを大変うれしく思います。
この国での滞在は短いものでしたが、大変密度の濃いものでした。神と、日本のすべての人々に、この国を訪れる機会をいただいたことを感謝します。
日本は、聖フランシスコ・ザビエルの人生に多大な影響を与えた国であり、多くの殉教者がキリスト教信仰をあかしした国です。キリスト教信者は少数派ですが、存在感があります。わたし自身、カトリック教会に対して一般市民がもつ好意的評価を目にしましたが、こうした互いの敬意が、将来において深まっていくことを期待します。
また、日本社会は効率性と秩序によって特徴づけられていますが、一方で、何かそれ以上のものを望み、探しているように見受けられます。よりいっそう人間らしく、もっと思いやりのある、もっといつくしみに満ちた社会を創り出したいという熱い望みを感じます。
学問と思索は、すべての文化にあるものですが、皆さんの日本文化はこの点において、長い歴史にはぐくまれた豊かな遺産として誇るべきものです。日本はアジア全体としての思想とさまざまな宗教を融合し、独自の明確なアイデンティティをもつ文化を創り出すことができました。
聖フランシスコ・ザビエルが深く感銘を受けた足利学校は、さまざまな見聞から得られる知識を吸収し伝播するという日本文化の力を示す好例です。
学問、思索、研究にあたる教育機関は、現代文化においても重要な役割を果たし続けています。それゆえ、よりよい未来のために、その自主性と自由を保ち続けることが必要です。大学が未来の指導者を教育する中心的な場であり続けるとしたら、そこでは、及ぶかぎり広い範囲における知識と文化が、教育機関のあらゆる側面が、いっそう包摂的で、機会と社会進出の可能性を創出するものになるような着想を与えるものでなければなりません。
ソフィア(上智)
人間は自らの資質を建設的かつ効率的に管理するために、真のソフィア、真の叡智なるものをつねに必要としてきました。あまりにも競争と技術革新に方向づけられた社会において、この大学は単に知的教育の場であるだけでなく、よりよい社会と希望にあふれた未来を形成していくための場となるべきです。
そして、回勅『ラウダート・シ』の精神で、自然への愛についても加えたいと思います。
自然への愛は、アジアの文化に特徴的なものです。ここに、わたしたちの共通の家である地球の保護に向けられる、知的かつ先見的な懸念を表現すべきでしょう。その懸念は、技術主義(テクノクラティックパラダイム)の一部である還元主義的な企て全体を掘り下げ、疑問視できる、新たなエピステーメーの促進と結びつきうるものです(同106-114参照)
見失わないでください。
「真正な人間性とは、閉じた扉の下からそっと入り込む霧のように、ほとんど気づかれないながらも、新たな総合へと招きつつ、テクノロジー文化の只中に住まっているようです。真正なものの粘り強い抵抗が生まれるのですから、いろいろなことがあったとしても、期待し続けることはできるのではないでしょうか」(同112)
上智大学はつねにヒューマニズム的、キリスト教的、国際的というアイデンティティによって知られてきました。創立当初から、さまざまな国の出身の教師の存在によって豊かにされてきました。時には対立関係にある国々からの出身者さえいました。しかしながら、すべての教師たちが、日本の若者たちに最高のものを与えたいという願いによって結ばれていたのです。まさにこれと同じ精神が、皆さんが日本と国外で、もっとも困っている人々を支援しているさまざまなかたちの中に脈々と続いています。
皆さんの大学のアイデンティティのこのような側面がいっそう強化され、今日のテクノロジーの大いなる進歩が、より人間的かつより公正で、環境に責任ある教育に役立つものとなると確信しています。
上智大学が礎を置く聖イグナチオの伝統に基づき、教員と学生が等しく思索と識別の力を深めていく環境を作り出すよう、推進していかなければなりません。この大学の学生の中に、何が最善なのかということを意識的に理解したうえで、責任をもって自由に選択するすべを習得せずに卒業する人がいてはなりません。
それぞれの状況において、たとえそれがどんなに複雑なものであったとしても、己の行動においては、公正で人間的であり、手本となるような責任あることに関心をもつ者となってください。
そして、決然と弱者を擁護する者と、ことばと行動が偽りや欺瞞であることが少なくないこの時代にあって、まさに必要とされるそうした誠実さにおいて知られる者となってください。
イエズス会が計画した「使徒の世界的優先課題」は、若者に寄り添うことが、世界中で重要な現実であることを明確にし、イエズス会のすべての教育機関が、こうした同伴を促進すべきとしています。
若者をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)と関連文書が示しているように、教会全体が、世界中の若者たちを、希望と関心をもって見つめています。
皆さんの大学全体で、若者たちが単に準備された教育の受け手となるのではなく、若者たち自身もその教育の一翼を担い、自分たちのアイデアを提供し、未来のための展望や希望を分かち合うことに注力すべきです。皆さんの大学が、このような相互のやり取りのモデルを示し、そこから生み出される豊かさと活力によって知られる存在となりますように。
上智大学のキリスト教とヒューマニズムの伝統は、すでに述べたもう一つの優先事項と完全に一致します。すなわち、現代世界において貧しい人や隅に追いやられた人とともに歩むことです。自らの使命に基軸を置く上智大学は、社会的にも文化的にも異なると考えられているものをつなぎ合わせる場となることにつねに開かれているべきです。そうすれば、格差を縮め、隔たりを減らすことに寄与する教育スタイルを推進しうる状況を追求しつつ、隅に追いやられた人々が大学のカリキュラムに創造的に巻き込まれ、組み入れられるでしょう。
良質な大学での勉学は、ごく少数の人の特権とされるのではなく、公正と共通善に奉仕する者という自覚がそこに伴われるべきです。それは、各自が働くよう課された分野で、めいめいが果たす奉仕なのです。わたしたち全員にとっての大義であり、ペトロがパウロに与えた今日でも明白な助言です。「貧しい人たちのことを忘れてはいけません」(ガラテヤ2・10参照)
上智大学の愛する若者、愛する教員、愛する職員の皆さん。このようなわたしの考えと、今日のわたしたちの集いが、皆さんの人生とこの学びやの今後において実を結びますように。
主なる神とその教会は、皆さんが神の叡智を求め、見いだし、広め、今日の社会に喜びと希望をもたらす、その使命に加わるよう期待しています。どうぞ、わたしのため、そしてわたしたちの助けを必要としているすべての人のために、祈ることを忘れないでください。
最後に、いよいよこうして日本を離れるに際し、皆さんに感謝します。そして皆さんを通して、すべての日本の人に、わたしの訪問中にくださった心のこもった温かい歓迎に感謝いたします。わたしの胸の中に、祈りの中に、皆さんがおられることを約束します。