中央公論新社 編『対談 日本の文学 わが文学の道程』を読む

 中央公論新社 編『対談 日本の文学 わが文学の道程』(中公文庫)を読む。1960年代の後半に中央公論社から『日本の文学』全80巻が刊行された。その月報の対談を編集したもの、全3巻で刊行予定の2冊目。29篇が収録されている。

 武者小路実篤と本多秋五が対談している。谷崎潤一郎と円地文子、川端康成と三島由紀夫。今から見ると大物同士だ。

 小林秀雄と大岡昇平の対談が興味深い。

大岡昇平  あのころ、あんたは柳田国男を泣かせたり、よく年寄りをいじめたときだったけれど。

小林秀雄  それは絶対デマだよ、そんなことは絶対にない。

大岡  だって、俺にそう言ったじゃない。岩波文庫でフレイザーの「金枝篇」が出たころ、お前、なんだ、「金枝篇」を読んだらまるで骨格が違うじゃないか、と言ったら、柳田さんはなにも返事をしなかったが、ぽろっと涙を一つこぼしたって、言ってたよ。

小林  思い出さないね。君が覚えているならしょうがねえや。それはまあ、俺が言ったから涙をこぼしたわけじゃないよ。

大岡  俺の感じではね、とにかく相手は民俗学を長くやってきた大家でしょう。しろうとの君に罵倒されて、それを聞いて我慢しなければならない。正宗(白鳥)さんは、内容浅薄と書いたけれども、柳田国男は返す言葉もなかったんじゃないかな、

小林  僕は酒を飲むといけなかったけれども、罵倒ということはした覚えがない。お前さんにはそう伝えたかもしれないけれども、そういうことはないよ。

 

大岡  「近代絵画」には、わりとあんたの過去の思い出があるように思うな。ボードレールのことを、あんなにていねいに書いたことはなかったでしょう。

小林  つまり回顧的になっていることか。

大岡  「セザンヌ」の章がとくにいいな。

小林  セザンヌは好きだからな。だけれど、ピカソはほんとうは好きじゃないんだよ。ただ問題性があって別なところで好きなんだ。ピカソはスペイン気質というか、旺盛な生活力があるんだが、それがつかめないからぼくのピカソ論というのは不良なものですよ。やはり好きにならないと、見方が意地悪くなるもんですよ。あれは意地悪な論文ですよ。

 

 石川淳と安部公房が対談している。昔誰かが、石川淳~安部公房~大江健三郎~倉橋由美子という系譜があると指摘していた。石川と安部は共通の資質があるだろう。

 末尾は対談ではなく、3人くらいの座談会を収録している。中村真一郎と福永武彦と遠藤周作、堀田善衛と安部公房と島尾敏雄、安岡章太郎と吉行淳之介と曽野綾子、石原慎太郎と開高健と大江健三郎。この石原と開高と大江の座談会が興味深いが、石原が主導権を握って話しているのでつまらなかった。

 

 

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