西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第三番】風猛山 粉河寺

宗派 粉河観音宗 総本山
本尊 千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓 たのもしの身や
649-6531 紀の川市粉河寺2787
公式サイト https://www.kokawadera.org




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さて、朝食を早々に済ませ、
亀の井ホテル富田林を、
午前8時前にチェックアウトをして、
再び大阪府内から和歌山県へと戻ります。



大神社




さて、午前9時少し前に、
第三番の粉河寺の門前に到着しました。
お寺の参道、大門の手前に、
この天照大神を祀る大神社があり、
その小さな境内右手に、
「日本の凄い神木」にも載っている、
この「大神社のクスノキ」があります。







大神社のクスノキ  大神社のクスノキ



伝承樹齢1000余年、幹回り15m、樹高25m。
「御神木に触れてパワーを頂いて下さい」
という立札が立てられています。
台風対策をしていた地元の方々が、
誇らしげに我々に自慢なさっている様子が、
とても好印象に私の記憶に残りました。



大門
大門の金剛力士吽形  大門の金剛力士阿形




さて、車を参道右手奥の駐車場に停め、
お土産店に駐車料金を払って、
粉河寺の大門に戻りました。
宝永四年(1706)建立の、
重要文化財で総檜造り。
金剛力士は仏師春日の作と伝わり、
桂の木の巨木で作られいます。



粉河寺案内図



この案内図に従って、
川沿いにある境内を、
本堂方面へと進みます。




不動堂  童男堂
諸堂  諸堂
石碑群



不動堂、童男堂と諸堂や石碑が立ち並ぶ参道。



出現池  出現池




この出現池は、本尊千手観音の化身、
童男大士(童男行者)が白馬に乗って、
この池から派手に出現したのだそうです。
ん?、この粉河寺は宝亀元年(770)の開創。
紀伊国那賀郡に住む猟師・大伴孔子古は、
幽谷の樹幹に足場を定めて、
夜ごと猪や鹿を狙っていましたが、
ある晩に光明輝くこの地を発見して、
その場所に庵を建てました。
後日、その庵に、
一夜を泊めてもらった童行者が、
孔子古が庵に仏像を安置したいという、
願いを叶えてやろうと、
七日七夜庵にこもって、
等身の千手観音像を刻んで立ち去りました。
時は流れ、河内国の長者、
佐太夫の一人娘が長患いしていましたが、
そこへ童行者が訪ねて来て、
千手陀羅尼を誦し祈祷して、
娘の病は回復しました。
童行者は長者のお礼を断って、
娘が捧げたお箸箱と袴のみを手に取って、
「紀伊国那賀郡粉河の者だ」
と、告げて立ち去ります。
翌年春、長者一家は粉河を訪ねますが、
探しあぐねて小川の傍らで休んでいると、
流れる水が米のとぎ汁のように白くなり、
粉河の証しであることを確信して、
その川を遡り庵を発見します。
扉を開けると千手観音が安置されていて、
娘が差し出したお箸箱と袴を持たれていたので、
あの童行者は千手観音の化身だと分かりました。
この開創の由来は、粉河寺所蔵の、
粉河寺縁起絵巻(国宝)等にて伝えられています。



ん?


ちょっと待って、
池から派手に出現した童男大士は、
どの時代のどんな場面なんだろう?
こんな奥ゆかしい童男大士が、
そんな派手な登場をするのは、
どんなシチュエーションなんだろうか⁉️
その後、粉河寺は多くの信仰をうけて繁栄し、
鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ヶ坊、
東西南北各々4km余の、
広大な境内地と寺領四万余石を有しますが、
天正十三年(1585)の紀州征伐で、
堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失します。
その後は、紀州徳川家の庇護により、
江戸時代中期から後期に、
現存の諸堂が完成します。
宗派は長く天台宗でしたが、
戦後に粉河観音宗の総本山として独立しました。



念仏堂  露座仏
朽ち果てた堂
太子堂  手水舎



念仏堂や阿弥陀如来露座仏、
なぜか朽ち果てた堂宇や、
太子堂を左手に見ながら、
中門手前の手水舎に出ました。




中門
中門の四天王  中門の四天王
中門の四天王  中門の四天王



三間一戸の楼門である中門は、
やはり軒まわりまで欅材で、
天保三年(1832)の建立で、
四天王を祀っています。
「風猛山」の扁額は、
紀州徳川十代藩主徳川治宝の直筆。




粉河寺庭園  粉河寺庭園



本堂前庭とその下の広場との、
高低差を処理する土留めとして、
またその下の広場から、
雄大な本堂を仰ぎ見る前景として築かれた、
粉河寺庭園は国指定名勝で、
安土桃山時代の作と推定。



丈六堂  阿弥陀如来坐像



文化三年(1806)建立の丈六堂には、
文字通り丈六の、
阿弥陀如来坐像がありましたが、
特に文化財の指定はないようです。



本堂  本堂近景



重要文化財の本堂で御朱印を頂きました。
西国三十三所の寺院の中で最大級の堂で、
享保五年(1720)の再建。
本尊千手観音(絶対秘仏)を安置する二重屋根の正堂と、
礼拝の為の一重屋根の礼堂を前後に並べた形式で、
他に類を見ない特異な複合仏堂。
ぐるりと内陣外周を一周することが出来ますが、
千手観音の眷属である二十八部衆像や風神雷神像、
徳川吉宗寄進の伝左甚五郎作、
「野荒らしの虎」に拝せます。
しかし中心部は扉と壁で囲まれた閉鎖的なスペースで、
土間床で中央に六角形の厨子を安置して、
ここにお前立ちの千手観音像があるとか。
この「お前立ち」像も秘仏で、
内陣背面の「裏観音」と称する、
千手観音立像には拝観可能です。
真の本尊は本堂下の地中に埋められているとか。



横から見た本堂  第3番御朱印




踞木地のクスノキ  踞木地のクスノキ
踞木地のクスノキ


門前だけではなく、
本堂右手にもクスの巨木がありまして、
こちらは「踞木地のクスノキ」。
幹周り7.7m、樹高20m。
これが宝亀年間頃に、
猟師・大伴孔子古が、
猪や鹿を狙っていた樹幹なのでしょうか。




千手堂  


千手堂は宝形造りの三間堂で、
宝暦十年(1760)の建立で、
やはり重要文化財。
千手観音菩薩立像を安置しています。
こちらも秘仏ですが、
平成二十年(2008)に、
10月1日から10月31日までの間、
217年ぶりに開扉されたんだそうです。




湯浅桜と六角堂  西国三十三観音の写し  



湯浅桜の隣の六角堂は、
享保五年(1720)の建立。
西国三十三所観音霊場の写し、
三十三体の観音像を祀っています。




鐘楼  門前の川





西国三十三ヶ所の寺院は、
こんな感じで全て巨刹なんだろうか。
だとすると今回は何番まで回れるだろうか。




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