泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

北欧の福祉だけ羨ましがるのはやめにしよう

 北欧諸国が社会保障のモデルとされるのを面白く思わない人は多い。国土、人口、税金、わかりやすい比較ポイントが並べられて、「だから日本では無理だ」と言われる。一方で、そうした福祉国家の成立条件うんぬんを言う以前に、社会保障の「手厚さ」が「甘さ」「ぬるさ」のように感じられて、批判したくなってしまう人々も多いだろう。

格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書)

格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書)

 この本はデンマークの「福祉」に焦点を当てたものではない。著者は日本とデンマークの架け橋になろうと長年にわたって尽力されてきた方である。彼によれば、デンマーク型の福祉制度を単純に輸入しようとしてもうまくいかない。しかし、その理由は前述したような論点とは全く異なるところにある。
 日本には、デンマーク的な福祉制度を受け入れられるような「教育」がない。まず変えていかねばならないのは、日本の教育のあり方だ、という理解から、著者は、デンマークの教育制度や教育哲学を紹介していく。
 以下は本書に書かれていたことの抜粋。できるだけ客観的な情報に絞り込んだつもりだけれど、一部には著者の主張や主観も混ざったかもしれない。

・0〜3歳までを保育園、3〜6歳までを幼稚園で過ごす。3歳までは保育ママの利用もできる。働いている女性が全体の7〜8割で、働く時間帯もさまざまなので、保育園や幼稚園は朝6時からでも利用できる。ただし、夜間に預けられる場所はあまりない。
・幼稚園に時間割はない。子ども自身が何をしたいか意思表示する力を大事にするため。
・保育園、幼稚園は義務じゃないし、収入を上げるために子どもを預けるのだから、有料。高校、職業別専門学校、大学は義務じゃないけれど無料。出生率は、2009年で1.8ぐらい。
・幼稚園を終えると、国民学校に入学。0年生から10年生まである。0年生から9年生までが「教育の義務」期間。
・「義務教育」ではなく「教育の義務」。学校に通わずに、親が教育してもいい。ただし、学校のテストには合格しなければいけない。
・保育園、幼稚園、国民学校には運営委員会があり、親の代表も複数入るが、日本的なPTAとは全く違う。国民学校では生徒会長なども加わり、人事事項に関すること以外の事案については発言ならびに投票権をもっている(たとえば教育手段や運営費の使い道など)。親は要望を出すだけでなく、どう実現させるかまでいっしょに考えて、決定しなければならない。親が勤労奉仕をしたり、寄付を募ったりすることもある。
・0年生は幼稚園から学校へ移るためにソフトランディングさせる期間。1年生に進むにはまだ早いと判断されると0年生を2回することもある。著者の娘も0年生を2回した。このまま1年生になっても適応しないと、教師と親が判断したら延ばす。
・1年生から6年生くらいまでは、ほとんどの学校でクラス替えもなく、同じ担任とともに過ごす。7年生から9年生が日本でいう中学校にあたるが、区別はなく、小中一貫教育。小学校から教科ごとに教師が異なる。
・担任の先生の9割以上は国語の教師。自国の言葉を教えることを重視しているから。副担任は算数の教師。教師の学校間の異動はない。
・美術は、それぞれが表現することを重視。教師は質問されれば答えるが、絵の描き方など指導しない。体育は、何をやりたいか子どもたちで話し合い、好きなスポーツをする。個人競技で優劣を競うことはしない。運動会もない。
・音楽や美術、体育といった本人の持って生まれた資質によって結果が影響されるものに対しては個々の評価をしない。
・教育の義務期間中は他人と競り合うことを教えない。成績重視の自由競争は高校から。テストはあるが、子どもの優劣ではなく理解度を確かめるもの。子どもが神経質になることも徹夜することもない。テストの点数が悪かったら、子どもたちのせいというよりも、教師のせいと理解される。
・8年生で希望する職場に1〜2週間の体験実習。警察であれ、軍隊であれ、自分で望んだ職場すべてに実習に行くことが可能。この職場実習で、首相のカバン持ちをした生徒がいた。
・7年生からでも読める『私は何になれるんだろう』という進路ガイドブックが毎年発刊され、すべての職種が紹介されている。職に就くために必要な専門教育の期間や初任給など書かれている。
・9年生のときにはじめて試験を受ける。筆記試験よりも口頭試験を重視。面接官は他校の教師が務める。自分の意見を相手に伝える力が普段の授業から重視されており、9年生の時点で話をする練度がすでに身についている。
・デンマークで高校に行くのは、大学を卒業しないと就くことのできない職業を目指す者のみ。「高校くらい卒業していなければ」という考え方は存在しない。高校への進学は50%。ほかは3年間の職業別専門学校に進学する。
・国民学校(小中学校相当)を終えた時点で、社会的な基礎能力、自立心や社会性が身についているという認識。国民学校が終わったら、ほぼ全員が日常会話程度の英語を話せる。一方で、数学や理科の基礎学力は低い。
・OECDの「15歳児の学習到達度調査」を見ると、デンマークのレベルは低い。しかし、子ども全体のレベルを底上げしようとは発想しない。個々の能力を最大限に伸ばすことを大切にしている。
・デンマークに学校給食はない。ほとんど自分で自分の弁当を作る。国民学校の0年生(6歳ぐらい)から親が教え始めている。2年生ぐらいになると、全部自分で作れる子どももいる。もし朝寝坊して弁当を作れずに学校へ行っても、教師が弁当を手配したり、食べ物をあげたりはしない。自分の行動に責任をもたせる。
・高校や職業別専門学校に進学するにはまだ学力が足りない、あるいは精神的に大人になれていないといった理由で、「10年生」としてもう1年間だけ過ごすことを選択できる。10年生に進むのはクラスの半分程度。
・10年生に「浪人生」のようなイメージはない。ストレートで進学することがよいという認識がない。
・職業別専門学校は公立。入学試験はなく、適格基準順に入学者を決める。就職難民が出ないように、人口推移や社会状況を見越して、定員は変化させる。高校や大学の定員も同様。そのため仕事がなくなる教師もいる。教師は公務員なのでリストラはないが、配置転換しなければならないので、専門学校の教師は、複数教科を教えられる者が多い。
・高校はすべて国立。入学試験はないが、卒業時には国が実施する卒業試験を通らなければならない。2年生、3年生への進級時も国の試験があり、通らなければ落とした科目の授業を受ける。単位制なので、卒業までに必要な単位を取得すれば、3年で卒業できる。大学も入試はないが、卒業するには国家試験に合格する必要。ちなみに、デンマークに学習塾や予備校は存在しない。
・「スポーツ推薦」のような入学制度はない。高校、大学はその授業内容が理解できる者しか入れない。国民学校、高校に運動のクラブはない。
・デンマークで「高卒」といえば、学力がある人とみなされる。国家試験に受かったエリート。高校では競争原理の成績重視の世界に突入する。ついていけなくなったら、スクールアドバイザー(ほとんどが臨床心理士)と相談して、別の道を選ぶ。
・社会人の余暇活動教育はコミューン(市町村)が行う。お稽古事ビジネスというのは存在しない。たとえば、ある市で日本語を学びたい人が12人いたら、その市は日本語を教える人を見つけ、教室をつくらなくてはいけないことが、余暇活動教育法で決まっている。ありとあらゆる教室がある。
・学校教育費の対GDP比率は6.7%(日本は3.3%)。
・大学の先生や一般の企業に勤めている人で博士号を持っている人はほとんどいない。医師でも少ない。
・働くにはとにかく資格が必要。銀行員、新聞記者、塗装工、煙突掃除屋、農業…、すべての仕事に資格が求められる。
・デンマークで教師になるには、教育大学を卒業していなくてはならないが、高校卒業後にストレートで教育大学に進学する人は約二割。あとの八割は、ほかの職業に就いたり、外国に旅行したり、違う大学に通ったりする経験を積んでから入学する。27歳くらいになってようやく教師になれる。教育大学は実習重視。
・職種による給与の差はあって当然だが、学歴による給与の差(高卒か大卒か)はない。
・平均勤続年数は8.3年。毎年労働人口の3割が転職して、生涯の転職回数は平均6回。
・ある会社で課長が退職することになったとき、直属の課長補佐が課長に繰り上がることはまずない。課長の募集広告を出す。応募は社内からも社外からもできる。
・実際に職についてみて、荷が重かったときに、低いランクへの転職をするのは自由。学校で校長先生が一般教員に戻る例は少なくない。
・実力社会なので、仕事ができないとなったら、あっさりと解雇される。
・同じ会社の中でひとつの労働組合を作るのでなく、全国組織で職業別に労働組合がある。事務員は事務員の組合、機械工は機械工の組合に加盟する。横の社会。
・失業保険は国と組合が負担しており、4年間は失業前の給料の90%(上限はあるが、月額なら約31万4160円まで)が支払われる。フルタイムの労働者は1年間、パートタイムは3年間の労働と失業保険料の納付が条件。
・失業保険をかけていない人が失業すると、休業手当がある。親と同居なら月額59120円。別居なら122520円。未婚の母(父)なら314160円。
・失業保険を受けている最中は職業斡旋所から仕事が次々と斡旋される。もし仕事に就こうとしなかったら、なぜ仕事に就かないのかと執拗に迫られる。
・生活保護は「永久に給付はしない」「タダではあげない」が基本姿勢。受給するには必ず条件があり、たとえば学校の清掃活動に参加する、町の施設や病院で手伝う、といった義務を果たさなければならない。果たさなければ、給付は打ち切られる。
・働き方はフレキシブル。社会保険の企業負担がないからかもしれない。正社員、非正社員という区分けはあるが、処遇面において大きな格差はない。
・かつて高いと言われていた自殺率は年々減少。自殺者は、2006年で男性500人、女性200人ぐらい。
・市議会議員の立候補者はとても多い。人口4万人程度の市ならば、25人ほどの定数に150人ほど立候補がある。市議会議員は無給。議会は夜。タレント議員はいない。
・デンマーク第三の都市オーデンセでは昨年から、麻薬患者による犯罪を抑えるために、麻薬患者にヘロインを渡すことにした。麻薬の購入費用を得るための犯罪を減らすのが目的。賛否両論あったが、そのほうが安上がりだと国民が判断した。麻薬で体を壊して、死につながっても自己責任。現在8人程度が利用。
・18歳で成人して経済的にも独立。親は子に財産を残さない。「仕事を継がせる」という考え方がないため、「老舗」というのがあまりない。親が高齢になると店を売ってしまう。高齢になった親は子どもといっしょに住みたがらない。
・成人した子どもは独立した人格とみなされる。もし校長先生の息子が殺人をしたら、日本では校長は辞職せざるをえないだろう。しかし、デンマークでは仕事を辞めるとは言わない。社会的な制裁はない。

 おそらくこれらの「一部」を日本に持ち込もうとしても、ひずみが生まれるだけなのだろう。自分の仕事に関連させるとすれば、たとえば「資格」。「資格がなければ働けない」の部分だけを持ち込んでも意味がないし、有害でさえありうる(まさに近年の介護職・福祉職はそのような状況にあるわけだが)。早期から自分に合った仕事を見極めさせる教育、頻繁な転職を可能とする社会システムや、資格を得る過程で獲得される実質的な専門性などもすべてワンセットで「資格」は価値を持っている。
 早くから目指される「自立」、国民学校を卒業して以降の実力主義、自己責任。先進的な「福祉」との折り合いの悪さを感じるのは、自分が日本的なシステムにどっぷりと浸かってしまっているからなのだろう。個人的にはデンマークの知的障害者をめぐる話ばかり聞いてみたい。デンマークでは、いちど「統合教育」や「統合保育」を目指したが、その後、また「分離」の方向に進んだとも聞く。「自己決定」「自己責任」に困難さを抱えた人たちが、社会の哲学の中でいったいどんな位置づけのもとに支援を受けられているのか。