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アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『琴浦さん』と『ココロコネクト』―「心を読める能力」と「欲望解放」「感情伝導」について

アニメ『琴浦さん』の話題沸騰に伴って、本作に関する様々な考察も行われるようになっている。『琴浦さん』に関する主な記事を以下に挙げた。

  1. 人の心を読めてしまう少女の苦悩は、必ず救われる。必ずだ!「琴浦さん」 - たまごまごごはん
  2. 琴浦さんと中二病でも恋がしたいの比較〜あるいはあおしまたかしと花田十輝について - まっつねのアニメとか作画とか
  3. nishi_51氏の琴浦さん批評「あの世界は前提がおかしい」 - Togetter
  4. 琴浦さんの能力に対する仮説と分析 - まっつねのアニメとか作画とか
  5. 琴浦さんとあずにゃんを救ったもの~あるいはえのきづとかきふらいについて - ふわふわスマイル
  6. ぼくらには「琴浦さん」のような全肯定してくれるアニメが必要だ(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
  7. アニメ「琴浦さん」は「野郎の居るゆるゆり」でいいじゃないっすか、もう - ふわふわスマイル

さて、この種の考察の中で最も注目すべきは、琴浦さんの能力に関するものだ。琴浦さんは「他人の心を読める」という能力を持っているが故に、周囲の人の心を読んで傷ついたり、逆に意図せずに相手を傷つけたりを繰り返していた。他人に対して閉ざされてしまった琴浦さんの心は、真鍋をはじめとする登場人物の力によって次第に開かれてゆく。この琴浦さんの能力について、本当は他人の心を読んでいるのではなく「他人の心をコピーしている」だけだ、とする仮説も登場しているが*1、私は他の作品との比較からこの能力について考えてみようと思う。

さて、本作と同様に、「他人の心を読めるが故の苦悩」を描いた作品として『ココロコネクト』が挙げられる。この作品は、文研部に所属する5人の高校生が、様々な超常現象に巻き込まれて心を掻き乱され、絆を深めながら成長してゆく物語だ。この作品に登場する現象の中に「欲望解放」「感情伝導」と呼ばれるものがある。「欲望解放」は、本来なら表に出てくることのない欲望が一時的に表に出てきてしまい、欲望のままに行動するようになってしまう現象。「感情伝導」は、心の中で思っていることが相手に伝わってしまう現象である(ただし、文研部のメンバー内限定で)。心、欲望、感情、本心など、言い方は色々だろうが、本来知られるはずのないものが知られてしまうという点で、「欲望解放」「感情伝導」と琴浦さんの能力は共通している。

そして、これらの現象や能力が、人間の精神にとって非常に好ましくない効果をもたらすということは、容易に想像がつく。例えば『ココロコネクト』では、「欲望解放」によって稲葉が唯を怒鳴りつけてしまい、それによって両者の溝がますます深まるという「事故」が起こっている。*2

ここで我々が注意しなければならないのは、これらの現象・能力の結果として知り得た他人の情報をもって、その人の良し悪しを判断することは間違っているという事だ。その理由として1番目として、「欲望解放」や「感情伝導」は他者が思っていることの一部をピックアップするものであり、その人の心の内を正確に反映するものではない、ということが挙げられる。人間は、他者に対して愛情・憧れ・尊敬といった感情を抱く一方で、憎悪・嫉妬・軽蔑のような負の感情を同時に抱いている、という場合も多い。また、あの人のこういうところは尊敬しているけど、ああいうところは絶対に許せない、というような複雑な感情を持っている場合も多い。「欲望解放」や「感情伝導」は、それらの感情のうち一方だけを強制的に引き出して相手に伝えるものであり、そのようにして知った他者の情報は、その他者の内面を正確に表しているとは言えない。

「欲望開放」の本当の恐ろしさは本音の一部分を殊更に強調し、人の性質を歪めてしまうところにあるでしょう。人は複雑な感情をもっていますが、言動に載せられるものは1つしかありません。愛憎入り交じった相手に、愛と憎しみを同時にぶつけることは出来ないのです。
(「欲望開放」怖い。 『ココロコネクト』 - ぱっしょんより引用)。

理由の2番目として、心の中で思っているという事と、それを実際に言葉や行動で表に出すという事との間には、天と地ほどの差があるということが挙げられる。上でも述べたように、人は常に様々な事を考えながら生活をしており、その中には、それを行動に移すと犯罪として処罰されるくらいのヤバいものもある。しかし、それを心の中で思っていても殆どの人がそれを実行に移さないのは、言うまでもなく人間に理性というものが備わっているからだ。人間は他の動物と違って高度に理性的な存在であり、もしその人の本性のようなものがあるのだとすれば、それは理性を伴った状態における自発的な行動の中にこそ存在するに違いない。だから、理性の関与しないところで明らかになった内面を材料にしてその人の良し悪しを判断するのはアンフェアである。

それと全く同じ理由から、能力せいで琴浦さんが結果的に他者を傷つけてしまったとしても、琴浦さんに非があるとは言えないだろう。琴浦さんは、本来ならば知るはずのない、知りたくもない情報を知ってしまうのだから、それが精神に与える悪影響は我々には想像もつかないことである。それこそ、引き籠ったり、嘔吐したりだけでは済まないだろう。また、琴浦さんに対して次のような批判があるが、これも非常にお門違いな批判である。

真鍋くんのようなキレイさを登場人物たちに求めて、モブを汚いとするあの作品の汚さが俺には耐えられない。あの女が改心してキレイな心を持つ女の子になる展開とかまじでふざけるなって話。むしろ改心するべきは琴浦さんで、人にキレイさばかり求めてごめんさないでしたといってほしかった
(上記記事3より引用)

確かに人は汚い存在なのかもしれないが、この発言者は「人は汚い。だが、ほとんどの場合、その汚さは目に見えない」という前提を踏まえていないように思う。人の汚さをリアルタイムで見ることのできない我々が、琴浦さんに対して「人の汚さを受け入れろ」というのはやはり間違っている。これは例えるなら、冤罪で逮捕された無実の人に対して「疑われるような事をしてたのが悪い」などと言って批判するようなレベルの乱暴な議論だと思う。

いずれにしても、琴浦さんの能力について考える際には、『ココロコネクト』の「欲望解放」「感情伝導」について考える際に使った手法を再利用することができるという事を示すことが出来たと思う。

*1:上記記事4を参照

*2:ちなみに、唯の声優は、琴浦さんと同じ金元寿子である。