
愛するペットを失った時、飼い主はペットロスと称される虚無感や悲しみに包まれる。
そんな時によく耳にするのが、「ペットは、飼い主を虹の橋のたもとで待っていてくれる」という言葉だ。
『虹の橋』は、詩中に登場する架空の場所だが、飼い主が死んだ時にペットと再会して、一緒に虹を渡るという希望を与えることで、愛するペットを失った辛さから飼い主を少しでも解放する手助けとなっている大切なキーワードだ。
これまで、作者不詳とされ、数名の原作主張者が存在していた『虹の橋』だが、本当の作者がついに明らかになったという。イギリス・スコットランドに住む82歳の女性だったようだ。
先に旅立ったペットは虹の橋のたもとで飼い主を待っていてくれる
ペットの死後の世界には安らぎがあり、飼い主自身が死後、彼らに再会する希望を与えてくれる「虹の橋」の詩は世界的に有名となった。日本でも知っている人は多いだろう。
イギリスやアメリカなど、複数の動物病院では、大切なペットを失った悲しみに暮れる飼い主に、「虹の橋」の詩を贈っている。
また、虹の橋はイラストとしてもカードや小冊子などに印刷されていたり、ペット墓地の墓石には「The Rainbow Bridge」と刻まれていたりする。
「虹の橋」という言葉は、飼い主と亡きペットを繋ぐ重要な癒しのキーワードとなっているのだ。

ペットが死後の世界で飼い主を待つという世界観をもつ宗教はおそらくないだろう。
だが、人間には存在するとされる来世の楽園が、ペットには存在しないと考えるのもおかしい。愛情を注いだペットがいない楽園など、飼い主にとっては楽園ではないからだ。
ペットはあなたが終わりを迎える時までずっと待っていてくれて、ともに虹の橋を渡り、一緒に来世へいけるのならば、どんなにうれしいことか。
だからこそ、虹の橋が人気を博すきっかけになったと言われている。

作者を名乗るものは数名いたが、実際にはわからなかった
世界中で多くの人の心を動かしてきた虹の橋の詩だが、原著作者は不明なままだった。自分が著作者であると主張するものが何名かいたものの、いずれも特定にはいたらなかった。
それが今回、美術史家で愛猫家であるポール・コウドゥナリスさんによって調査され、明らかになったという。
虹の橋のオリジナルの作者は、エドナ・クライン=レキさんという、イギリスのスコットランド・インヴァネスに住む82歳の女性だったようだ。
愛犬を失った直後に虹の橋の詩を作成
1959年、エドナさんが19歳だった時、かわいがっていたラブラドールレトリーバーのメジャー(オス)が亡くなった。
一家は、メジャー以外にも犬を飼っていたが、エドナさんの犬として飼われていたのはメジャーが初めてだった。
その分、両者の絆は深く、エドナさんにとってメジャーはとても特別な犬だった。

メジャーが亡くなった翌日、エドナさんは「ペットの死について何か書き留めておかなければならない」という気持ちが衝動的に沸いてきた。
まるで、亡くなったメジャーに促されているように感じたエドナさんは、すぐにペンを取りノートに向かった。
その時、「虹の橋(Rainbow Bridge)」という 2 つの単語が頭に浮かび、ノートに書き留めた。
エドナさんは、虹の橋の原案を完成させた時、それを母親と数人に見せた。

その後、ノートに書き留めた原案はエドナさんによってずっとしまわれていたが、後にジャック・レキーさんという男性と結婚し、夫となったジャックさんにも詩を見せた。
詩を素晴らしいと思ったジャックさんは、出版するようエドナさんに提案した。
しかし、エドナさんは「この詩は愛犬メジャーと私のプライベートなもの」と、公にすることを望んでいないと答えた。
だが、夫の強い勧めがあり、エドナさんは友人と共有できるほどの数のコピーを自身がタイピングして作成した。
エドナさんの言葉に心を打たれた人は、この詩を多くの人に広めていった。そうして詩は、世界中の人々に知られることになったようだ。
しかし、そこにエドナさんの名はついてこなかった。虹の橋を共有する人が増えれば増えるほど、原作者が切り離されてしまったのだ。

アメリカで広まり、著作者を名乗るものが現れる
1990 年代初頭までに、虹の橋の詩は大西洋を横断し、アメリカの動物愛好家グループによって共有されるようになった。
1994 年の初めになると、動物愛護協会のニュースレターに掲載されたその言葉を見たある読者が、アメリカで最大の発行部数を誇る新聞の中の「Dear Abby(親愛なるアビー)」というコラムに「虹の詩」の詩を紹介した。
それは圧倒的な反響を呼び、感動したペットの飼い主からの手紙が山ほど届く結果になったという。
コラム担当者は、「詩の著者が誰であるか知っている人がいたら教えてほしい」と尋ねたが、誰も知らず、虹の橋は著者が不明として伝えられるようになった。
しかし間もなくして、様々な動物専門家やカウンセラーが、「その詩は自分が書いた」と主張してきた。
米国著作権局は、Dear Abby のコラムから 5 年以内に、『Rainbow Bridge(虹の橋)』という題名で、15 の個別の主張をリストアップすることになった。
このような問題が海の向こうのアメリカで起こっていることなど、スコットランドに住むエドナさんは知る由もなかった。

愛犬を思う10代の少女が純粋に気持ちを綴ったもの
今回、エドナさんに辿り着いたコウドゥナリスさんは、「詩に書かれた神話的な内容は、当時の10代の少女が作成するには高度に思えた」と正直に伝えた。
それに対し、エドナさんはこのように語った。
自分が若い頃、神話の研究に没頭したとか、神話についての教育を受けたとか、そういうことは一切ありません。
亡き愛犬メジャーが、私に手を差し伸べてくれているという温かい気持ちの中で、その言葉は本当に書きたいという衝動の中で、綴られたものです。
エドナさんは、15歳の時に建築家だった父親を亡くしている。その時にも、大切な人の死に直面し悲しんだが、棺を見ていた時、父がまるで「心配しないで」と話しかけているように思え、あたたかい気持ちになったという。
その後、母親が部屋に来て、父が心に語りかけた時と同じように、「心配しないで」と言ってきたそうだ。
その瞬間、エドナさんはある種の神がいるに違いないこと、死後の世界の向こう側には慈悲深い何かが存在することを確信し、以来エドナさんはそれを疑うことはなかった。
愛犬を失った時、そのあたたかい気持ちを再び感じて、虹の橋を書きたいという衝動に駆られたとエドナさんは話した。
現在82歳になっているエドナさん。メジャーを失ってから63年の年月が過ぎた。
だが、虹の橋の詩が綴られたノートは常にともにある。
エドナさんの自宅屋根裏部屋にある箱には、今も詩のオリジナルが大切に保管されてある。
写真を撮りたいとお願いしたコウドゥナリスさんに見せるために、そのノートを取り出したエドナさんは、泣き始めたそうだ。
古いノートの紙切れは、まだエドナさんにとってそれだけの感情的な力を持っているのだと、コウドゥナリスさんは知った。

虹の橋が自分の作品だと主張する人々に対して、エドナさんは次のように話している。
人々が虹の橋の詩を自分のものだと主張しようとするのは間違っています。数人は、オリジナルから取ったものを自分の言葉に変えて、自分の詩だと言っていますが、あまり良い気持はしません。
でも何よりも、ずっと前に書いた虹の橋の詩が非常に多くの人々の共感を呼び、慰めとなったことを単純にうれしく思っています。
ペットロスに苦しむ人にアドバイス
コウドゥナリスさんが、エドナさんの虹の橋はアメリカ全土に共有されていることを伝えると、エドナさんはとても驚いた様子を見せていたそうだ。
ペットを失って、ペットロスに苦しんでいる人々に、何かアドバイスがあれば教えてほしいとコウドゥナリスさんがエドナさんに尋ねたところ、このように語った。
新たにペットを飼ってあげてください。新しいペットとの関係が失ったペットとの関係と同じになることはありませんが、さまざまな方法で同じように特別で愛情深いものになる可能性はあります。
あなた自身や愛する他の動物を否定する理由はありません。それに、あなたが見送ったペットは、あなたがペットなしで生きていくことを望んでいないでしょうから。

今も2匹の犬と暮らしているエドナさん
エドナさんは、メジャーを失った後もずっと犬を飼い続けてきた。
医師という夫の仕事の関係で、スコットランドを離れ、インドで数年暮らしたこともあったが、エドナさんはインドで野犬の救助に尽力していたという。
夫が引退後は、スペインに移り住み、オリーブ農園を購入。そこでも犬を飼っていたが、他の農園の主に虐待されていた犬を救助し、家族に迎え入れた。
その後、アルツハイマー症を発症した夫とスコットランドに戻ったエドナさんは、夫を見取った後、現在、スペインから連れ帰った11 歳になる保護犬ザヌッシと、専門的に訓練された介護犬でビションフリーゼのミッシーと一緒に暮らしている。
ミッシーは、毎晩午後 8 時にエドナさんのスリッパ、パジャマ、ナイトガウンを 持ってきてくれて、寝る時間になると吠えて教えてくれるそうだ。

最後に、エドナさんはコウドゥナリスさんに「犬についての秘密を教えてあげるわ」とほほ笑んだ。
あなたが犬を愛しているなら、本当に愛していれば、犬はずっと生き続けるものよ。
それは、秘密というよりもきっと本質的な真実だろう。
エドナさんが虹の橋に書いた言葉が、60年以上経っても、いまだ何世代にもわたり多くの人々の心を動かし続けている理由は、虹の橋の詩の根底にある真実なのだ。
今、82歳のエドナさんのそばには、ザヌッシとミッシーがいる。だが、メジャーは今もエドナさんの心に生きている。
メジャーは、虹の橋のたもとでエドナさんといつの日か再会できることを楽しみにしていることだろう。
虹の橋(訳文)
天国に向かう手前には、虹の橋があります。
あなたが大切にしていた特別なペットが亡くなると、この虹の橋のたもとにやってきます。
虹の橋のたもとには、ペットとその仲間たちが一緒に走ったり遊んだりできるような素敵な牧草地や丘があります。
食べ物も水も日差しもたくさんあり、友達は暖かくそこは快適です。
病気で年をとったすべての動物は、そこにいると健康と力を取り戻し、傷ついた動物は元気になり、再び強くなります。
あなたのペットはとても幸せで満足しているけれど、天国に行く前に1つだけ思い出すのです。それは、自分を大切にしてくれたあなたを残してしまったこと。
ペットにとってもあなたは特別だったから、会えないことがとても寂しいのです。
でも、ある日突然ペットが立ち止まって遠くを見つめます。
そこには現世から旅立ってきたあなたがいます。あなたの姿を見たペットの目は明るく輝き、体は喜びで震えます。
仲間からはなれて、全力で草の上を駆けて走ってきたペットとあなたは、再会することができたのです。
あなたとあなたの特別な友達が再び会えた瞬間、あなたはうれしさでいっぱいになってペットを抱きしめます。もう二度と離れることはありません。
あなたの手は再びペットを抱きしめ、信頼できる目を見つめ、互いに涙します。
長い間離れ離れになっていたけれど、ペットがあなたの心から離れることはありませんでした。そして、一緒に虹の橋をわたっていくのです。
References:The Rainbow Bridge: The True Story Behind History’s Most Influential Piece of Animal Mourning Literature/ Author of ‘Rainbow Bridge’ Poem About an Animal Heaven was Finally Revealed–She Had No Idea it Went Viral / written by Scarlet / edited by parumo
本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。
ちゃんと読んだのは初めてです。
泣いた…。
>>1
確かに。
でも、レインボーブリッジって、東京湾にあるのよね。
言葉としては知っていたけどこんな素敵な詩だったんですね
記事にしてくれてありがとうございます
ウチノコたちに笑顔で迎えてもらえるように生きなければ
とても良い記事ですね。
虹の橋という言葉はいつの間にか知っていましたが、
詩が元になっているとは知りませんでした。
パルモさん、ありがとうございます。
ペットにそう思ってもらえる飼い主になりたい…
あの世や生まれ変わりを信じているわけではないけど、虹の橋があればいいな、と思う。
虹の橋といえば北欧神話に出てくる神々の国と地上を結ぶ架橋だからな
スコットランドならスカンジナビア半島ともかなり近い位置にあるし、そういうのを知っていて影響を受けた可能性は大いにあるだろう
まあでも、そこはさほど重要じゃなく、エドナさんがペットを亡くした飼い主に寄り添う心が感動を呼んだんだろう
虹の橋の話が好きではありません。
飼い主が現れるまで天国に入れないなんて、たとえ橋のたもとが幸せな空間でもです。
楽しく見えても、いつ来るかわからない飼い主を待つなんて可哀想。
誰か来る度に自分の飼い主?ってそわそわして、違ったらがっかりするなんて。
橋のたもとで 待つより、天国へいって、どんな姿でもいいので、生まれ変わってまたそばに来て欲しいのです。
>>9
あなたは優しい人だね
>>9
自分と同じ声があってほっとした
自分もこの世から解放された子にはもう自由になって欲しい派
その上でいつかどこかでひょっこり会えたら嬉しい
>>9
自分も、「ん??」とちょっと違和感を持った。
天国へ入れる資格として、
あくまで動物は人間に従属的な携行品なんだな、って感じがして。
>>16
それだったら、例えば早世した子供とか、逆に子世代を待つ親
あるいは死別した恋人や夫婦の待機場があってもいいはずだけど、
人間だとそういう設定じゃないよね?
あくまで、先に安住の地入りして暮らし、
後から来た旧知を迎えるという形で。
>>9
「〇〇ちゃんは虹の橋を渡りました」っていう言い方をよく目にするけど、そういう考えなのかなあ。
>>9
虹の橋、
天国への入り口ではなく
天国にある橋なのでは・・・・・と解釈しました。
飼い主さんとの待ち合わせ場所みたいな(^-^)
>>9
猫なんかは着替えて戻ってくるなんて言うし、そしたら待っていないでさっさと天国に行ってて超特急でとんぼ返りしてることになるよね
自分の信じたい事を信じればいいと思う
>>9
キリスト教では人間以外は魂をもたないので、動物が天国に行くという概念事態がごく近年までタブーとされていたのよ。
その事で破門された聖職者や獣医がいたくらい。
だからこの「ペットだって天国に行ける」という概念は、多くのキリスト教圏の飼い主達に衝撃と喜びをもたらしたらしい。
本当に救われた人が多かった、とイングランド出身の先生が話してくれた事がある。
この詩でどれだけの人が救われたか
じゃあアレか、よく『今日虹の橋を渡りました』とか言ってる人はペットに待ってもらえてないと宣言してる事になるのか……
同じ事言うなら『虹の橋に向かいました』が正しいってことか
>>12
同じこと思った
なんか日本ではペットが死ぬことを虹の橋を渡ったって表現するけど飼い主を待たないんだね
>>17
仏教には輪廻転生の思想があるので、生まれ変わって幸せにね、またそばに来てねってことじゃないかな
>>12
わかるけどそこ、細かく突っ込むとこかなと思う…
ちょっと前に犬を亡くした
いま目の前に、広い緑の草地を笑顔でこちらに向かって走ってくる犬の写真があるんだけど、私が虹の橋に行ったら、この写真のように走ってきてくれるのかな
痛みや苦しみのない体で、他のペットたちと遊んで日向ぼっこしていてくれたらいいな
非科学的なことは信じないタイプなのに、虹の橋があったらいいなと切に思ってる
>>14
あかん、涙が・・・。
うちの可愛い子は桜の樹の下に埋まってるんだ
頭の中で桜の樹の周りを元気に駆け回る姿をいつでも見られて幸せです
これはもう解釈の話なんだけど、飼い主が現れるまで天国に入れないのではなく、飼い主を待ちたいと強く望んだ子は残らせてもらえるという希望の話だと思ってた。
はやく天国に行きたいと思った子は元気に先に渡っていくのだろうなと。
犬に魂はないから天国には行けないと言われて少年が神を信じなくなる話、教科書にあった気がするけどタイトル何だっけ
キリスト教の価値観では魂があって復活できるのは人間だけだから
でも天国の存在を信じる人ほど、愛するペットにもと思うのは自然な感情だよね
>>18
仏教には衆生済度という考えがあって、実際ペット供養をしてくれるお寺は多いけど、キリスト教にはそういうのってやっぱりないのかね…
無宗教ならまだしも、信仰している神や教えがあって、それが動物に魂はありません!天国に行くのは人間だけ!って明言してるのだいぶ辛そうだなと思う
これ読んだ時に泣いたの思い出しつつ、亡くなった子達の事思い出してまた目から汁が。
でもうちの子達じーちゃん大好きすぎたんで、今いる子以外はじーちゃんについて行ったなっていう確信がある、なので今そこで待ってる子はいなさそうだわ。
作者が判明してよかった、偽物は欲を出してはだめよ・・・
>>19
ちょっと笑ってしまった。
まあ、虹の橋を渡ったむこうでお祖父さんにもその子達にも会えるさ
>>19
じーちゃんがいるなら19は安心して長生きできるね
もし一人で虹の橋を渡ることになってもきっと渡った先でみんなが出迎えてくれるだろうし
この記事内容とはずれるんだけど、少し前に肉親を亡くしたので、家族や子供、パートナーを失った時に少しでも痛みが和らぐ言葉があれば良いのにと思う。
おぼうさまや葬儀屋さんが説明してくれた初七日や三途の川と言われてもピンと来ないし、かなり波瀾万丈の旅路で大変そうで…。
この虹の橋みたいに幸せと愛だけ詰まっている物があれば良いのになぁ。
>>20
日本国内かつ人間バージョンだと
「今頃天国で大好きな○○(その人の趣味)やってるよ」とか「(葬儀の前後で)こいつこの酒好きだったから多分いまここに飲みに来てるよ」みたいな言い回しがそれっぽいのかなぁ
でもこういうのってわりと別れの覚悟をできる時間があった場合、または高齢者の大往生の時ぐらいで
事件事故または災害であまりにも突然…って場合には言えない気がする
虹の橋のたもとで待たなくてここに一緒にいていいのに
たもとで待ってるのか
じゃあ毛皮着替えて帰って来るってのは日本の創作なんだな
考えてみれば転生とか輪廻とかって概念が入ってるもんな
まさかガチ泣きすることになるとはな…
あいつは喜びに身体を震わせたりはしないだろうけど、、、
「おう、来たんか」くらいの顔はしてくれるだろうか。
何度か死にかけた経験がありますが、その経過中での出来事になります。
ウチに来てくれたあの子達は先に「良い場所」にいるのだと理解しました。
悲しむよりも感謝を送った方が良いですよ。
肝心の「良い場所」で名前を呼んでもテンションの上がり過ぎで走りっぱなしだったのは御愛嬌。
小二か小一のころ、その1~2年前に亡くなった祖父が虹の橋を渡って会いに来た夢を見た。
祖父は何も喋らなかったように思う。にこやかにしていた。
「あれ~?おじいちゃん、死んだんじゃなかったっけ?」と夢の中で言ったら、祖父は苦笑していた。
覚えているのはそれだけ。
40年近く前の夢だけど、最近虹の橋という言葉をよく目にするようになり、本当にあるのかもしれないと思うようになってきた。
多分虹の橋を渡っている楽しげなメルヘンなイラストなどを幼児向けの本などで見たんじゃないかとは思うのだが、あの世とこの世をつなぐものとは認識してなかったと思う。
ペットロスに新しい子を飼えっていうのは人間本位だと思ってたんだけど、経済的に余裕がある人なら、新しい子を迎え入れて幸せにしてあげることをし続けてほしいって思うんだ。もちろん体力に余裕があるうちだけど
わたしも、ずっと前のことですが、「<虹の橋を渡りました>という表現は詩の意味とずれていますよ」と、このカラパイアで投稿したことがあります。
しかし、たとえ虹の橋のたもとであっても、そこはペットたちにとって楽園のような場所なのですから、「天国へ入れなくてかわいそう」ということにはならないでしょう。
おそらく、「天国」ということばについて抱くイメージが、キリスト教圏とそうでない所とでは違うのでしょう。
キリスト教圏で「天国へ行く」というのは「楽園へ行く」というのではなく、「神の御許へ行く」ということ。
この詩の意味していることは
「あなたとペットは、いずれ一緒に神の御許へ行くのです。
それまでのあいだ、愛しいペットたちは、たとえあなたの元を離れても、楽園で過ごしているのですから、心配することはありませんよ」
ということなのでしょう。
>あなたが犬を愛しているなら、本当に愛していれば、犬はずっと生き続けるものよ。
やっぱりこの人が作者なのかな
胸に来る言葉だ、うちは猫だけど
>長い間離れ離れになっていたけれど、ペットがあなたの心から離れることはありませんでした
これも本当にそう
4年経ったけど私の心にずっといる
毎日毎日思い出す
そして日常生活に興味が持てないや
カラパイアを楽しんだり大きなニュースに一喜一憂したりはできるんだけど生きる喜びがない
会いたくてしょうがない
先に行った子は向こうにいるよ
悲しむより感謝が必要
悲しんでばかりいると向こうで心配するから
いやー、著作者主張してた人ら恥ずかしいな。
少しは慎みという言葉を思い出したほうが良い
これはこの方の詩であり共感できる人がシェアさせてもらえばいいと思う
愛するペットを想う気持ちにケチつけるなんておかしいよ
自分はそう思わないならそれでいいじゃん
統一する必要もないし
>>41
自分もそう思う。どんな形であれど愛した犬を想う気持ちは一緒だよ。
自分はこれを気に入らないって思うなら、自分の思う愛し方でいいじゃない。
もう最初から少し読んだだけでまともに読めなくなってきたが、改めて最後読んだら益々涙と鼻水が止まらなくなった。子供の時飼ってたワンコと大人になってから飼ったワンコと一緒に会えると信じてます。後インコとカナリアと金魚も…。
涙が止まんねーよ(;;)
なんか花粉症が酷くなったみたいだ。目と鼻から水があふれて止まらなくなりやがった。
えっと、とりあえず記事読んでそのあとコメント欄は中盤から読むことをペンディング
眼が腫れてもいい週末に読む
ペットロスの自分を慰める詩だから
待っててくれるってなったんだろうな
袂には猫ヶ原があって眠りながら待っている
という話を読んだことがある
たろたんが待っていてくれると思うと頑張れるんだ!
亡くなった夜に知った虹の橋、心の支えです。
躊躇はあったけど二度目の出会いで、また犬ちゃんと生活しているよ。これが私の人生でお世話出来る最後の犬ちゃん!
「今日、虹の橋を渡りました」みたいなのはずっと気になってた
夏目漱石の「月がきれいですね」と同じような誤用
虹が死後の世界への架け橋であるとするのはギリシャ神話や北欧神話などヨーロッパに多い。ただし渡れるのは善人のみ。動物もその橋を渡る描写があるのは、ネイティブアメリカンのどこかの部族に伝わる話だけだったような…。
しかし、これだけ沢山の地域で似たような考え方をしているということはだ、理論物理学的には実際にそういった場所なり現象なりが既に存在しうるのではないか。
お世話になった詩ですが作者の方の事は初めて知りました。
あくまで詩だから虹の橋があるとか愛した動物が待っているとかリアルに考えるわけじゃ無いけど愛猫を亡くした直後の本当に心が参ってる時には安堵と慰めを貰ったなぁ。
詩が生まれた経緯を見たらペットを亡くしたばかりの人の心に刺さるのも納得でした。
あなたが犬を愛しているなら、犬はずっと生き続けるもの
ってさ、大好きな映画「僕のワンダフルライフ」「ワンダフルジャーニー」の通りだなって思った!
あたしのかわいいワンコたちもきっとどこかで楽しく暮らしてて、また橋の袂で再会したいと切に願います!