
誰にだって不安はある。ほどほどの不安は危険を回避し、自分を守るために必要な心のアラームとなるのだが、その不安が行き過ぎてしまうと、日常生活に支障をきたすようになる。それが不安障害と呼ばれるものだ。
不安障害になると常に不安を抱えている状態となり、突拍子もなく不安が増長されることがある。
アメリカ・ペンシルベニア州立大学の研究者らは、今年8月に発表した論文の中で、「不安障害を抱える人は、現状に不安がない状態が逆に不安を増長させてしまう可能性がある」と発表した。心配事がないことに心配してしまうのだ。
安らぎと恐怖の中で感情の変化を測定
研究チームは、全般性不安障害と診断された学生32人と大うつ病性障害(うつ病)と診断された学生34人、その2つのどちらでもない学生30人の3つのグループに分けて研究を行った。
まず、参加者には研究室でリラクゼーション(心の緊張をほぐす演習)を行った後、恐怖や悲しみを引き起こす可能性のあるビデオを閲覧してもらう。その後、彼らの感情状態の変化がどれだけ敏感になっているかを測定した。
その結果、全般性不安障害を持つ学生は、大うつ病性障害の学生よりも強いレベルで、敏感に感情の状態が変化し、不安を感じていたことが明らかになった。
また、不安障害を抱える被験者たちは、リラクゼーションという安らぎの中にあっても、常に不安を感じていたという。

不安障害の人は、不安がないことが不安要因となる
研究者たちは、不安を持つ人は何か悪いことが起こった場合に、その不安が大きく跳ね上がるのを避けるため、積極的にリラックスすることに抵抗を感じていると指摘する。
不安障害を抱える人は、リラックスしている間に突如悪いことが起きたら対応できなくなることが不安でたまらなくなる。常に不安に備えるために不安で居続けようとするのだ。
リラクゼーションを多く経験することで不安障害を軽減する
ペンシルベニア州立大学心理学教授およびこの研究の論文著者であるミッシェル・ニューマン博士は、論文の中で次のように述べている。
不安障害の人は、不安の大きな変化を防ぐために不安の中に留まっているのかもしれません。実際には、それらの変化を体験したほうが健康的です。
リラックスに身を置く経験をすると、それができる自分に気付きます。不安の中に留まらずに、時々リラックスできる環境に自分自身を置いた方がいいのです。
マインドフルネストレーニングなどのリラクゼーションは、その瞬間人々を解放させ、生きることの手助けとなります。積極的にリラクゼーションをすることが不安障害を軽減させる可能性があります。

リラックスして不安を解消することに苦労する人は、不安障害とたたかう可能性が高いことから、なおさら他の人よりも多くリラックスができるようにする必要があると、心理学大学院生で、この論文の第一人者であるハンジュ・キム氏は説いている。
心配していたから心配していたことが起こらなかったという幻想
ニューマン博士は、全般性不安障害のある人は、不快な出来事に反応して負の感情的変化に過度に敏感であり、防御的スタンスとして持続的な不安や心配の状態を常に保っている傾向にあると2014年の論文で発表している。
私たちが、不安に思ったり心配したりしているそのほとんどは、結局は起こらないのですが、不安障害を抱える人は「心配したことが起こらなかったのは心配していたからだ。ならば心配し続けなければならない」という感情が脳内で強化されているのです。(ニューマン博士)
不安障害を抱えていれば、リラックス中であってもどうしても不安を感じてしまうという人は、決して少なくはないだろう。
リラクゼーションにより引き起こされる不安については、1980年代から記録されているようだが、その原因は不明のままである。
なお、今回の論文は「リラクゼーショントレーニングのパラドックス:全般性不安障害および大うつ病性障害における、負のコントラスト感度の緩和と不安の軽減効果」と題して『Journal of Affective Disorders』に、8月19日に掲載された。
References:ZME Scienceなど / written by Scarlet / edited by parumo
本記事は、海外の記事を参考にし、日本の読者向けに独自の考察を加えて再構成しています。
これもうわかんねえな
>>1
分からないから正常なんやね
分かる人は克服頑張れ
自分が「何か」であろうとするアイデンティティ探しと根源は一緒
「ある病気であること」がプロフィールの人とかね
本当にマッチポンプ!!
不安製造機やんけ……
※3
せやで、アドラー心理学の言う通り。最近、私自身、自覚し始めた
※3
そう、つまり現実逃避する理由を探し求めているだけ。私が経験者です。
>>3
なんで人が苦しんでると勝手に責められるの?
ネットで適当に人の事わざわざ言ってる奴の気が知れない
>>46
実物見てると不安製造機って表現はぴったりだと思うよ
不安の種を見つける努力してるのか?って呆れるくらいの人がいる
実際は全然恵まれてたりしてるから
なんかわかる
無理矢理、不安を見つけ出す感じ
悪循環だね
それは普通のことじゃないのか
確かに何か見落としがないか不安になることはあるな
※6
見落としてるんじゃないかってのはかなり分かるw
自分のことじゃなくて、アホみたいにズボラな会社の話になるけど、
いつも何かしら大なり小なりトラブルがある場所なので、
順風満帆が続くと、裏ででかい爆弾育ってないか?って心配になるわ。
めっちゃわかる。
これ自分だ。
なんで今まで心配したことが本当になったことがないのに、ずっと不安で仕方ないのか不思議だったんだけど、心配事が心配したことで実現しなかったと無意識の内に思っていたからか。
哲学やん
さっぱり分からんけど
気にしない力、無視力、スルー力ってのはやっぱり大事なんだなぁと
不安障害です。
常に不安なので思考がネガティブです。
不安でいることが日常です。
おかしな話ですが、不安がなくなると新たな不安がすぐ生まれます。というより生み出しているのかも知れない。
「心配したことが起こらなかったのは心配していたからだ。ならば心配し続けなければならない」
完全に私
幸せすぎて怖いってやつか
なんとなくわかる
やったー解決したぞ、でも何か忘れてる不安があるだよな何だっけ、何だっけ、あー不安だ
※13
すごいわかる
自分の場合、「解決」を「幸福」・「楽」、「不安」を「不幸」・「困難」に置き換えても当てはまる
でも※5の「普通のこと」という言葉でちょっと救われる
つまり根っからのネガ思考故に不安要素がないと安心できないと
休日だけ体調不良になる激務サラリーマンに似てるかも
自分は周りから極度の心配症と言われてますが、この記事の指摘に確かに納得。
「怖いことがあるから不安」じゃないんです。
「不安でいないと怖いことが起こりそう」なんです。
不安でいる事が歪んだ自己防衛で「たくさん心配して不安を抱え込んでいれば、悪いことは起きないだろうから大丈夫」と安心します。
ただ、私の不安がお守になって、今日も周りが何事もなく普通に過ごせてるなら、それでいいかなーと考えてます。
不安を常に見つけ出すことと最悪の事態を予想することがごっちゃになるのだと思う
後者はそのことで不安状態が続かないなら
むしろ不安軽減のためにいいことなんだが
>>18
私だって人がその心配は本当になった事はないと書いてるように、無駄な事を心配してるんだよ
普通の人は、同じ条件の人がいて心配する事で自分は回避できても回避できない人もいるような事を心配する
疾患持ちだが、我ながら常に不安を探していると言われれば認めざるを得ない。
これほんとにそう
若い頃血液ガンやっていこう疾病恐怖症になった
常に体の異変がきになって、何か重篤な病気では、再発ではって考えてしまうやつ
で、最近更年期になり忘れっぽくなり症状が緩和してきたけど
不安にならなくて良かったって気がついてしまうとその時点から
体の不調が無かったかと思い出そうとしてしまうんだよね
それでもむかしより楽なので、年取って忘れっぽくなるのは理にかなってるな
って最近感じる
もしかして無意識のうちに不安の名を借りた刺激を求めているんじゃなかろうか
特にパニック障害はメメント・モリの裏返しとも言われているし
こう書くと不安障害(神経症)は健全な人間の証とも思えるけれど、実際は自縄自縛の状態に陥りやすいという皮肉よ…
大手の新築に暫く入ってて
久しぶりに町場の改修行くと
ヘルメットかぶってないのが
違和感ある、あれか?
これはだれしも多少はあるもんじゃないのか?
「上手くいきすぎて怖い」ってまさにこれじゃない?
不安である状態が心地よいのではないかな、不安な心理状態のときに、生きている事のリアリティーを濃密に感じているのではないかな。不安のない状態は空虚に感じるのかもしれない。
※25
心地よいんじゃなくてやっぱり辛いんやで。
誰しも多少の不安を感じることはあるし、それは生きるために必要なことだけど、不安障害はその感じ方が度を越していて下手をすると生活に支障が出る。分かりやすく言うと、昔の「杞憂」の話が当てはまるかもしれない。
健康な人は、なんでそんな馬鹿なこと続けるのかと思うかもしれないが、不安障害の人も馬鹿らしいことだってのは分かっている。だけど不安が濁流のように沸き上がり押し流されて抗し難くなり、その馬鹿なことを続けざるを得なくなる。だからなおのこと辛く感じる。
これは薬とかで良くなる人もいるし左程効果がない人もいる。日常ではマインドフルネスはやってみる価値はある。
予期していた悪いことには耐えられるかもしれないけど、予期していない悪いことには耐えられそうも無いから。
>>26
私もたぶんこれ
自分のこと信用できなくて突発的事態に対応できる気がしないから、覚悟というといささか大袈裟かもしれないけど、心の準備をしておきたいという感じ
でも一方で、悪いことをあれこれ想定しすぎていると、それゆえに言霊みたいに現実化してしまうんじゃないかって不安もある
人生それなりに生きてきたから、自分の悪い予感なんてほとんど当たらないし、良くないことも大抵はそれなりになんとかなる、そして本当に悪いことは頭の中だけで考えてもどうにもできない、何か起きる前から気に病んでも仕方ないってことは頭ではわかってる
常にネガティブな可能性に囚われて根拠のない不安を抱えてるのはしんどいからやめられたらいいと思ってるけど、もうそれが染み付いてしまってるんだ…
確かに、飽くなき欲望。
不安が無い事が不安な事が不安です。
どうすれば不安な事を考えないで、不安無しに過ごせるかと考えたら、もう不安でたまりません‼
安心出来る場所で安心出来る人達と安心出来る生活を送れば、不安無しで安心して過ごせるのだろうか?と思ったけど、
もしそうなったら、その安心出来る場所が無くなったり安心出来る人達が裏切ったり安心出来る生活が崩壊したりしたらと思うとやはり不安でたまりません‼
わかり過ぎるくらいわかるのがツライ
でも、この手の症状を抱えてる人達(自分も含めて)って何の理由もなくこうなってるわけじゃなくて
何か「(大袈裟な言い方かもしれないけど)世界がひっくり返る」ような経験をした後から不安探しの毎日が始まった気がするんだよなぁ…
安心安全だと無条件に信じていた世界がそうでないと一度知ってしまうとこの世界に生きている限り警戒してし過ぎることはないと思ってしまうというか
積極的リラクゼーションで治るなら良しなんだけど
個人的には究極の解決策は諦めだと思ってます、悟りレベルの
無病息災ならぬ「一病息災」と、何かの病を抱えている為に、執拗な健康マニアになる方もいらっしゃいますからね。
すると「幸せすぎてこわいと 大吉破いてすてた~♪」って歌は、不安障害を抱える人の歌だったの?
まさにこれ。成功体験ではなかったんだなあ。たくさんリラクゼーションして克服する努力してみるよ。しんどいもん。
何も無かったら昔の嫌なことを思い出して荒れたりするので
自分でも「何やってんだろう」と思うことがある。
共感している人多いですね。
私もわかります。
私は心気症の気があるんですが、体のどこかが不調に感じると気になり出して、重い病気の可能性などを心配してネットで調べまくったり、症状が続くときは医者に行って検査する事もあります。
それが何でも無かったら次は体の他の場所やちょっとした痛みが気になったり、おできや蕁麻疹などが悪いものだったらどうしようなどと不安になったりします。
自分に何も不安がない時は、家族の体を必要以上に心配し不安になります。
家族が癌になったらどうしよう、という感じに。
心気症だと自分でわかっているので、出来る限り気にしないようにしていますが、ふとスイッチが入る事があります。
まるで不安が自分の人生に必要かのようなのです。
でもそれが嫌で嫌で治したいと思っています。
間違いなく時間と気力の無駄で、自分の人生の質を下げているからです。
ただ、自分で認知できているので症状としては軽いと思うので、この程度で心療内科などへ行っても良いのかどうか悩んでいます。
出来れば考え方やライフスタイルの改善で自分で治したい。
子供の頃から両親の仲を心配していて、絶対に大丈夫だと何度も言い聞かせられて結局家庭が崩壊した経験があります。
この記事に出ていた話に似ていますが、
不安に思っていない事でも悪い事は起こる、だからむしろ不安に思っておくことで悪い事が起こった時のショックを軽減しようとしているのではないかと。
ここまで自分で分かっていても不安障害が治りません。
記事の内容は非常に納得出来ると共に、同じ悩みを抱える人と話してみたいとも思いました。
極めて普通の感覚だろ。
不安を感じない人は、逆に何を感じてるんだ?
5秒後の未来ですら暗闇だと言うのに・・・
不安依存症か
ちょっといいことあったらこの後に凄い不幸がやって来るんだろなあとか不安になる
縄文人「!?」
根本は怖がり屋さんなんだろうね。
悩み事が無いのが悩みだった
それは何も考えずに生きて来れたから
若かったんだな~
確かに、平穏な時は足元をすくわれるんじゃないかと警戒し、一つでも心配事があればそれを考え続け…辛いので何とかならないかと自分でも思う。
良いことが怖いって 四畳半フォークの歌詞になかったかw
まあ当人にとっては当然な防衛反応だろうね
なんと言うか…無意識的に「不安でいたい」と思ってるのかね、自分から不安を探して安心してる感じ…???
だから周囲が安心させようとしても無駄なんだな、不安障害気味の友人には何言っても「無理」「でも」「だって」って言われたなぁ(諦めた)