
不安で胸が張り裂けそうになる。悪い方にばかり考えてしまい心配で夜も眠れない。誰だって多少の心配事はある。適度な心配ならば正常だ。
だが、それがあまりにも過ぎた場合には、身体症状や精神症状が現れるようになり、不安が悪循環していく。
現在、連日報道される感染症関連のニュースに翻弄され、不安で夜も眠れない人も多いと思う。それは楽観視して良い問題ではないが、過剰な心配で心の健康を崩してしまっては元も子もない。そんな悩みを抱えた人たちが少しだけでも気が休まるよう、この研究結果を再送したいと思う。
心配事にはざっくり2種類ある。ひとつは自分が実際に取り組める現実的な事柄だ。もうひとつは、過剰なまでに肥大してしまった妄想による懸念だ。懸念の場合、その多くが現実には起こらないという。
心配するのは意味がある
健康やお金、あるいは人間関係といったことを心配するのは当たり前だ。そして、場合によってはそうすることにメリットもある。
2017年の研究では、心配が自分を守り、問題を未然に防ぐよう行動を起こさせるモチベーションになることを明らかにしている。
たとえば、健全な程度の心配をする女性がいるとする。そうした女性は、やたらと心配性だったり、反対にまったく無頓着だったりする女性に比べると、きちんとがん検診を受ける割合が高い。このように、心配は何かに対して備えるよう促してくれる。
決してパニックにならず、正しく心配している分には問題がないのだ。

一方、無意味な過度の心配も
だが、あまりにも心配しすぎてしまうのは心身どちらにとっても有害だ。
そして、それは全般性不安障害の特徴でもある。青年期に始まることが多い全般性不安障害は、不安のあまり何もかも手につかなくなってしまう病気だ。
米ペンシルべニア州立大学の臨床心理学者ルーカス・ラフレニエール博士は、「これこそが私が心配のせいで胸が張り裂けそうになる理由です」と話す。
常日頃から心配にさいなまれる人は、絶対に起こらないような将来の出来事を回避するために、生活のすべてがストレスになってしまうのだそうだ。
非現実的な”いつか”のために”今”が台無しになってしまう。それは辛いものだろう。
過剰な心配事の多くは起こらないという調査結果
彼がこう言うのにはきちんとした根拠がある。『Behavior Therapy』(7月19日付)に掲載された彼の研究では、全般性不安障害の患者が心配していた事柄の91.4パーセントは実際に起こらなかったことが明らかになったのだ。
この研究では被験者29名に10日間、心配事やそれが生活にストレスをもたらし、影響を受けた程度を記録してもらった。そして、毎晩10時に、その日に心配な事柄を考えた時間の長さを振り返ってもらうのだ。
さらに期間が終了してから20日後に、記録した心配事が実際に起きたのかどうか確認してもらった。もし本当に起きた場合は、それがどの程度悪いものだったか評価する。
調査の結果、心配事のほとんどは実際には起こっていないことが判明した。心配の9割がただの杞憂に過ぎなかったということだ。

心配事が起きなかったのは心配していたからではない
じつはこの調査はラフレニエール博士が考える認知行動療法を実証するためのものだった。
その方法とは、全般性不安障害の患者に自分の心配を記録してもらい、それがいかに無用な心配であるか納得してもらうことで、症状を緩和させるというものだ。
そして、確かにその通りだった。研究に参加した人たちは、自分の心配がまったくの的外れだったことがわかると、将来への心配が和らぐ傾向にあった。
一方、この研究結果に対しては、「心配事が実現しなかったのはちゃんと心配していたからだ」と患者が誤解する恐れがあるという批判がある。もしそうであれば、この療法が症状をかえって頑固なものにしてしまうかもしれない。
これに対して、ラフレニエール博士は、別の分析の結果、そのようなことにはならないことがわかっていると反論している。
「そのようなことにはならず、ちゃんと自分の心配が非論理的で、考えの筋道や幸せを台無しにしているということ、ひいてはまったく無意味だということに気づきます。」
最悪の事態が起きる不安にばかり気を取られていると、実際に今経験しているはずの喜びにまったく気が付かず、自分から幸せを放棄してしまっているようなものなのだ。
圧倒的な思い込みの強さが不安を増幅させる
なおラフレニエール博士は、感情的な反応の強力さには驚かされてると述べている。
研究によれば、患者の中には合理的に考えれば起きる可能性はゼロだと思えるのに、直感的には85パーセントもの確率で起きると予感していたりする人がいる。
そういった人はただ単に思い込みが強いのかもしれないが、それが少し困った方向に発揮された結果、辛いを思いをしてしまっている。
病は気からというように、不安が増長されると持って生まれた自然治癒力や免疫力も失われてしまうことになりかねない。まずは気をしっかり持とう。
そして自分でできる最善の努力をすればいい。気を付けることと心配することは意味合いが違う。

逆に考えよう。思い込みの強さは武器にもなる
だが思い込みが強いということは悪いことだけではない。違った方向で発揮されたら、素晴らしい武器にもなる可能性もある。
よく信念の人という人物がいる。そうした人は、普通なら不可能に思えることでも諦めずに挑戦し、見事やってのける。それは思い込みの力とも言えるかもしれない。ポジティブな思い込みはチャンスをものにできることもあるのだ。
人生何が起きるかわからない。それは誰だって同じことだ。人生万事塞翁が馬、人生における幸不幸は予測できないようにできている。
ということで私は毎日、どんな小さなことでもいいから、楽しかったこと、うれしかったことを思い出し、喜びを噛みしめてみることにした。
いつもは並ばないと買えないおいしいパンがすんなり買えたこと、近所の人がおいしく漬かったからとお漬物を届けてきてくれたこと、猫が膝に乗ってきて、顔を摺り寄せてくれたこと。こうやって文字にすると更に気分が穏やかになってきたぞ。
References:Generalized Anxiety Disorder Study: 91.4 Percent of Worries Don’t Come True | Inverse/ written by hiroching / edited by parumo
本記事は、海外の記事を基に、日本の読者向けに独自の視点で情報を再整理・編集しています。
人の不安は経験によって作られるから、誇大なものでも経験を積めば精度が上がって、当たりやすくなるぞ。
※1 実は殆どの場合は恣意的な情報を拾ってしまうだけで精度は上がってない。強度の不安を克服しない限り、人間はその感情に合うようにストーリーを編集してしまう。不安症の人間はその不安の影響がどんな風に出るかを適正に予測し、偏向を修正するのが正しいが、そうできる人間は少ない。
そうそう、今までだって死にそうな不安に苛まれてきたけど、今生きてるってことは大した影響はなかったってこと
…分かってるんだけどね
後でこまることをなんで今こまるわけ?後でこまるんだったら後でこまればいいじゃねえか。なんで今こまるんだよ。ぼのぼののアライグマくん
※3
っっっっ
っっっっ
っっっっ
>>19
いじめない!
1を知って10思うように、心配性な人間は、1つの不安を10にも100にも反射的に膨らませるからね。
子供のの時は、寝る時、明日が来るか不安だったな。
>過度な心配事の91.4パーセントは起こらないという調査結果
心配事がいくつかあれば、どれかは実際に起きるって事だ!
やったぜ!
8%はおこるんやぁーとおもってしまったわたしは神経質?
※6
いいえ、健常者です。
むしろ8%を、たったの8%と思える楽天的な人こそ、少数派。
>>6
そうかなぁ?
それだけ色々考えていて、しっかりしてるなぁと私は思うけど
8%もあったら例としては不適切かもだけどソシャゲのガチャなら結構当たるよね
自分も9%はおきてるじゃんと思った。
こう言うのは治らない。
哀しいけど。
1.4%は無視してほぼ1割はホントになるってことじゃんと考えてしまった。大雑把なんだか神経質なんだか・・・
パルモさんなら瞑想してそうだと思ってたけど、やってないのかな?
おそらく不安症にも効果的だと思うけど。
>実は私も極度に不安を増幅させるタイプで、病院で不安障害と診断され、
誤診
心臓に毛が生えてるはず
>>12
パルモ姉さんはけっこうデリケートだぞ
幼少期からタナトフォビアのせいで強い恐怖や不安に支配されて、人生めちゃくちゃになりいろんなものを失いました。
不安神経症の40代男です。自ら創り出した不安の9割以上が起こらないのはわかっています。
そこではなく、残りの1割未満の最悪な事態が、いつか起こってしまうかもしれないのが恐ろしくて不安でたまらないのです。
>>14
そういう事ですよね、分かりやすいです。
心に不安が絡みついて離れないのは、「ほら、起こらなかったでしょ??」で済む話では無い気がするのです
だとすれば、まだパルモたんのように、小さな幸せを見出すことの方が建設的に思える
の こ り の 1 割 は な ん だ
と思った人が私です。
こういう考え方がストレスを溜めてるんだろうけれど……w
その心配が過度だって誰が判るんだ?
健全な心配が有効にはたらく例でガン検診を挙げてるけど、
検診を受けて実際にガンが見つかる確率と
何も異常なくただ受けただけで終わる確率とを考えると、
不安障害の人の不安が的中する確率8.6%って
そっちの方がよっぽど現実的な心配じゃない?
その不安な心とやらをここに持ってきなさい
それを取り除いてあげましょう
心配するな大丈夫、その不安もその心配も現実にはならないから大丈夫
現実はあなたの経験の枠外の闇の中から、想像の視野の外側から、空想の限度を超えたはるか遠くの不可知の領域から、
常に予期せぬ形で、そして常に背後から無防備なあなたを襲うモノな訳だし
心配は無意味だ
人生何が起こるか分からない、明日死ぬかもしれないから毎日笑って人に優しく生きようぜ
実際に発生した最悪の事態と言うのは、
想定していた最悪の事態よりもさらに悪いっていうのは
日本人なら誰しも身をもって知っているはずって主張してた
友人のボブは「下手な考え休むにnearly」って言ってた。
程度の問題だと思うな。神経症になるほど不安になっても仕方ないけど
何も不安に感じない様だとそれも逆にまずいと思う。
特に社会に出て仕事してると、起きない確率が高い事にも
対策しないといけないから不安になる。
手を打つ事と、不安になる感情を区別できればいいんだけど
なぜか対策をすればするほど逆に不安になる不思議。塩梅が難しい。
少なくとも、自分の中に不安が湧いてくるのは仕方ないが、
外から不安を煽ってくる存在は、100%害悪。
体壊して仕事がクビになって家賃払え無いから今月で追い出されそうなのに
行くあてがないのが不安。思い過ごしでも何でも無い確実に起こる不安。
親の介護で貯金は使い果たした。介護が終わったら一気に体調崩して色々終わった。
不安にもなるよ
同じく時々不安でいてもたってもいられなくなる時がある。今のところそのほとんどが仕事のことなんだけど…。いわゆる瞑想っていうのはちゃんと指導の下にやらないと結構危険だと思う。下手すると余計に考えたりしてドツボにはまる・・・。
そんな私の、おまじないを一つ。本文にも似たようなことが書いてあったけど、寝る前に「今日あったいいこと三つ」を思い出すといい。寝坊しなかったでも、ご飯がおいしかったでも何でもいいので三つ思い出したら、「ああ、今幸せ」と心の中で唱える。ちょっと楽になるよ。
いつか寿命で死ぬかもと不安で仕方なかったんだけど8.6%の確率で不老不死になるのか
※29
実験期間は10日間なのでその間には死なないんだと思いますよ
自分の考えつく限りの心配事に限って滅多に起こらないけど、
予想もしていなかった事が急に起こってパニックに成る事は割と有る気がする
>>30
わかる、これな
十代くらいならともかく、そこそこ生きてれば、思い付くような不安の大半は実現しないってのは自分でも経験的によくわかってるわけで
「だからそんなに心配しなくてもいいんだよ☆」って慰め(?)は的外れなんだよな
そこじゃないんだ
>>81
なんとなくわかる
そうすると運動とか別の方法を試みた方がよさそうな…
地震に津波に台風に病気に住宅ローンに、まあ心配事だらけだ
>>31
人によるかと思うけど、実際ありそうな災害や出費の不安は普段は考える余裕がなくて毎日将来のお金とか人間関係や孤独死する未来みたいなのをぼんやり不安に思ってる。
なんの根拠もないけど常に最悪の未来を想像する癖がついてると言うのかな。
どういう根拠?
不安には複数の要素が複雑に絡まっている
その中の一つを解消したところで次が待っている。
楽天的な研究で成功して金を稼いでいるあなた自身を語っても
説得力がないと思うのだが。
そうでも無い
大切な大切な彼女は性犯罪の被害にあったし
職場では無能上司の汚職の罪をおっ被せられた
歩いていれば暴走車に轢かれるし賠償は失ったモノに対して遥かに少ない
だから最悪を想定して不安に思うのはアリ
そして自身がそれに対して予防措置をとる事で安心に変えるべき
さすれば措置がとれないモノに対しては諦めがつくようになる
スマホからコメントできないのか?pc版にしてテストしてみます。
カラパイアって、パルモさん一人で書いてるのかと思ってたけど、違うみたいですね。この記事も編集はパルモと書いてあるけどライターの名前は違うし。まあこれだけ有名なサイトを一人で管理とか無理か。
※35
それはそうですよ。パルモさんとは言え、これだけの情報量ですからね。
他にもクマ姉さんとお料理したり、猫ちゃんの下僕という役目もお持ちの方なのですから、それはもう大忙しですよ。
いつもありがとうですよ。
俺の未来予想もほぼ的中しない
楽観的だろうと悲観的だろうと・・・・
将来の展望から、とりかかる作業の段取りまで
世の中は俺には都合良く回ってくれてないことだけはわかってる
病気で働けなくなって数年、貯金が尽きたら俺の人生終わりなわけだが、
これが不安になる。心配してもしなくても終わりなのにな。
信じたことや思っていることは、良いことであれ悪いことであれソレは実現するっていう考えと
心配事の9割は起こらないという考え。
色んな本を読んで、そう書いてあることが多いんだけど、これが私を余計に混乱させる。
心配事を考えてるとそれを引き寄せてしまうのか
心配事を考えても、それは取り越し苦労で起こらないのか
どっちも本当のことを言っているようで、困っている私を余計に困らせる。
まぁ心配事(ネガティブなこと)は考えるなってのがベストアンサーなんだろうけど、そうは簡単にはいかねぇよなぁ…、だって、考えちゃうじゃん。
落ち込んでいるときに人は、独りぼっちだと思い込みがちだけど、あなたを心配してくれている人が何処かにいるものだよね。
>実は私も極度に不安を増幅させるタイプで、病院で不安障害と診断され、
なに可愛い子ぶってんの?
おばさん
何かと悪い予想を立てて不安がるのは仕方ない。根拠もなく楽観的になるよりずっと現実的な考え方だ。
でも、そこでただ怖がったりどうしようどうしようって言ってちゃダメなんだよ。「じゃあどうしよう」って対策考えて、なるべく冷静に努めないといけない。
「9割は起こらない」とあるように、思い込みが激しく考えすぎてる傾向が強いんだ。だから「自分はまた過剰な心配をしてるぞ」と客観的な意見をつぶやいてみる。そうするとちょっと気持ちが落ち着いて、離れたところからの視点が持てる…はず。
自分はこうやってなんとか冷静になるようにしてる。そうしないとずっと同じことしか考えられないから。
自分は長年、様々な不安や鬱状態に翻弄されてたが、ここ十年で自力でソレから脱した(投薬無し)
今は「全ての観念、想像は、自分の妄想=幻想に過ぎない」と思ってる
その妄想幻想が、果たして真実か現実化するかどうか、誰にも解らない
観念や想像がなんであれ、不安に囚われループしないよう、気分を平たく保つ訓練をした
自分は丹田呼吸法と瞑想が効いたよ
あとマントラ的なツール
(宗教は無関係、グルは無し)
光明真言、不動真言、ホ・オポノポノ、祝詞、
まあ脳内のグルグル不安ループを十秒止められれば、なんでもいい。それを毎日繰り返す。
徐々に無駄な不安が減った
不安になっても、具体的に冷静に対処できるようになった
「怒りは六秒やり過ごせば大体治まる」という話も、コレと同じだと思う
真に不安な人は誰が何を説いても残りの約1割があきらめられない人たちだ。彼らの言動を評価すると、不安な状態に執着しているような印象すら受ける
しかし実際、正常な人と違って最悪の状態が起こった時に感じる苦痛も深刻で、あくまで心理的なたとえ話だが、蚊に刺された時、正常な人なら掻痒感程度でその内治まるものが、不安で精神を病んでる人にとっては、スズメバチに刺されたような激痛が走って長期間苦痛が持続する。それくらい苦痛に対する感覚や考え方に隔たりがある。1割に対する感じ方が他の人とは違う。
そして現在の苦痛によって心理的に身動きが取れず、彼らの忍耐は尽きているので、行動療法のような効果に時間のかかる治療法には疑念と失望を抱いているし、やり方が間違っていても、人間不信か羞恥感情のせいで他者から指導を受けることもできない。どんな形でも希望に対して卑屈で疑い深い。
しかしながら、行動する他に改善する道はない事に諦めのような感情を抱き、いくら遅くとも前に進まねばどうしようも無いことに自分から気づいて、個人差はあれど年齢とともに不安は寛解していくのだが、死ぬまで変われずに不愉快な人生を終えるか、途中で自死を選ぶ人もいる。だが大抵の場合、理解者が存在しないためにそういう結末を辿ることになる。不安な人ほど一人で生きるのが危険である。尤も、常にネガティブな言動を繰り返す人間を好きになれる博愛心の化身みたいな人間は非常に珍しい。
人って見えないものを色々抱えているんだね。パルモのこと羨ましいとさえ思っていたけど、勘違いしてたな。目の前の今ある幸せを噛み締めなきゃなぁ~スルメみたく。
90%元気
こういう不安感って砂浜を裸足で歩けるかって感覚に似ていると思う
一見綺麗な砂浜でも、ゴミが埋もれてるかもしれないし(他者の悪意)、尖った貝殻が落ちてるかもしない(不慮の事故)
まあ大丈夫だろと素足で歩ける人
一応サンダルは履いておこうと保険かける人
サンダルなんかじゃ不十分だと丈夫なアウトドアシューズを履く人
砂浜は上陸戦で地獄を味わったとトラウマから前提条件を受け入れられない人
自分はシューズ派ですかね…
たまにでも起こるから怖いんだよ
いつも心配していることはめったに起こらないが、全く心配していないことは
必ず起こる。
一つの心配をし始めるとそればっかり心配するが、大概は他の不運な出来事が
起きて破滅する。
心配することは90%起こらない、
だから起こらないようにするために
心配しなきゃならないのですよ…。
不安神経症って遺伝子由来の先天的なものもあるのかもしれないけど、恐らくほとんどが後天的に身についた心の癖みたいなものだと思うんですよ。であれば、治すこともできるはずだと思うんですよね。何等かの環境要因があって、たとえば酷い怒り方をする上司がいるとかだったら会社を辞めない限り難しいかもしれませんけど、そうでないなら瞑想などで心の癖を変えて行けるでしょう。私は一年間断続的に瞑想していますけど、じょじょに良くなっています。筋トレみたいなものですから急激に変化したりはしませんよ。毎日自分でも気づかないレベルでの変化が積み重なってある程度の期間が過ぎたときに「あれ?そういえば数か月前の心の状態と変わったな・・・」と気が付く。
応援してるサッカーチームが心配した通りになったw
…程度なことはあるある
残りの10%は自分の力じゃどうにもなんないwwガチで…
なんで最終的な台風の進路がいつもウチなんですか?
仕事出来なくなって貯金が尽きる恐怖を書いてる人がいるけど、凄くきついだろうけど生活保護の相談に行かれてください。もう駄目なんてことないです。
共感性羞恥か
ニュースで悩めるほど贅沢な暮らしではない
ある程度悪い結果を想定で覚悟しておいた方がダメージ少ないと思うけどなぁ
楽観視している時に喰らったら立ち直れなくなるぞ
なにも起こらないことがストレス
実際に起きてしまうとパニ症っていう地獄ルートが待ってる
俺は過去に事故ってそうなってしまった、お前らはなるなよ
「不安によって未来に備える能力により、草原に出たヒトザルは生き残れた」
という学説を聞いたことがある。
欧米の研究だけど、人口の1%だかには、その能力が遺伝的に無いとか。
要するに、究極の楽天性。
社会化したヒトだから、その生存も許されているのでしょうね。
必ず何とかなる
思った通りではないけれど
震災の時、原発の「安全」で大もめにもめたことを思い出している。
安全はほしいけど、そこに近づいていくための対策はどうするか考えよう、と言うと順序立てて考えない。
不安を払拭する対策は、いまできる最低限(最大限じゃなく)のことを確実に日々やるだけなんじゃないかな。
杞の国の人の憂いってヤツですねー
天が崩れ落ちる事を心配してもしょうがない、自分の責任内の事だけ悩めば良い、人に投げる事も大事。
峠に行って攻めたとき
やな予感がした
案の定転んでガードレールに激突
バイクは廃車
運転中は起こるときは
当たり前に起きる
※67
それはちょっと違う。
ここでいう不安で仕方がない人たちはバイクに乗ったら死ぬと思ってるから、そもそもバイクの免許すら取らない。
今までの経験から、物事は常に最悪を想定しておいた方が対処しやすいのよ
これまでそれで乗り越えて来たからね
×過剰な心配事の多くは起こらない
〇起こらなったから、その心配事は過剰であったと判明する
ただ、どれだけ心配を抱えても、対策が思いつかなかったり、思いついても実行しようがなかったり、実行したところで他の心配事よりリスク&リターンが見合わない事は、心配していても仕方がないけどね、
何せ、出来る事には限りがあるのだから、出来る事の範囲内でやりくりするしかない、努力も幸運も含めて
問題のある姉を抱えている。
今は離れて暮らしているけど、近い将来必ずもめごとを起こすのはわかっている。
借金か、受け子とかの犯罪の下請けか。
悩みと不安ですっかり病んで、電話やインタフォンの音だけでパニックになる。
「起こってから悩めばいいだろ」って意見もあるけど、それができる人は不安障害にならない。
単語が抜けてるところがあるのが未だに気になってる自分も残りの1割が気になるタイプ
不安は現実になることもあるな
避けられないことであるなら何とかそれを回避しようと思うよりは
状況に身を任せようと思ったほうが
下手なストレスは抱えなくて済むかもしれない
本当に過度に心配しなくてもいいのかな……??
こういう記事読むとなんとなくホッとする
ありがたい
過度に心配すれば感染は防げるのか。
過度に心配すれば災害が避けてくれるのか。
それは違うよね。大切なのは想定と対策。
それにここで言う「過度な心配」とは「ありもしない設定に苦しむくらい思い詰める」という事で、
それは想定とは言わないし、心配するだけ無駄というもの。
前に藪山で遭難したけど、心配していたことは何一つ起きなかったな
私を否定し続ける家族に苦しんでいた時に、私のことを無条件で肯定し褒めてくれる友人と出会い、人生が明るくなった。しかし彼女は数年前に自殺して亡くなってしまった。
悲しみと同時に自分を認めてくれる存在を失い目の前が真っ暗になった。”彼女がいないならもう一人で生きていけない”と思っていたが、数年経っても自分は死んでおらず今こうしてネットを見ている。
最近、”徐々に一人で生きていけるようにならなくては”と思い始めた。不安が肥大して心配ばかりしていても、意外と何も起こらないものなのだと思った。
この記事の言いたいことはわかるが、
過度に心配していることの多くは現実にならないって表現にモヤモヤする。
現実にならなかった心配が、”過度”なのか?
”多くはならない”ってことは過度に心配せずに、適度に抑えろっていうのかなぁ。
長く不安と付き合ってきた経験で、不安てホラー映画と同じくエンタメの一種だとも思う。贅沢品よ。
時々暴走して苦しめてくれるけど、暴走させることで十分な準備を自分にさせたり、約にも立っている。
自分の不安事はだいたい起こる。高確率で。
それは経験上本当にその可能性が高いから不安に感じてるものだから。
ありえないくらい慎重くらいでちょうどいいなんてことが多いのも確か
ポジティブに考えすぎて無鉄砲になってしまうのも考えもの
確かに心配事は滅多に起こらない。
しかし、一度起きると同時多発的で来るから質が悪い。
連続で来るんじゃない、同時に全方向からトラブルがやってくるんだよな。
トラブルは慣れてるから仕方ないにしても一個一個処理し終わってから来てくれよと思う。
マジでトラブルってなんで連鎖で来るんだろうな…
問題が起きるまではそうでもないんだが、いざ問題が起きたときの
「あぁ…、これ次から次へと芋づる式に問題が発覚したり、全く別件のトラブルが出てくる予感がする…」っていうのはかなり高確率で当たる。
飲食店なんて大小合わせて、年がら年中、体制や金や食材や衛生や人員や客や取引やらで常にいろんな時限爆弾(トラブル)を抱えてるのでトラブル慣れしてくる。
そうなると、これは連鎖で来るな…っていうのがもう直感レベルわかる。
九割起きなくても、実現し得る残り一割だけだろうと
怖い事には変わりないから、心備えてダメージ抑えてしまうんや…
予想を雑に投げたせいで実際想定外に来たら余計悪化したり
その動揺のせいでさらに別トラブルに繋がったりもあったし
実際そうして生きてきた経験則としても、どんだけ低確率でも
結局起きるもんは起きるとわかってしまってるから
最早反射と対策シミュ鍛錬に近い心情だし、どうしようもねえ…
本当にいつもタイムリーな内容を挙げてくれてありがたいです。
ちょうど今日、運転中に、過去に何度か発症したパニック発作を起こしかけたんです。
家族を守りたいが為に、連日スマホで感染症の情報を調べに調べ、
あまり見たくない動画も見て、車中では感染症のニュースを流していた所でした。
過度な不安で感染症ではなく車の事故に寄り命を危ぶむ所でした。
この時期にこの内容を挙げてくれる所に愛を感じました。ありがとう。
嫌な予感があたったことが最近何度かあったので
例外もありうるんだと思う
この記事のおかげで眠れない不安な夜に少しだけ安心することができました。ありがとう
障害が障害と呼ばれるのは専門家の手でも借りないと修正が難しく、日常生活に支障をきたすから。そこまでの問題であるにも関わらず、問題のある人はそれを認めない。そこに不安が起きないのが障害の最たる特徴のようにも感じる。自分の判断が決定的に正しいという飛躍した過信と、それに反論する人間は間違っているという無意識的誤認という現実を大きく逸脱し偏った判断のバランスが。
全般性不安障害だけど、不安の中の1割は実際に起こるんだと思ったら余計に不安になってきた。0.1%とかならまだ心は楽になるだろうけど1割はでかすぎる。