参政党の神谷宗幣代表(写真:AP/アフロ)

 7月の参議院選で14議席まで増やし、大きく躍進した参政党。「日本人ファースト」という掛け声のもとに外国人の受け入れの厳格化を掲げている印象が強いが、彼らが発信してきた情報を遡って見ていくと、驚くようなスピリチュアル、陰謀論、エセ科学系のコンテンツが次々と見つかる。参政党の本質とは何なのか。『参政党と神谷宗幣 不安と熱狂の正体』(祥伝社)を上梓した文筆家の古谷経衡氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──神谷さんを保守系メディアにデビューさせたのが、他ならぬ古谷さんだったと書かれています。

古谷経衡氏(以下、古谷):私が神谷さんと出会ったのは、今から12年ほど前です。神谷さんはその頃、大阪府吹田市の市議会議員をしていました。彼は2期目の市議でしたが、辞職して、2012年末にあった第二次安倍政権の衆議院議員選挙に、自民党から大阪13区で出馬しました。

 当時の自民党はとても強かったのですが、彼は大惨敗を喫して落選し、比例復活もありませんでした。浪人になった彼は、人脈を作る必要があると考えて東京に進出したのです。

 その頃、私は保守系メディア『チャンネル桜』で番組を持っており、オピニオン情報誌『ジャパニズム』の編集長もしていましたから多少の裁量を持っていました。そこで、大学時代に同じ大阪で過ごし、年齢も近い神谷さんに私の番組や雑誌に出てもらいました。

 今でこそ、参政党の党首として政界やメディアで引っ張りだこの神谷さんですが、当時はまだ誰も知らない存在で、彼を初めて雑誌やCS番組に起用したのは私でした。

 市議を経て国政に進出し、落選した30代の人など珍しくありません。彼は当時「龍馬プロジェクト」という地方議員のネットワークを作っていましたが、それだけではゲストとしては引きが弱いので、局からの要請もあり、憲政史家の倉山満さんと共演という形で出ていただきました。

 番組には、参政党所属の参議院議員をしている「さや」こと塩入清香さんもキャスターという形で出演していました。神谷さんとはその時が初対面だったと思います。その後を考えると、興味深い参政党の原型があの番組にはありました。

──神谷さんから初めて名刺をもらったときに、そこに書かれていた「ワンピースのような政治をしよう!」という文言に、強い印象を受けたと書かれています。古谷さんから見て、神谷さんとはどのような性格や人柄の人物ですか?

古谷:神谷さんは昔から笑顔の絶えない方で、人当たりがよく、攻撃的で威圧的なタイプではありません。アクティブな方で、拠点はまだ大阪市内にあったにもかかわらず、毎週、何回も新幹線に乗って東京に通って人脈づくりをしていました。彼は私より5歳年上なので、私からすると「熱い兄貴」という感覚でした。

 でも、熱いということと教養があるということは別です。保守や右の業界で一定の存在感を放っていけるような、歴史、政治、経済に関する知識が彼に伴っていたかというと、かなり怪しかったというのが正直なところです。

──神谷さんの保守感覚は、いわゆる日本の保守系とはかなり異なると書かれています。