真壁駅
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真壁駅 | |
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駅跡(2008年10月) | |
まかべ MAKABE | |
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所在地 | 茨城県真壁郡真壁町古城 |
所属事業者 | 筑波鉄道 |
所属路線 | 筑波線 |
キロ程 | 30.2 km(土浦起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面3線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,064人/日 -1978年[1]- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)4月7日[2] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)4月1日[3] |
真壁駅(まかべえき)は、茨城県真壁郡真壁町(現・桜川市)古城にあった、筑波鉄道筑波線の駅(廃駅)である。筑波線の廃線に伴い1987年(昭和62年)に廃止された。
歴史
[編集]- 1918年(大正7年)
- 1919年(大正8年)6月30日:撤廃した岩瀬駅の機関庫を移転する形で、当駅に機関庫を設置[1]。
- 1945年(昭和20年)3月20日:会社合併に伴い、常総筑波鉄道筑波線の駅となる[3]。
- 1965年(昭和40年)6月1日:会社合併に伴い、関東鉄道の駅となる[6]。
- 1979年(昭和54年)4月1日:事業譲渡に伴い、筑波鉄道の駅となる[6]。
- 1981年(昭和56年)8月12日:貨物営業を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:廃止[3]。
駅構造
[編集]- 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線(乗降可能は2線、外1線は留置線)の地上駅だった。駅本屋は西側の下りホーム(岩瀬方面)上にあった[1]。
- 夜間留置の設定駅だった。
- 駅本屋南側に貨物ホームがあり、貨物側線は土浦方で本線に合流していた[1]。
- 終日駅員が配置されており、有人駅だった[1]。
利用状況
[編集]1978年(昭和53年)の乗降客数は1日平均1,064人で、土浦・東京への買い物客や、茨城県立真壁高等学校への通学客が多かった。
駅周辺
[編集]- 真壁町役場(現・桜川市真壁庁舎)
- 真壁郵便局
- 真壁町民体育館
- 茨城県立真壁高等学校
- 真壁城跡
バス路線
[編集]「真壁駅」の名は鉄道廃止後もバス停留所名として残っていた。
岩瀬・真壁急行バスがつくばセンター方面や岩瀬駅方面へ、一般路線バスが筑波山口、土浦駅、岩瀬駅、下館駅、下妻駅方面へ発着していたが、2008年(平成20年)4月1日より数本の土浦駅方面のみとなり鉄道廃線以来初めてJR水戸線方面への連絡がなくなり、他路線・他交通機関との結節を持たない盲腸線終点となった。バス案内所はない。
2011年(平成23年)3月限りで真壁駅と筑波山口を結ぶバスが全廃され、真壁駅を経由する路線バスは消滅。駅前広場は介護施設に転用されている。その後2017年(平成27年)より桜川市・つくば市間広域連携バスが運転を開始したが、かつての真壁駅バス停へは乗り入れない。
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真壁駅バス停留所(現在は廃止)
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真壁駅停留所で使われていたバス停留所標識柱の廃品
過去の路線
[編集]現状
[編集]駅舎・待合室等は撤去されたものの、構内はつくば霞ヶ浦りんりんロード真壁休憩所として整備され、ホームには営業当時からあった桜の木々がそのまま保存されている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 寺田裕一「第3章 施設・駅」『筑波鉄道 : 三度の社名変更を経たローカル私鉄』 下(初版)、カルチュア・エンタテインメント〈RM LIBRARY〉、2021年10月1日、10頁。
- ^ a b c 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年4月27日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、曽根悟 監修、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日、9-11頁。
- ^ 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年6月13日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年9月13日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』 21巻、6号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、111頁。