常陸藤沢駅
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常陸藤沢駅 | |
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駅跡(2010年6月) | |
ひたちふじさわ HITACHIFUJISAWA | |
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所在地 | 茨城県新治郡新治村 |
所属事業者 | 筑波鉄道 |
所属路線 | 筑波線 |
キロ程 | 7.6 km(土浦起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
261人/日 -1977年〜1979年当時[1]- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)4月17日[2] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)4月1日[3] |
常陸藤沢駅(ひたちふじさわえき)は、かつて茨城県新治郡新治村(現・土浦市)にあった筑波鉄道筑波線の駅(廃駅)である。筑波線廃止に伴い1987年(昭和62年)に廃止された。
歴史
[編集]- 1918年(大正7年)4月17日:筑波鉄道 (初代)の駅として開業[2]。
- 1945年(昭和20年)3月20日:会社合併に伴い、常総筑波鉄道筑波線の駅となる。
- 1965年(昭和40年)6月1日:会社合併に伴い、関東鉄道の駅となる[4]。
- 1979年(昭和54年)4月1日:事業譲渡に伴い、筑波鉄道の駅となる[4]。
- 1970年(昭和45年)10月:駅業務を委託化[1]。
- 1981年(昭和56年)8月12日:貨物営業廃止(これ以前から既に貨車の到着、発送は無い状態だった)[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:廃止[3]。
駅の跡地は茨城県道505号桜川土浦潮来自転車道線(つくば霞ヶ浦りんりんロード)の休憩所となっている。また、駅廃止後も周辺の小字は「駅前」である。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線の地上駅。駅本屋は上りホーム(土浦方面)上にあり、両面のホームをつなぐ構内踏切は筑波方にあった[1]。
駅周辺
[編集]- 茨城県道201号藤沢荒川沖線
- 旧宮崎酒店
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 寺田裕一「第3章 施設・駅」『筑波鉄道 : 三度の社名変更を経たローカル私鉄』 下(初版)、カルチュア・エンタテインメント〈RM LIBRARY〉、2021年10月1日、6頁。
- ^ a b 『軽便鉄道運輸開始. 官報 1918年4月27日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 21号 関東鉄道・真岡鐵道・首都圏新都市鉄道・流鉄、曽根悟 監修、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年8月7日、9-11頁。
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』 21巻、6号、鉄道ジャーナル社、1987年5月、111頁。