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亀井久興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀井 久興
かめい ひさおき
内閣広報室より公表された肖像
1997年 撮影)
生年月日 (1939-11-08) 1939年11月8日(85歳)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市渋谷区
(現・東京都渋谷区)
出身校 学習院大学政経学部政治学科
前職 会社役員
松田竹千代衆議院議員秘書
財団法人役員
所属政党自由民主党田中派)→)
無所属→)
(自由民主党加藤派河野G→)
国民新党→)
無所属
称号 旭日大綬章
政治学士(学習院大学・1962年
配偶者 亀井陽子
子女 亀井亜紀子長女
親族 亀井茲建
亀井茲監高祖父
岩倉具視(高祖父)
上杉茂憲曽祖父
有馬頼寧祖父
東伏見慈晃従弟
公式サイト 亀井久興公式ホームページ

内閣 第2次橋本改造内閣
在任期間 1997年9月11日 - 1998年7月30日

選挙区島根県全県区→)
島根3区→)
比例中国ブロック島根2区
当選回数 4回
在任期間 1990年2月19日 - 1993年6月18日
1996年10月21日 - 2009年7月21日

選挙区 島根県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1974年7月8日 - 1986年6月21日

その他の職歴
初代 国民新党幹事長
(党首:綿貫民輔
2005年8月17日 - 2009年8月31日
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亀井 久興(かめい ひさおき、1939年昭和14年〉11月8日 - )は、日本政治家参議院議員(2期)、衆議院議員(通算5期)、国土庁長官第30代)、国民新党幹事長(初代)、総務省顧問などを歴任した。島根県日華親善協会会長。

概要

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自由民主党時代には、閣内人事では国土庁長官、党内人事では自由民主党の国会対策委員会副委員長、総務会副会長、政務調査会の副会長、会長代理を歴任し、自民党の党三役に近い立場にいた。

2005年7月5日郵政国会では衆議院本会議郵政民営化法案に反対票を投じ、同年8月綿貫民輔らと国民新党の結党に参加した。結党時より国民新党幹事長を務める。

2007年7月第21回参議院議員通常選挙島根県選挙区には長女の亀井亜紀子が国民新党公認・民主党推薦で出馬し、初当選。

しかし、2009年8月30日実施の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で落選し、比例区での復活当選も叶わなかった。衆議院議員失職に伴い、結党以来務めてきた幹事長の座を退き、党顧問となる。同年10月、総務大臣である原口一博の要請により、社会民主党副幹事長の保坂展人らとともに総務省顧問に任命され[1]かんぽの宿売却問題を始めとする郵政民営化に絡む疑惑解明の為の特別調査チームに参加[2]

2012年4月、長女の亀井亜紀子が亀井静香(静香は久興と同じ宇多源氏佐々木氏流とされる亀井氏の家系に属するため、久興は静香とはかなり遠い血縁関係である[3])と共に国民新党を離党。それに伴い、自身も国民新党顧問を退く。

同年12月、高齢であることを理由に第46回衆議院議員総選挙に立候補しない意向を固め、政界を引退すると表明した[4]

2023年、島根県日華親善協会会長として台湾元行政院長の謝長廷と会談[5]、亜紀子も同席。

来歴

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国会議員になるまで

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自由民主党国会議員

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自民党離党後

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選挙区

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自身の選挙は余り強くなく、衆議院選挙では通算3回落選している(当選は5回)。

参議院議員時代は、島根県選挙区から選出されていた。衆議院に鞍替え後の中選挙区時代には、竹下登を選出していた島根県全県区から立候補していた。衆議院議員として初当選した第39回衆議院議員総選挙では、自民党を離党して消費税の一時廃止を訴え、竹下陣営と対立した。小選挙区比例代表並立制が導入後は、島根3区で当選を続けたが、同区が再編されるにともない竹下亘地盤を譲り比例代表へ転出した。国民新党結党後は反自民に転向したため、竹下登首相や、竹下の最側近だった青木幹雄前自民党参議院議員会長の影響力が極めて強い保守王国の島根県では苦戦を強いられ、2005年第44回衆議院議員総選挙では島根2区で竹下登の実弟・に敗れ比例復活で当選したが、2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹いたにもかかわらず再度竹下に敗れ、比例復活も果たせず落選した。

政策・主張

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自民党では、宏池会、後に大勇会に属した。

党内改革

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昭和51(1976年)、政界がロッキード事件で大混乱に陥っている中で、中山太郎外相をはじめ参議院の有志と相はかり党の再生運動に取り組んだ[6]国会議員をはじめ自民党の各都道府県支部や、党所属の地方議員に呼びかけて「新しい自民党を作る会」を結成、国民に開かれた政党をつくるために積極的な運動を展開し、総裁選挙に全党員が参加する道を開いた[6]

郵政

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また、昭和54(1979年)第1次大平内閣で郵政政務次官を務めたときは、全逓が勝負をかけた大闘争の最中であり、年賀郵便が遅配されるという異例の事態となったが、白浜仁吉郵政大臣を補佐して郵政事業を守り抜き今日の健全な労使関係を築くきっかけをつくった[6]

さらに、平成5年(1993年)衆議院逓信委員長を務めたとき、小泉純一郎郵政大臣に反発する逓信委員会が、野党一致して委員会審議を拒否したため委員会が開けず、郵政関係法案の処理が不能になる事態となったが、大臣と委員会との調整に取り組んだ結果、委員会を円満に正常化させることができ、全付託法案を処理した[6]

郵政改革関連法案に反対し自民党を離党した。

憲法

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憲法の政治上の運用について精通しており、日本国憲法をさまざな点について改正すべきであるとしている。日米安保条約と第九条が、外交戦略上果たしている役割について評価しており、第九条改正すべきではないと主張している(2007年07月08日朝日新聞)。

人物像

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本籍地島根県鹿足郡津和野町中座[9]。現住所は島根県益田市有明町[9]。趣味はスポーツ(ゴルフスキー等)、音楽鑑賞、旅行[9]。特技はジャズドラム演奏[9]座右の銘は行不由径(ゆきてこみちによらず)[9]。尊敬する人は勝海舟松下幸之助[9]。なお、「久興」という名前の由来は、祖母・久と父の勤めていた興銀から。[10]

一族

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家系大名家で旧津和野藩主、明治以降は旧華族伯爵家。

家族・親族

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長女の亀井亜紀子(左)、謝長廷(右)と

その他の親戚では、同じく岩倉具視の玄孫である加山雄三とは三いとこにあたる(曽祖伯父・岩倉具定〈具視の次男〉の曽孫)。

系譜

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亀井家(島根県鹿足郡津和野町東京都

家系

亀井氏は宇多源氏佐々木氏の支流といわれている[11]。すなわち、佐々木秀義の子で出雲守護・隠岐義清の孫頼清にはじまるという[11]。しかし、同じく佐々木氏の分かれとしながらも、佐々木義清の孫時清の子が頼清であるという説もある[11]。また、紀州の鈴木氏の一族で、源義経に仕えた亀井六郎重清の後裔とするものもある[11]。いずれにしても、亀井氏の発祥は、不詳としかいいようがない[11]
上月城の落城で尼子氏が滅んだあと茲矩は豊臣秀吉に仕え、天正9年(1581年)の時点ですでに因幡国の鹿野城主となり1万3500石を与えられている[11]関ヶ原の戦いのときは東軍に属し、戦後、3万8千石に加増され、石見国津和野を領した[11]。あとは子の政矩が継いで、幕末にいたっている[11]
茲矩政矩茲政茲政茲満茲延茲胤矩貞矩賢茲尚茲方茲監茲明茲常茲建久興亜紀子
亀井久興 父:
亀井茲建
祖父:
亀井茲常
曽祖父:
亀井茲明
曽祖母:
-
祖母:
亀井久
曽祖父:
上杉茂憲
曽祖母:
上杉兼
母:
亀井正子
祖父:
有馬頼寧
曽祖父:
有馬頼萬
曽祖母:
森寛子
祖母:
有馬貞子
曽祖父:
北白川宮能久親王
曽祖母:
岩浪稲子

脚注

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文献

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  • 『日本の名家』

関連項目

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外部リンク

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公職
先代
伊藤公介
日本の旗 国土庁長官
第30代:1997年 - 1998年
次代
柳澤伯夫
議会
先代
谷垣禎一
日本の旗 衆議院逓信委員長
1993年
次代
高橋一郎
先代
降矢敬雄
日本の旗 参議院商工委員長
1982年 - 1983年
次代
斎藤栄三郎
党職
先代
(結成)
国民新党幹事長
初代:2005年 - 2009年
次代
自見庄三郎
先代
(結成)
国民新党国会対策委員長
初代:2006年 - 2007年
次代
糸川正晃