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中田功

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 中田功 八段
名前 中田功
生年月日 (1967-07-27) 1967年7月27日(57歳)
プロ入り年月日 1986年4月30日(18歳)
棋士番号 176
出身地 福岡県福岡市中央区
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 大山康晴十五世名人
弟子 佐藤天彦古賀悠聖武富礼衣
段位 八段
棋士DB 中田功
2024年4月12日現在
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中田 功(なかた いさお、1967年7月27日 - )は、将棋棋士福岡県福岡市中央区出身。大山康晴十五世名人門下。棋士番号は176。

棋歴

プロ入り前

  • 中学1年でプロを目指し、福岡から上京。近代将棋社永井英明のもとに住み込み、修行に励んだ[1]。1980年、第5回中学生名人戦で優勝している。

プロ入り後

  • 1986年、18歳でプロ入り。
  • 第51期順位戦(1992年度)C級2組で最初の2局で連敗したが、そこから8連勝する粘りを見せ、C級1組へ昇級。
  • 第41期王位戦(2000年度)でリーグ入り。王位挑戦者となった谷川浩司に黒星をつけるが、リーグ残留失敗。第45期(2004年度)王位戦でもリーグ入り。中原誠深浦康市らに勝利して2位タイの3勝2敗とするが、前期から残留の中川大輔との順位の差に泣き、リーグ残留失敗。
  • 第70期順位戦(2011年度)で降級点を抱えた状態で3勝しかできず降級のピンチに立たされる。最終局の相手は現役最古参の加藤一二三で、加藤の棒銀に対し振り飛車で挑んだが完敗。降級点累積により19年所属したC級1組からC級2組へ降級となった。
  • 第7期叡王戦(2021年度)八段予選決勝で広瀬章人に勝ち、本戦トーナメント進出[2]。一方で2022年2月10日、自身の対局日ではなかったものの、第80期順位戦C級2組において最終局を残した状態で降級点3が確定し、フリークラス陥落が決定した[3]

棋風

人物・エピソード

  • 名前は「いさお」であるが、名前の音読みから、「コーヤン」の愛称がついている。2000年の情報では180cm、54kg、棋界No.1の痩身棋士である[4]BMI16.7。標準の22に対しマイナス24%の痩せである。30代の頃までは髪型は七三分けで眼鏡を着用していたが、40代になる前後の時期に髪型は坊主頭で裸眼になり、にわかに同一人物とは気づかれない程のイメージチェンジをした。ソフトで細い声と穏やかな語り口に特徴がある。冗談を言うときにも同様である。
  • 麻雀はプロ雀士並みの腕前であり麻雀番組にテレビ出演している。趣味は草野球サッカーといったスポーツで汗を流すことである[1]
  • 2018年現在福岡市在住[5]九州大学将棋部の師範を務めている。九州在住ではあるが、所属は当初は関東であった。2011年4月より関西に移籍している。「関西に所属する旬の若手とたくさん対局したい」というのがその理由であった[6]。九州地方での将棋の普及活動に力を入れており、2016年1月より福岡市に開設された九州研修会では、同じく福岡在住の豊川孝弘と共に幹事を務めている[7]
  • 王手将棋に造詣が深く、「将棋世界」誌に講座を執筆していた事もある。「将棋世界」誌の企画「Xは誰だ」(将棋倶楽部24上で匿名のプロ棋士が利用者を相手に平手で対局し、その棋士が誰かを当てるというもの。プロ棋士は一月ごとに交代する)の初代担当者で、一月で実に182局もの対局を行い、第10代X(田村康介)に抜かれるまで最多対局数記録者となっていた。
  • 2007年8月6日、対局の日程を勘違いし、第16期銀河戦伊藤能戦)で予選の当日に対局場に現れず不戦敗となった。中田は過去20年間で当人の不注意により上述を含め6回不戦敗を犯しており、かねてより所属棋士から対応の甘さを指摘されていた日本将棋連盟は、罰金100万円及び次期銀河戦への出場停止の処分を下した。状況が酷似した武者野勝巳も同じ処分を受けた[8]
  • 2009年4月19日に行われた日本女子プロ将棋協会(LPSA)の第23回1dayトーナメントどうぶつしょうぎカップ」に出場し優勝した。出場者のほとんどがLPSA所属の女流棋士であり、同トーナメント初の男性優勝者となった。
  • 2010年、福岡市中央区で行われた名人戦羽生善治三浦弘行)の第4局で副立会人を務めた際、NHK BS2にて、対局場と生家が歩いて行けるほどの近距離ということを明かし、「複雑な気持ちです」、「うれしいです」という2つの相反する感想を述べた。

弟子

棋士となった弟子

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
佐藤天彦 2006年10月1日 九段、名人3期、棋戦優勝4
古賀悠聖 2020年10月1日 六段

(2024年3月5日現在)

女流棋士となった弟子

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
武富礼衣 2018年2月7日 女流初段

(2022年4月1日現在)

  • 奨励会にも中田門下の会員が複数在籍している。佐藤が四段となった時に中田は39歳2ヶ月であり、師匠の大山・兄弟子の有吉道夫に続き30代でプロ棋士の師匠となった[注 1][注 2]。また、中田はアマチュアに好意的であり、下平雅之アマ[注 3]は中田が師匠となって平成21年度後期奨励会三段リーグ編入試験を受験している。ただし、結果は不合格であった。

昇段履歴

  • 1980年11月01日 : 6級 = 奨励会入会
  • 1981年03月01日 : 5級
  • 1981年06月01日 : 4級
  • 1981年11月01日 : 3級
  • 1982年04月01日 : 2級
  • 1982年07月01日 : 1級
  • 1983年08月01日 : 初段
  • 1984年03月01日 : 二段
  • 1985年05月20日 : 三段
  • 1986年04月30日 : 四段 = プロ入り
  • 1990年03月06日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝
  • 1998年08月07日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝
  • 2005年10月11日 : 七段(勝数規定 /六段昇段後公式戦150勝[9]
  • 2019年01月21日 : 八段(勝数規定 /七段昇段後公式戦190勝[10]

主な成績

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[11]
(出典)竜王戦
出典[12]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1986 45 四段昇段前 第26期十段戦 予選敗退
1987 46 C247 6-4 1 6組 -- 1-2
1988 47 C220x 2-8 2 6組 -- 2-2
1989 48 C246* 5-5 3 6組 -- 5-1
1990 49 C231* 7-3 4 5組 -- 1-2
1991 50 C214* 8-2 5 5組 -- 1-2
1992 51 C204* 8-2 6 5組 -- 1-2
1993 52 C121 6-4 7 5組 -- 1-2
1994 53 C113 4-6 8 5組 -- 1-2
1995 54 C115 5-5 9 5組 -- 2-2
1996 55 C113 6-4 10 5組 -- 4-2
1997 56 C110 5-5 11 4組 -- 0-3
1998 57 C111 4-6 12 5組 -- 2-2
1999 58 C114x 2-8 13 5組 -- 2-2
2000 59 C126* 4-6 14 5組 -- 2-2
2001 60 C121*+ 8-2 15 5組 -- 1-2
2002 61 C105 5-5 16 5組 -- 1-2
2003 62 C112 6-4 17 5組 -- 3-2
2004 63 C112 6-4 18 5組 -- 0-3
2005 64 C110 6-4 19 6組 -- 1-2
2006 65 C110 7-3 20 6組 -- 1-2
2007 66 C106 6-4 21 6組 -- 1-2
2008 67 C107 4-3 22 6組 -- 3-2
2009 68 C119x 2-8 23 6組 -- 1-2
2010 69 C130* 5-5 24 6組 -- 3-2
2011 70 C118*x 3-7 25 6組 -- 2-2
2012 71 C201 6-4 26 6組 -- 1-2
2013 72 C211 4-6 27 6組 -- 3-2
2014 73 C230 5-5 28 6組 -- 3-2
2015 74 C223 4-3 29 6組 -- 5-1
2016 75 C232x 3-7 30 5組 -- 1-2
2017 76 C241* 5-5 31 5組 -- 0-3
2018 77 C227*x 2-8 32 6組 -- 0-2
2019 78 C243** 4-6 33 6組 -- 0-2
2020 79 C237** 4-6 34 6組 -- 0-2
2021 80 C235**x 2-8 35 6組 -- 3-2
2022 81 F編 36 6組 -- 0-2
2023 82 F編 37 6組 -- 1-2
2024 83 F編 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1986 22 9 13 0.4091 [13]
1987 34 16 18 0.4706 [14]
1988 45 26 19 0.5778 [15]
1989 43 21 22 0.4884 [16]
1990 49 29 20 0.5918 [17]
1986-1990
(小計)
183 101 82
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1991 33 16 17 0.4848 [18]
1992 35 22 13 0.6286 [19]
1993 31 16 15 0.5161 [20]
1994 33 15 18 0.4545 [21]
1995 30 14 16 0.4667 [22]
1996 32 18 14 0.5625 [23]
1997 31 13 18 0.4194 [24]
1998 34 21 13 0.6176 [25]
1999 37 16 21 0.4324 [26]
2000 40 22 18 0.5500 [27]
1991-2000
(小計)
336 173 163
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 35 22 13 0.6286 [28]
2002 40 25 15 0.6250 [29]
2003 40 24 16 0.6000 [30]
2004 34 19 15 0.5588 [31]
2005 32 19 13 0.5938 [32]
2006 35 21 14 0.6000 [33]
2007 28 12 16 0.4286 [34]
2008 25 11 14 0.4400 [35]
2009 36 18 18 0.5000 [36]
2010 29 14 15 0.4828 [37]
2001-2010
(小計)
334 185 149
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 28 10 18 0.3571 [38]
2012 32 18 14 0.5625 [39]
2013 25 9 16 0.3600 [40]
2014 30 13 17 0.4333 [41]
2015 28 13 15 0.4643 [42]
2016 34 15 19 0.4412 [43]
2017 28 13 15 0.4643 [44]
2018 31 11 20 0.3548 [45]
2019 29 12 17 0.4138 [46]
2020 22 4 18 0.1818 [47]
2011-2020
(小計)
287 118 169
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2021 28 9 19 0.3214 [48]
2022 13 2 11 0.1538 [49]
2023 17 5 12 0.2941 [50]
2021-2023
(小計)
58 16 42
通算 1208 593 615 0.4909 [51]
2023年度まで

著書

脚注

注釈

  1. ^ 中田がプロとなった時、大山は63歳1ヶ月であったが、それより前に大山が32歳3ヶ月当時に有吉がプロ入りした。
  2. ^ 自身が30代の時点で弟子がプロ入りした例は奨励会の制度が確立して以降は比較的珍しく、大山・有吉・中田の他には、南口繁一高柳敏夫芹沢博文田丸昇真部一男椎橋金司森信雄所司和晴戸辺誠広瀬章人がいる。
  3. ^ 下平雅之アマは第46回(2008年度)しんぶん赤旗全国囲碁・将棋大会で優勝し赤旗名人となった人物である。

出典

  1. ^ a b 将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^ 第7期叡王戦 八段戦 予選決勝 広瀬章人vs中田功(2021年12月22日)
  3. ^ 第80期順位戦 C級2組 10回戦・対中村亮介対局後(2022年2月3日)、11回戦・対山本博志の対局前
  4. ^ 将棋世界」2000年1月号付録「2000年棋士名鑑」
  5. ^ 福袋買って森下九段と対局 宗像市の片山さん ハンディ戦勝利「感激」 [福岡県] - 西日本新聞・2018年3月16日
  6. ^ 佐藤慎一のブログ・「サトシンの将棋と私生活50-50日記」4月8日付記事 による。記事内の「こーやん先生」とは、中田のことである。
  7. ^ 日本将棋連盟九州研修会 説明会&プレイベントのお知らせ - 日本将棋連盟・2015年10月16日
  8. ^ 2007年8月10日読売新聞 20年間で不戦敗6回、中田七段と武者野六段に罰金百万円
  9. ^ 日本将棋連盟からのお知らせ(2005年11月2日時点のアーカイブ)”. web.archive.org. 2024年8月9日閲覧。
  10. ^ 中田功七段が八段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月9日閲覧。
  11. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  12. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  13. ^ [1][名無しリンク]
  14. ^ [2][名無しリンク]
  15. ^ [3][名無しリンク]
  16. ^ [4][名無しリンク]
  17. ^ [5][名無しリンク]
  18. ^ [6][名無しリンク]
  19. ^ [7][名無しリンク]
  20. ^ [8][名無しリンク]
  21. ^ [9][名無しリンク]
  22. ^ [10][名無しリンク]
  23. ^ [11][名無しリンク]
  24. ^ [12][名無しリンク]
  25. ^ [13][名無しリンク]
  26. ^ [14][名無しリンク]
  27. ^ [15][名無しリンク]
  28. ^ [16][名無しリンク]
  29. ^ [17][名無しリンク]
  30. ^ [18][名無しリンク]
  31. ^ [19][名無しリンク]
  32. ^ [20][名無しリンク]
  33. ^ [21][名無しリンク]
  34. ^ [22][名無しリンク]
  35. ^ [23][名無しリンク]
  36. ^ [24][名無しリンク]
  37. ^ [25][名無しリンク]
  38. ^ [26][名無しリンク]
  39. ^ [27][名無しリンク]
  40. ^ [28][名無しリンク]
  41. ^ [29][名無しリンク]
  42. ^ [30][名無しリンク]
  43. ^ [31][名無しリンク]
  44. ^ [32][名無しリンク]
  45. ^ [33][名無しリンク]
  46. ^ [34][名無しリンク]
  47. ^ [35][名無しリンク]
  48. ^ [36][名無しリンク]
  49. ^ [37][名無しリンク]
  50. ^ [38][名無しリンク]
  51. ^ [39][名無しリンク]

関連項目

外部リンク