僕はパパを殺すことに決めた 〜父親が発達障害でなかったのか
FNNプライムの記事を読み、「あの事件からもう18年も経ったのか」という感慨です。この事件の一報は「奈良で民家全焼。母子3人が死亡。1人が行方不明」でした。捜査の結果、ほどなくして放火の疑いが強まり、行方不明になった長男に焦点が向いていきます。事件2日後、京都市内の民家にいた長男が発見されます。そして放火を認め、逮捕されました。
その後の展開はご存じの方が多いと思います。wikiから引きます。
少年の父は、妻(少年の実母)に対する身体的または精神的なドメスティックバイオレンス、少年に対する身体的または精神的な児童虐待の常習者だった。少年の実母は、夫(少年の父)からの暴力に心身ともに耐えられなくなり、少年の実妹(当時3歳)を連れて別居し、少年が小学校1年の時に離婚が成立し、少年の親権と養育権は父、少年の実妹の親権と養育権は少年の実母が得た。実父母の離婚後は、実父の考えにより、少年は実母と実妹とは交流も連絡も遮断され、一度も会っていない。少年の父は少年の幼児期から、父のように医師になることが唯一絶対の正しい価値や生き方であるという考えに基づいて、医師になることを強要した。少年の学校の試験の成績が実父の要求値より低い場合には、いつも以上に激しい暴力により虐待されていた[1]。また少年は自宅でも居場所が無かったためか息抜きの場所が学校であったと語っており、持っていたマンガ本は友人にあげていたという。
少年の父は少年の実母と離婚後、同じ職場で働いていた医師と再婚した。少年は継母や異母弟妹とは円満な関係だった。少年は父との関係については、父の期待に応えて医師になろうとする気持ちと、父から医師になることを強要され、学校の試験の成績が父の要求よりも低いと身体的・精神的な虐待を受けることに苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちの、両方の感情を抱いていたが、成長するにつれて苦痛や恐怖や屈辱を感じる気持ちが大きくなっていった[1]。そして、ついには父が仕事で不在であることは分かっていながら、この苦痛や恐怖や屈辱にはもう耐えられない、自分の生活環境をすべて破壊してこの状況から脱出したいという感情により、自宅に放火した[1]。なお、継母と異母弟妹を殺害する明確な意思はなかったという。
息を呑むというか、あまりに気の毒な少年の境遇と起こした事件の重大さに暗然とする思いでした。奈良県随一の進学校といえば、あの学園しかありません。進学実績をみると、東大・京大のみならず国内各地の有力大学医学部に多数の合格者を出しています。もともと医学部志向が強い関西の進学校の中でも突出しており、京大医学部に関しては毎年灘高と競り合っています。この学園で中程度の成績であったとしても、進学先さええり好みしなければそこそこの医学部に進むことは容易いことだと思います。しかし、少年の父親はそれを許さなかった。大阪医大(今の大阪医科薬科大)卒だった父親は、私学出身の自分の不遇を嘆き、息子には上位の医学部に進むことを厳命しました。おそらく関西で上位とされる5校(京大、阪大、神大、京都府立医大、大阪市立大(大阪公立大))のどれかでしょう。父親はこどもの勉強部屋を「ICU」と呼び、できないと殴る蹴るを繰り返しました。ここまでは非道くなかったとはいえ、うちの親父も相当に暴力的でした。小学校時代、算数でわからないことがあると何度も殴られました。後年親父がおもしろそうに、「お前が算数ができなくて殴ると、「あちち」と言っていたよ」と回想してましたが、成人していた僕は「何がおもしろい?」と内心ものすごく腹が立ちました。何の問題だったかとうに忘れたけど、殴れば子どもはわかるようになるのか?考えてみると、親父は自分ができもしないことをあれこれ子どもに命じる人でした。子ども心にすごく不愉快でした。挙げ句の果てに、命じたことがうまくできないと「がっかりだ」と言い放ったことも、この年にして決して忘れたことはありません。しかし、私はそれを「他山の石」としました。自分の子供達の教育では、必ず自分も一緒に問題を解くを励行しました。大学受験の時も、時間を決めて同じように模試や入試の問題を解き、子どもの回答と照らし合わせて解説しました。「親が直接子どもの教育をする」に賛否両論があるのは知っていますが、少なくとも自分は自分が出来ないことを子ども達には強制しなかった自負があります。
話はこの少年の事件に戻ります。子どもに期待していたことは否定しませんが、暴力的扱いはまるで離婚して家を出た前妻の代わりと言わんばかりでした。そして再婚した新しい妻にも、長男の監視を強く求めます。しかし、長男の成績は伸び悩みます。命じられた塾をさぼったこと、中間試験で英語の成績を確保できたと親にウソをついたこと。三者面談が間近となり、これらの虚構がすべて暴露されそうになった時、少年はすべてをゲームセットにすることを考えます。その結果が母子3人の放火殺人となりました。自分にはまったく他人事とは思えなかった。東大寺学園の同級生たちを含めて、多数の嘆願書がでたのをみると、少年の境遇に深く同情する者が多数居たことがわかります。こういった事件の全容を世に知らしめたのが、本書でした。今回関テレで放映された本書刊行を巡るドキュメンタリーは残念ながら見逃しました。裁判における精神鑑定医の崎濱盛三医師が少年の供述調書を作家草薙厚子氏に託し、ほぼそれそのままの内容で刊行されたのが本書です。漏洩をした罪で崎濱医師は逮捕され有罪となり、医業停止1年の処分も受けました。FNNプライムの記事から引用します。
少年の精神鑑定を担当したのが、精神科医の崎濱盛三医師(当時49歳)だった。 犯行には少年の「広汎性発達障害」が影響しており、少年に「殺意は全くなく、再犯の可能性もない」と鑑定。家庭裁判所は、崎濱医師の鑑定書を信用できると判断した。 その結果、少年は刑務所行きを免れ、教育が目的の少年院送致となった。鑑定医としての仕事を終えた崎濱医師は、さらに少年のために思い切った行動に出る。
「少年が社会復帰する時に備えて、『殺人鬼』であるとの世間の誤解を解いておきたい」そう考えた崎濱医師は、少年事件と発達障害に詳しいジャーナリスト草薙厚子さんからの取材依頼に協力することにした。そして、少年の供述調書などを見せた。しかし、事態は思わぬ方向に動いていく。草薙さんは、事件を題材にした本『僕はパパを殺すことに決めた』を出版。
少なくとも言えることは、私は本書を読み、少年の境遇を深く知ることができて、いろいろなことを考える契機になりました。
この本は、大部分が供述調書をそのまま引用した内容で、すぐさま法務省が問題視。 出版から4カ月後、奈良地検が草薙さんや崎濱医師の自宅に強制捜査が入る。そして情報源だった崎濱医師が秘密を漏らした罪で逮捕起訴された。取材に協力した鑑定医が秘密漏示罪に問われた初めての事件。当時『僕パパ』事件とも呼ばれ、大きく報じられた。
崎濱医師は、取材に協力して調書を見せたが、出版は事前に知らされていなかった。 自分のあずかり知らないところで出された本によって、罪に問われた。まさに想定外の事態だった。
調書を見せたことを後悔しているだろう…と誰しもが思うところだが、崎濱医師は法廷で次のように語っている。
崎濱盛三医師:結果がこういうことになってしまいましたけど、私の信念は信念でそのままありますので、後悔はしておりません。
崎濱氏は知らなかったと言いますが、草薙氏に供述調書を渡した段階でこうなることを予想していたのでないかと思います。
結局、崎濱医師は執行猶予付きの有罪となり、医師免許を1年間失うことになった。 高校の数学講師などを経て、36歳で医師となった崎濱医師。まだ発達障害がほとんど知られていない時代から、その第一人者として家庭裁判所からも頼りにされていた。
崎濱医師は京都大学医学部を卒業し、精神科でも特に発達障害を専門にしています。現在も精神科医として働いています。
改めてこの事件を考える時、果たしてこの少年は「発達障害」だったのか?という疑問が去来します。本書を読む限り、少年の態度や行動はある意味自然な感情の発露のように私は感じました。あそこまで追い詰められてしまっては、逃げるということもかないません。離婚して去った母親が気づいて少年に救いの手を差し伸べていればと思いますが、父親の異常性を考えるとどうしようもなかったのでしょう。そう、私が感じたのは「この父親こそ異常だったのでないか。ASDを含む発達障害でないのか?」でした。大阪医大卒で不遇な立場だったと言いますが、市中病院で勤務することに出身校が何処かなんて何ら問題はなかったはずです。実力がものを言う世界だから、もし本当に不遇だったとすれば己の実力が足りなかったせいと反省すべきことに過ぎません。しかし現実にはそれなりの病院の部長になっていたから不遇とも言えません。長男に対してつらく当たったことはこの事件後猛省したようですが、できればそこに至る前にもっと深く内省していてほしかったです。
少年の鑑定書は「事件時正常でなかった」という判断で、ある意味罪を一等減じることに役立ちました。本当にそうなのか私は疑念を感じるのですが、結果として少年に立ち直る機会を与えることに役立ちました。今彼はどうしてるかな?といつも思っていましたが、ヤフコメにそれを示唆するコメントがありました。ちょっと驚いたことは否めませんが、世の中につくす良い人間になってほしいと切に祈りたい気持ちです。医学部の受験は今も大変なことが多いです。うちの場合も、うまくいかないことが続いていた時、子どもから「もう将来が見えないから、死んでしまいたい」と言われて往生しました。なんとか乗り越えてきましたが、この少年の事件は決して忘れることができません。親が子どもに期待することは悪い事でないけど、自分ができないことあるいはできなかったことを決して強制してはなりません。
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