まあ

 年を取ったなと思う。54歳にもなるのだから、当然だろうと思う。20代のころ、30代の人たちが老人に見えたものだったし、25歳を過ぎたときにすら老いたものだなとも思った。あの時の感覚は今でももっているから、かなり不思議な気がする。私を「爺」という人たちの気持ちもわかるけど、そういう人たちが20代後半以降だと、私の中にいる若い私は、君たちは、おじさん、おばさんだよ、と思っている。
 いつ年を取ったのかというと、考えればわからないことでもない。ブログを始めたのは2003年だった? 信じられる? 僕ですら信じられませんよ。今年は2011年ですよ。引き算すると、8年。恋愛は4年で終わるというから、その間、2回恋愛できちゃいますよ。しなかったけど。
 で、2003年のころはまだ40代半ばで、そのころすでに「爺」だったから、もう今では、ということでもあるが、あのころすでに沖縄での生活を引き上げて翌年だった。沖縄では8年暮らしていた。初めて沖縄についたときの、もわっとした、今はもうない那覇空港を思い出す。30代後半に入るころだった。それまでの東京での暮らしに、めちゃくちゃなケリを付けた。そうして人生が始まるものかどうかは、あのときはわからなかったけど、まあ、めちゃくちゃになにかをこじ開けたら、開いたというのだろうか。まだ、生きているのだから、俺は、つまりは。
 沖縄での暮らしは独特の思いの形をもっている。ずらずらと書いたようでいながら、実はうまく書けた感じもしない。自分なりに、ディープな沖縄にずぶずぶと嵌って、当然、それなりに沖縄は理解したつもりだったが、結局、なんにもわかってないな、俺は、とも思う。そして、東京での暮らしも8年は過ぎた。30代までの東京とつながりがうまくつかない。
 30歳になったとき、まさにそういうタイトルの短編小説を書いたことがある。少部冊子に印刷もしたから、どこかにあるのかもしれないけど、引っ越し荷物の都合で、もうないかもしれない。印象をまとめた話でストーリーはない。あのころもそれなりに、めちゃくちゃな人生のこじ開けをやって、失敗した。そういう思いを綴った。
 でも、20代後半でもそうだった。自分なりにというちゃちなものだが、むちゃばっかりしていたように思う。
 恋愛とかは、というと、そういうことはなったようにも思う。恋とか性とかは、そろそろ終わりが見えてきましてねという感じの年になったが、概ね索漠としたものだった。それでどうというものでもない。20代前半の数年の痛みみたいのを長く引きずっていただけのことだ。今思うと自分の思い上がりでしかない。ただ、それを捨てて、いろいろな関係に身を置いていたら今はどうったのかということはまるで想像も付かない。まあ、多くの人もそう恋愛とかで人生を彩るというほどのものでもないだろう。
 こうして公開日記みたいのに書いているから、読む人もいるかもしれないし、30代前半くらいだったら、54歳の男はずいぶん薄汚くみえるし、実際そうでもあるのだが、この間の20年くらいの時間は短い夢のようだったよ。そんなふうにもしかして、あなたが気がつくとき、僕はもういない。いや、ハックル先生みたいな自我肥大的に言うわけでもない(先生が自我肥大でもないかもしれないしね)、自分があのころ50代半ばに見えた人たちが、もう鬼籍に入り、あるいはボケていくのをじわじわと見ていると、たとえ幸運でも、こうして順に終わるのだろうなと思う。それどころか、頼藤先生や中島らもですら、今の私より若いのだと思うと、どんだけ老人なんだ、俺と思う。
 焦りはあるのかというと、ある。自分の人生は、なんにもなかったな、と言うこともできる。もちろん、そうでもないと言うこともできる。なかなかめんどくさい問題でもあり、率直にいうと、それらを考えるのも面倒くさい。もうめちゃくちゃケリを付けるだけの、体力みたいのはないからだろう。
 生きるというのはやっかいなことだと思うし、そう思うと、いくら若いころの時代を半ば憧れのように思っても、そして後悔は山ほどあっても、今の自分なら上手にできるからというふうには、やり直したいとも思わない。蓋然性としては別の人生もあったかもしれないけど、結局こういう運命だったのだという以外はない。
 このくらいの年まで、あるいはその先まで、幸せに生きられた人たちを見ると、うらやましくも思う。ああいう楽な人生のほうがよいなとも思う。いや、そんなのんきなやつ、いるのかよ、どいつもこいつも内面は地獄ってもんだぜ、それに気がつくか気がつかないだけの差だよとも思うが、幸せに見える人々いるにはいる。オマエだって、そう人から見えるかもしれないんだぜと悪魔は言う。そうだなあ、相棒。