アメリカ人ってすごいな的な話になるのかまあちょっと書いてみるの巻

 日本人にもいろいろあるように、なんてどころじゃないくらいアメリカ人というのはいろいろあって、みんながそれぞれ見えるところで象を撫でるの感だけど、逆にいえばそうして撫でた部分だけは経験の真実なんだろうと思う。まあ、だれもがそんなもの。でも、そのなかで、どこかしらアメリカってそういうことかみたいなものはある。抽象的に言えば、アメリカというのはNew Worldということなんだろうとおもうし、ドボルザーク的な響き。
 話がわかりにくくなるけど、アメリカ人というのは世界の田舎者なんだ、そして、そのことを実に痛感している人々なんだという感じが、20代後半になってなんとくなくわかってきた。以前は日本人は海外団体ツアーで旗のもとにぞろぞろ歩いていたものでそれを揶揄されたものだけど、トルコとから観光旅行してみたら、それやっているのは米人だった。ああ、同じじゃん、と。
 そのあと、一人でギリシアとか周って、観光オフィスで車頼んだりとしていると、米人のそういう人にもあって見ていると、お婆ちゃんがギリシア人、父親がアルメニア人とか、まあ、そんな感じ。あれだな。私が文化的なルーツを信州人と見ているのが、世界にぶん、と広がったくらいなんだろう。そのあたり、ユダヤ人とイスラエルの思いのようなものはあるのだろう。
 で、アメリカ人はようするにド田舎人だからこそ、欧州コンプレックスがひどくて、上流階級は極端に逆ブレするし、なんといっても上級階級が存在する。というか、アメリカのそういう威厳みたいなものは、欧州が歴史のなかで結果的に打ち崩したはずの、ローマ帝国幻想なんだろうと思った。
 日本というのも明治時代にひでー擬古をやってのけたけど、アメリカはその比ではないな、と。そこまで欧州の歴史というか、白人的な歴史というものにコンプレックスを持っているのか、と。まあ、この話は長くなりそうだ。
 話はがらっと変わるというか、欧州人というのは、どうも米国人とは、まったくでもないが、違う。なんというのか、簡単にいえば、これってインドのカーストとなにが違うねんというくらい、階級が染み込んでいる。だから、なるほどこういうところからマルクス思想みたいなものは出来てくるのだろうと思ったし、それらの根もざっぱくに言えば、普通の意味でフリーメーソン的な兄弟愛の、共和国思想なんだろう。ただ、この根にあるのは、もっと土俗的な地域共同体というか、社団国家的なものなだろう。
 で、日本にごろっと来ている外人は、今はどうかわからないけど、欧州的な階級世界から解放されたし、やさしいちっこいおねーちゃんはいるし、という天国に見えたのではないかな。小泉八雲というのはある原形なんだろう。そういうところに、ああ、欧州というものの、どうしようもない悲しみというのは思ったというか、がんこすぎというか、そういえば、セリグマンのエッセー読んだとき、面もよくてカネもあるのに非モテ君の話があって、セリグマンは、あのさ、アメリカ娘あきらめたら、と示唆。で、欧州人と結婚したうまく言ったと。まあ、それがじんとくるあたりのどうしようもないものがある。
 話があちこちだが、マカオの先の島とか、バリ島とか、ふらりと旅したとき気がついたのだけど、けっこうごろつき欧州人がいる。もちろん米人もいるのだけど、欧州人のほうが、月と六ペンス的なごろっとしている。あれは、本当の意味で帝国主義の精神というものかなと思った。なんか、帝国主義というのはビスマルク的なものじゃなくて、ごろっとアジアでだらっと酒飲んで、そこらの女をはらませるみたいな。ああ、なんなんだろあれみたいな。そいつらのキンタマはすごいと思った。知性は阿呆に等しいが、いやそうとは思わせないぎらりとしたものがあった。米国人だとどっかカンイドリーでそういうのはないか、おまえどこの新興宗教みたいになる。
 なんかいつまでたっても当初の話にならないが、くたびれたのでおしまい。