敗戦遠し

 私は戦争が終わって12年後に生まれた。本人としては子供のころ戦争なんて遠い昔のことだと思っていたが、今思い返すと、そして50歳まで生きて見ると、12年前なんてついこないだのことだと思うし、私ですらなんだかんだ敗戦の歴史感覚というのはちゃんとひきついた感じがする。まあ、時代ということだけだけど。
 敗戦のとき、日本人にはいろいろな思いがあったけど、概ね、負けちゃったなということだと思う。あれだけがんばっても何にもなかったな。もうあれは全然だめだ、と。負けたら文句言うなよ、みたいな。
 大本営みたいのを庶民はそれほど信じてなかったようだし、吉本隆明は信じていたみたいなことをいうけど彼はそのころ思春期というかお子ちゃまだったわけで、3つ年上の山本七平などは醒めていた(彼はちょっと醒めすぎだが)。でも、吉本ですら、庶民のなかにいたから、戦後の嘘はわかったものだったし、敗戦の感触というのはよく理解されていた。
 武装解除された国家がどうやって存続していくの? というとんでもない課題を日本が背負わされてしまった。麻生総理の爺ちゃん吉田茂はその状況で立ち回りながら、そんな国家が存続するわけじゃないじゃなかとは思っていたようだ、がのんびり構えた。岸信介はそのあたりはマジになりすぎて沈没した(孫も同じように沈没)。佐藤栄作は両者の中間ような微妙な立ちまわりをした。嘘はたくさんあった。それでも彼の情熱が無ければ、沖縄は日本にならなかった。それがいいか悪いかは別として。余談だが、私は吉田茂の国葬の日本の空気をちゃんと知っている最後の世代かもしれない。彼のために「国葬」があった。
 日本人は「戦後」というけど、戦後があったのは日本だけなんだよなという幸運があったし、私の人生はどういう因果か個人的な人生としてはしょっぱいなこりゃだったが、時代的には幸運だった。それでも餅にカビが生えたらナイフで削って食った時代だった。黄変米の話は知っているからカビの怖いのは怖いというのはあったが、日常のカビとの違いは知っているし、知るというのは科学ということだった。私は科学少年だったからアフラトキシンが土中のカビでピーナッツに付くくらいは知っていた。というか、科学というのは、そういうふうに使うものだ。水が語るかどうかは詩とか文学の世界のことで、どこの世界にも宗教的にいかれた人はいるけど、社会でどう許容するかということと、それはそれとして科学知識で社会を整理するくらいというか、近代市民にとって科学とはそういうもの。
 変な時代になったいえばそうだし、時代というのはそうものだとも言えるだろう。
 話を、武装解除された国がどうやって存続するか?に戻すと、その処方は憲法前文に書いてある。諸国民の信頼。
 そのために諸国民に信頼されるべく、そして日本風な戦後補償や支援もした。その恩恵の貯蓄はもうなくなってしまったのではないかな。
 私は米粒一つも無駄にするんじゃないという時代のなかで育った。私は米が好きではないけど、無駄にはできない。ついでだが、新聞とか本とか文字の書いてあるものを踏むこともできない。
 輸入しなければ食われただろう米を輸入して食わないようなずさんな管理をしてしまう日本にどうしてなってしまったかといえば、自国農民保護のためだった。まあ、そのあたりでなにがなんだかわかんないよ感はある。自国農民の保護なんてどの国でもやっているというなら、日本の戦後の幸運のことやどうやって日本が存続するかがわかってないのではないか。日本から率先して自由貿易に賭けなくては存続できない島国なのに。(ただ、極論すれば日本は水があるから最終的には芋を食えば国民は餓死しない。)
 こう言っても誤解されるだろうけど、私はイデオロギーなんてものが大嫌いだ。他国民が困っているなら、そして日本人が助けられるなら、四の五の言わずそして多少は目を瞑ってでも助けろよと思う。
 日本人にとって戦争は敗戦であり、敗戦というのは、食えないということで、本当に国民の大半が餓死しかけた。米国がそこで飼料のようなものを食わせたと小林よしのりは怒るが、食えたらいいじゃないか。生きていたらなんとかなる。
 世界にいまだにそういう人がいるなら、日本の経験を活かすべきじゃないかと思うが。まあ、日本も変わったなという感じだ。