新入社員か

 今日から社会に出るという人も多いのだろう。何が大切かみたいな話を年配者としてはついしたがるものだが、そうした年配者は自身の幸運を正当化しているに過ぎない。
 大半の人は社会というサバイバルゲームに落ちこぼれるし、その落ちこぼれぐあいのなかで身の程の幸せの枠を引く。
 そのうち、死の桃源郷が見るうちになんのために仕事をしてきたのかなという反省の部分に家族とか仲間を思う。まあ、そのくらいなものだ。結果からすれば、その上手な落ちこぼれの知恵を身につけるべきかとは思うが、それを言ってもね。
 というわけで、無粋の頭をひねるに、社会人に大切なことは「ケツを割らない気心」だと思う。これは微妙なんで、「わたしは絶対に責任を取る」ということとは違う。そういうヒロイズムでどうとなるものじゃないし、船が沈みかけきたら二番手くらいに逃げるほうがいい。そうではなく、「わたしがケツを割らなければできる部分の限界を意識しその実践技術を学ぶことだ」。別の言い方をすると、「ああ、これはオレの仕事か」という割り切りをどの程度維持するかという気力の配分だ。
 世の中頭のいい人も悪い人もいるが、プロかどうかは「ケツを割らない気心」にある。
 その点、主婦というのは、家庭や育児に「ケツを割らない」。その分、彼女らはプロだ。なまっちょろい男が勝てるわけもない。が、最近では、そういう主婦も少ない。
 世の中に出て見て(あるいは親を見てもそうかもしれないが)、「この人はけっこうダメな人だけど、意外とケツを割らないな」と思えるなら、そこに学ぶべきことはたーんとある。
 「ケツを割らない気心」なんてなくても、流されて生きられるし、幸運といこともある。人にもよるのかもしれない。
 一度、ケツを割ってそれに理屈を付けていくと、どんどんダメになっていく。ケツを割ったなと思ったら素直に認めて次回はその程度の仕事でケツをわらない事実を自分で確認するようにする。そうして、ケツを割らない気心を育てる。