時は過ぎていく、君は美しい

 二十五歳のときに人生に絶望した。もともと二十歳以降まで生きているのが奇妙な感じではあった。が、二十代というか、大人になった自分というのは、へぇという感じだった。臙脂色の緞帳が上がるがごときだった。歳相応の未熟な恋もしてそして破れそして忘れた。忘れるものだ。が、無意識のなかの私はたぶん時を忘れてないのだろう、というか、もうひとりの私はなんとなく私の死後までこの太虚のなかにミームとして残るというか、そこを胎としてまた私のような意識が生まれるのだろう。私のような自意識。凡庸というサンサラ。
 絶望というのは奇妙なもので、字義にすれば望み絶たれるであろうし中国古典でも読むような大望果たせずみたいなものであろうし、人によってはそういうものかもしれないが、絶望というのはもうちょっと変なものだ。生きている意味も意識もなく身体が生きているというのだろうか。この世界と身体と意識の奇妙な、そうあれは昔の遊園地にあったミラーハウスのようなものか。世界が凍り付いたようなもので、悲しくもなく面白くもなく涙が流れたことがあった。身体が泣いていた。
 絶望というのはもしかすると生存のある縮退した特異な戦略なのかもしれない。それから私は生きていた。生きていることは、誰もがそうだが、惰性である。惰性とは私である。意志というのもある意味で惰性であり、意志が宿るということは惰性の奇妙な変形でもある。きっと仮面ライダー・カブトの角はこの夏以降伸びるに違いないといった変形である。その変形のなかで空っぽになったペットボトルに雨水が貯まるようにいつか私は世の中にいて仕事をしてそしてある意味二重三重の生活者となっていった。生活の意識は分裂したし、絶望はいい甲冑でもあった。だが私の何かは小さく小さく隠れた。事後の陰茎のように。
 遊びのように仕事をした。人を傷つけた。父が死んだ。その他、他人の人生が怒濤のようにやってきた。緞帳が上がる前に歌劇は終わりその後に人形劇だか影絵劇だか残った。ラーマヤナ……ぐるぐると意味ない些事が重なりそのなかをただかき分けて数年が過ぎ、三十歳半ばある日地下鉄の駅から出るようにぽっかりと青空の下にいて、その空虚感に恐れ、眼前の甘物屋に駆け込んだことがある。それが甘物屋であって教会でも神社でもなかったことはなんというグレース。
 時は過ぎていく、君は美しい。残された私の前を過ぎた十年は私のものではなかった。私のある私の部分はある時から歳を取ることができなくなった。そういう私を抱えていくことがどれほどの苦痛か身体は知っていた。身体と世にある私はただ時に流されていった。どこまでいくのだろう。
 さらに石の塔が砂に帰っていくように時は過ぎた。もうここまで生きたからもういいやと時たまなにかがささやく。私はほほえむ。そうかもしれない。でも私はまだ泣き足りないといえばそうだし、身体ではなく私が泣かなくてはいけないのかもしれない。そのためなのか私は私の身体を棺とするまでの日という恵みをどこかで信じつつある。
 と、今日もブログに書く。日記か。