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enbug diary


2008-03-08

_ サービス業は客を諌めるのも仕事のうち

サービス業というものを甘く見ているのではないかと感じさせられることが時々ある。

私自身は全く関係がないので、全然違う事情なのかもしれないが、 スルガ銀、システム開発中止で日本IBMに賠償請求 というニュースがあった。 大体において、この手のソフトウェア開発案件が立ち遅れるのは、 要件定義があいまいだったり、頻繁に変更要求がなされて、 開発作業がぐるぐる立往生してしまうからである。 こういうとき、開発側は客が悪いと言いたくなることが多いのだけれど、 実際にはそれは違うと思う。 なぜなら、要件をうまくまとめるのは重要なコンサルティング業務の一部であって、客が迷走しているなら、それを止めるのもサービスの一部であるはずだからだ。

なぜこういうことが起きてしまうのかというと、 細かい原因を逐一あげつらうとキリがなくなってしまうわけだけど、 根本的には「自分自身のことは自分では見えにくい」からではないだろうか。 客観的に見れば簡単に発見できるような問題でも、 主観が入ってしまうと、途端に難しくなることが少なくない。 だからこそ、外部のコンサルタントを雇って、問題解決の糸口を教えてもらうなんてことが現実に行われているわけで、 仮にコンサルティングと称していなかったとしても、 金を払ってサービスをお願いしている側は、そういう面も含めて期待しているものだと思うのである。

そう言えば、昔宇宙開発が行われ始めた頃、一部の反対論者は「まだ地球に謎がたくさん残っているのに宇宙に行くのは無駄だ」と叫んでいた。 それに対し、推進論者が「宇宙に行くことで、地球を外から見ることができるので、地球のことをよりよく理解できるようになる」と反論したのを読んだことがある。 私は当時この言葉にとても感銘を受けたのを覚えている。 実際、人工衛星や無重力状態における実験などによって、多大な恩恵が得られているのだが、それを抜きにしても、外から見ることの重要性ははかりしれないのではないか。

_ テレビ

最近のつまらない悩みの一つは、テレビのサイズである。 UEFA EURO 2008 に備えて、多少なりともマシなテレビが欲しいと思っているのだが、 コンピュータとも共用させたいので、丁度いいサイズがいまいちわからない。 あんまり大きいと、距離が取れないコンピュータには辛い。 あんまり小さいと、テレビとしてつまんない。 26か32インチかなあと思っているのだが、一体どうしたものか。

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_ たはら [製品のスペックを調べて、実際の寸法と同じサイズに紙を切って壁に貼ってみるとか、どうですかね?もしくは迷ったら大きいほ..]

_ okuji [いっそ両方買って、気に入らなかった方をeBayで売ってしまうとか、過激な発想もなくはないんですが.. できれば実際に..]

_ れお [大抵は。 開発企業が客を諌める立ち位置を見誤らなければうまくいくはずが、自社の利益や保身を勘定に入れ過ぎておかしくな..]

_ えとー [共用ってのの意味が取り難いのですが、PCとTV両方で使うために、24インチワイドの液晶モニタとか買いました。 MDT..]


2008-03-10

_ Project Euler

最近ビジネス関係の本ばかり読んでいたら、 何だか頭にカビが生えてきそうな気がしたので、 oxyさんとこ に書いてあったProject Eulerをやってみて遊んでいた。 何っつーか、案外頭使わない問題だと思った。 単純に、上から解いているからそう思うだけかもしれない。 あるいは、Pythonで楽しているからそう思うだけかもしれない。

ここの問題は結構昔に作られた問題が多い。 そのせいか、最近のマシンならかなり力業でも解けてしまうものが多い。 どうせなら最近の環境にあわせて、もっと計算量を増やしてしまったらいいんじゃないかと思うんだけど。

しかし、Pythonで書いていると、Psycoを併用しても、 素数を百万まで生成したりすると、とても瞬間的には終わってくれないのが苛立たしい。 あんまり力業でやると話にならなかったので、 一応 Miller-Rabin primality test でかなりすっ飛ばしているつもりなんだけど、 二百万ぐらいまでやると、一分では返ってこない。 自分の書き方がまずいのか、他のprimality testを使った方がいいのか。

数時間で35問まできたが、これではTop 1000にも入りゃしない。 先は長い...

_ テレビ買った

土曜日に某ショップで観察していたのだが、 さすがに40インチ超えると、すごい迫力だなあと思った。 Full HDだと、それほど汚くは見えないし。 しかし、うちには大きすぎるし、値段も高すぎる。

それで26と32をずいぶん見比べていたんだが、 26は小さい。 今までのことを考えると、それでも確かに大きいんだけど、 どうもこじんまりしているというか。 値段に対して、性能がいいのは好ましいんだけど、 これでは納得いかないだろうと感じた。

というわけで、HD Readyなので、少々荒すぎる感もあるけれど、 懐具合とかいろいろ勘案したあげく、 一番安かった DARTY の通販で32インチモデルを買うことにした。 FNACと違って、配送料がちゃんと無料になるところで差がでるのであった。 届くのが楽しみ。

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本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ odz [最初の40問か50問くらいはすごい簡単だと思います。それ以降は少し頭を使うかと。あと、パラメータはちょっとづつ変更さ..]

_ amatsus [WQXGAな29.8インチ・モニタ見慣れると19インチなんかめちゃんこ小さく感じる。]

_ okuji [ありがとうございます。確かにエラトス..の方が速いですね。3Mぐらいまでなら1分もあれば終わるようです。>odzさん]


2008-03-15

_ 著作権の供託補償金

質問されたけれど、私にはよくわからないので、 もし誰か知っていたら教えてください。

著作権法 第八節 裁定による著作物の利用:

第六十七条  公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託して、その裁定に係る利用方法により利用することができる。

ここで言っている「補償金」というのは、もしも著作物の利用規定が明確に許諾されているような場合で、かつ、使用料を必要としないことが明示されている場合(例えば、GPL)でも、文化庁長官は補償金を徴収することが可能なのでしょうか。 本来無料で利用できることになっていたものでも、著作権者に連絡がとれないというだけで、第三者に補償金を支払わなければならないと規定できるのでしょうか。 この文面だけではどうもはっきりしません。

さらに、 第九節 補償金:

第七十四条   3  第六十七条第一項又は前二項の規定による補償金の供託は、著作権者が国内に住所又は居所で知れているものを有する場合にあつては当該住所又は居所のもよりの供託所に、その他の場合にあつては供託をする者の住所又は居所のもよりの供託所に、それぞれするものとする。

この供託所というものは、現実には何を指していて、 それはどのように決定されていて、どこから情報を得ることができるのでしょうか。

また、最終的に結局著作権者に連絡がとれないまま、 著作権が消えてしまうほどに時間が経ったとして、 この補償金がどういう運命を辿るのか、どこにも規定がないように見受けられます。 この場合、支払いを受けるべき人間が現れないのであるから、 補償金を支払った人間に払い戻されるべきであると解釈するのが自然な気がするのですが、規定が見付からない以上、供託所とやらにネコババされても文句は言えないように思えます。 実際のところはどうなのでしょうか。

著作権にはまだまだ謎が多いです。

_ 目からうろこが何枚も落ちた オープンソースの“人間的本質”

華麗にスルーするのが大人というものなのかもしれませんが、 これはあんまりなので、つっこまないと気が済みません。 一体この方は本当にオープンソース開発者と会って話しているんでしょうか。 会った人はこれほどの勘違いなのか思い違いなのか何だかよくわからないことを正さなかったんでしょうか。

オープンソースとは、ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラムそのもの)をネット上に無償公開し、世界中の不特定多数の開発者が自由に参加できる環境を用意し、そのソフトウェアをさらに開発していく方式のことだ。

全然違います。 「無償公開」する必要は全然ありません。 金を取って公開しても構いません。 利用や再配布に制限を行わないからといって、 何もかも無料で公開しろなんてルールはどこにもありません。

「世界中の不特定多数」が参加する必要もないし、 そういう環境を提供する必要もありません。 完璧に違うことと勘違いしていらっしゃいます。

「開発していく方式」のことでもありません。 オープンソースというものは、 あくまでライセンスでこうだったらオープンソース、そうでなかったらオープンソースでない、という条件を定めているだけです。 それ以上のことはどっかの勘違い人間がテキトーなことをほざいているだけです。

しかし日本人でたった一人だけ、世界中の人々が使うソフトウェアをオープンソース方式で開発したリーダーがいる。

これはひどすぎですね。 他の開発者に頭を下げるべきですね。 まつもとさんが尊敬に値する開発者であることは間違いないけれど、 彼しかいないなんて、他の人にどれだけ失礼なことを言っているかわかっているんですかね。

日本発のオープンソースソフト42件の基準と内訳、と論争 なんてネタで炎上していたこともありました。 まつもとさんも言及しておられたし、 自分も何か書いた気がするのですが、どこに書いたか忘れてしまいました。

この時は42件でも随分多くの人が憤慨していたのに、今度は1件ですよ!

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本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

_ wakatono [はじめまして。 気になったので、ちょっと調べてみました。 「供託所」は、法務省の以下のページにある「供託手続」に記..]

_ okuji [どうもありがとうございます。とても参考になりました。>wakatonoさん]

_ jon [わかる。しかし、梅田氏の文章は広くシンプルに伝える文章なんだから、普通でしょ?どう考えてもLinuxやFirefox..]

_ 通りすがり [事実を捻じ曲げた上に伝わってすらないから問題なんだが、ゆとり脳にはわからないのかねえ>jon]


2008-03-21

_ オープンソースの誤解がよろしくない理由

まず前提として述べておきますが、 私は長年GNU Maintainerをやっていることからもわかるように、 フリーソフトウェアの熱烈な支持者です。 趣味で話すときにオープンソースという言葉を使うことは、 せいぜい相手に合わせたいときだけです。 オープンソースはビジネス用語と割り切ってます。

さて、 う めだもちおは DISられるべきなの? に私なりのコメントをしておきます。

なぜオープンソースの妙な認識を広められると困るのか。 それはもちろん本来同じオープンソースであるべきものが、 誰かが広めたおかしな定義に基づいて、 「それはオープンソース的でない」とか、 わけのわからない批判が現れるからです。 勝手に決めた視野の狭い定義にしたがって、 オープンソースの守備範囲を狭めることは、 百害あって一利なしです。

古くは GNU Deluxe Distribution に始まり、今でも配布物に対して対価を要求することは頻繁に行われています。 これはこれで、ちゃんとビジネスとして成り立っています。

あるいは、何らかの仕事を依頼されたとします。 それでオープンソースライセンスを適用していたとします。 実際に引き渡すとき、その労働に見合う対価を要求するのは自然なことです。

「何でも無料」症候群はビジネスに対する大きな妨げです。 ソフトウェアの対価を放棄することはフリーソフトウェアの理念に反していますから( Selling Free Software を参照)、 当然フリーソフトウェアを普及させる口実であるオープンソースにも引き継がれています。 すべからく無償でなければならない等という誤解は開発者を圧迫するだけです。

同じことが開発方式にも当てはまります。 ESRがオープンソースに注目させるための壮大な釣り記事として書いた 伽藍とバザール のおかげで、オープンソースとバザール方式の混同が頻繁に見られるわけですが、バザール方式は必須要件では全くありません。 オープンソースならこういうこともできて、それには何らかの利点があるかもしれない、というだけのこと。 オープンソースによって可能になることや、その意義について論じていただく分には何も問題はないのですが、 だからといって、それこそがオープンソースだ、などと宣われては迷惑千万です。 可能性を減らさないでください。

オープンソースにだって理念があるはずだと思われる人もいるでしょうが、 生越さんが 自己紹介---オープンソースは何であって何でないか で述べられているように、オープンソースはそういう類のものは極力排除するように設計されているのです。 そうでなければオープンソースなどという造語をわざわざ生み出した草案者の苦労は何だったのだろうと思いますね。 哲学について論じたいならフリーソフトウェアについて語るべきだというのが私の考えです。

閑話休題。 はるかに個人的な見解についても、ついでに書いておきます。

私は上にも書いたように、フリーソフトウェアを支持しています。 フリーソフトウェアにとって重要なことは、 当然ながら、ソフトウェアの自由です。 不特定多数のコミュニティが開発しているとか、 どっかの団体が内部だけで開発しているとか、 そんなことはどうでもいいのです。 最終的に高い品質の自由なソフトウェアを利用し、 修正し、研究することができるようになるなら、 他のことはどうだっていいのです。 状況に応じて最適な方法を選びさえすればいいだけ。

しかしながら、フリーソフトウェアはビジネス方面での受けがよくなくて、それはそれで仕方がない側面があります。 またその一方で、経験的に商業ベースの方がうまく進むタイプのソフトウェアも存在するということがよくわかっています。

こうした状況の中で、オープンソースはよい解決策になり得ると思っていました。 あくまでビジネス上の良し悪しだけに注意を限定し、それ以外のことはあえて隠蔽するのも悪くないかもしれないと思いました。 あんまりこういうことを言っていると、RMSに怒られてしまいますが。

しかし、いつの間にやらオープンソースという言葉がひとり歩きして、 変な色をつけられつつあると感じています。 これでは本末転倒、当初の目的にふさわしくなくなってしまいます。 役に立たないなら、フリーソフトウェアという言葉だけを使っていた方がよっぽどマシです。

だから、オープンソースを支持したいと思っている人は、 誤解を広めないように気を付けていただきたいのです。 オープンソースにとってプラスにはなりませんから。

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2008-03-24

_ Google Summer of Code

めでたく GNU Project が今年も採択されています。 今回は採用数が増えたこともあって、 GNU Projectの中でも独立して採用を試みたプロジェクトも結構多かったようですが、 GRUBは例年通りにGNU Projectの中です。 Summer of Code 2008 Ideas for GNU GRUB に詳細が載ってます。 参加したい気持ちがする人は応募してください。

私自身は今回は参加しません。念のため。 人が足りなかったらbackup mentorぐらいはするかもしれませんが、 今年は足りそうなので、それも必要なさそうです。 本業が忙しいというのもあって、ちょっと手が出せそうにもありません。

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2008-03-27

_ フランスのホスティングサービス

このネタで書いておこうと思ったことは私もあったのですが、 結局書いてなかったので、まとめておきます。

私の知っている範囲で、フランスで利用できて、物理的に専用マシンがレンタルできるようなサービスで廉価なものは次のようなところがあります。 値段は全部月あたりで、税抜きです。

他にもあるかもしれません。

ただ、最低価格だけで比べるのも公平とは言えません。 使えるCPUやメモリやディスクのサイズなど、 内容にはかなりの違いがあるためです。

確かに、フランスはホスティングに関して、とても恵まれていると思いますが、むしろ日本が高すぎると私は感じています。 なぜ日本があんなに高いのか理解できません。 人件費のせいなのか、電気代のせいなのか、 バックボーンの使用料のせいなのか、 はたまた価格競争が機能していないだけなのか。 データセンターの場所を借りるだけで月五万とか平気で払わされるところばかりで、フランスから見ると、何ですか、そのぼったくりはと言いたくなる価格設定です。

なぜフランスがそれだけ安く抑えられるのかというと、 一つには電気代がずっと安いとか、 日本ほど暑くないというのもあるだろうとは思います。 しかしそれ以上に、過去の高価格設定サービスに使用して余っているマシンを有効活用するとか、極力自動化を施すことによってサポートにかかる労力を減らすとか、いろんな工夫があるからでもあります。

日本でもそういうサービスをうまく組むことは可能なはずですから、 仮にフランスほど安くならなかったとしても、 日本のISPももっと頑張ってほしいです。 仮想化はI/Oの負荷が高くて何かいまいち。

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