とうとう年始になってしまった。 私にとっては年度の変わり目は7月1日(フランスに到着した日)なので、 大した意味はないんだが、 実は別の意味で記念すべき年になったかもしれない。 GNU に積極的に関わるようになってから、とうとう十年経ってしまったのだ。 そこで、少しばかり振り返ってみたいと思う。
自分がもともとGNUに関わるようになったのは、 自由とかより技術的な側面が非常に強かった。 Hurd の開発に参加したときの話はどっかに書いたことがある気がするので、 あえてもう一度繰り返すことはしないけれど、 そこでGNUプロジェクトに着目したのは主に二つの理由があったように思う。
一つは、実際にすごく恩恵に与っていたからこそ知っていたこと。 GNUのツールは GNU Emacs や GCC もそうだが、 全般的にSunOSの標準ツールより、ずっと強力で使いやすかった。 こんなものが作れるぐらいの才能がある連中と一緒にやれたら楽しいだろうなあと思ったものだ。 事実、自分なんかよりずっと頭もいいし、活力にもあふれるハッカーに出会うことができて、学ぶところはとても多かったし、 とにかく面白かった。
もう一つは、やっぱりせっかくこんなものを自由に使わせてくれるんだから、自分も多少は恩返しができたらいいなと感じたこと。 当時の自分がどれだけのことができたかというと、 本当に大したことはなかったと思う。 しかし、少なくとも当時の自分は勢いだけはあったから、 コミュニティの活性化、みたいな意味では役に立ったこともあったと思いたい。 もちろん、もうちょっとマシになってからは、少なからず役に立ったと信じたいが...
GNUのいいところは、技術的にいって、とにかくレベルの高い連中が多いことだ。 精神的障壁があるのか、人がそれなりに精選されているように感じる。 確かに人間的には少々やりにくい相手もいるが(自分も含めて)、 それでも中身を伴っているのがいい。 ただぶつぶつ言うのではなく、不満を解消するための開発もやってしまうような人達ばかりだから、すごく建設的なのだ。
ところで、私は自分ではいろいろやっているつもりなので、 GRUBの人と呼ばれるのはあんまり好きじゃない。 しかし、 GRUB から得たものは非常に価値があるとも思っている。
例えば、私がでかい口を叩いても、寛容に聞いて(聞き流して)もらえるのは、GRUBに負うところが大きいのだと思う。 正直にいって、これぐらいのものが作れる人は世の中にはいっぱいいるような気がするのだが、経験だけは実際に作った人にしかないわけだ。
ものすごーく単純な計算をすると、 多分世界のコンピュータ人口は何億ってところだろう。 Linux のシェアは、統計をとっている企業によって言うことが全然違うので、よくはわからないが、1%から2%程度だろう。 そうすると、Linuxの人口は何百万ってところ。 現在はGRUBがデフォルトのディストリビューションが多いので、 数百万程度はGRUBの人口がいることになる。 だから、私はよく「GRUBのユーザ数は?」ときかれて、 「厳密に計る手段がないので何とも言えないが、推計数百万」と答えている。
ここまで広めた原動力は大部分私だったと自負しているが、 この数はあんまり重要ではない。 さらにいい加減な計算を繰り返すと、 大体全体の1%ぐらいの人はマニアックな使い方をする。 フリーソフトウェア(だけじゃないかも)の開発では、 もっとも重要なのはこの層のユーザなのだ。 なぜなら、この中から、こんな面白いソフトウェアがあったと宣伝してくれる人とか、どっかのOSに含めるための作業とか、そういうことをやってくれる人が現れるからだ。 それ以外の人は、基本的に追随しているにすぎないと思う。 GRUBだと、数万人ぐらいってことになる。 これぐらいの数に対応するのは簡単じゃあない。
もっと細かい内訳をすると、 一割ぐらいが積極的にアウトプットする人になる。 数千人。 記事を書くとか、バグ出しに協力するとか。
さらに、一割ぐらいがコードを書くぐらいに熱中する。 これで数百人。
さらに、残りの一割ぐらいがアクティブな開発者になる。 これで数十人。 現在のコミッタが18人で、顔を見せなくなった人を除いたりもしてしまっているから、通算だと大体勘定があう。 どんぶり勘定でも案外こういうのはあうものである。
どっかの誰かが言っていたが、ユーザ数が集まれば必ず金にできるんだとか。 昨今の無料ウェブサービスはほとんどがそういうノリだと感じるのだが、 それは全くの嘘。 だって、GRUBでそんなに儲ける方法なんて何もないもん。 むしろ出費の方が多くて、赤字だといえるだろう。 「お前のおつむが足りないから、方法を思いつけないだけだ」と言われるかもしれないが、diggやredditほどに人が集まっても、結局収益モデルを思いつけなくて、他の企業によくわからん甘言で身売りしているのを見ると(diggはまだなんだったっけ)、誰も大した発想はないようだ。 唯一うまくいったのは、googleの広告モデルだと思うのだが、 googleと同じことをやって対抗できるとは思えないしね。 身売りも金儲けの手段と言われれば、それもそうなのかもしれないが、 それ自体ではやっぱり儲かってないじゃん。
しかしながら、金がすべてじゃない。 実際、GRUBのこの経験は、金を払ってもそうそう手に入ることではないと思う。 マニアだけが知っているツールから、世界中に広まっていくという過程を体験し、それにあわせて、たくさんの人と共同作業をして、さらに、仕切り直し(= GRUB 2)をして開発者離れが心配だったけど、実際には新たな開発者達に興味をもってもらうことができ、次第に普及のきざしを見せつつある... こういう体験をこの先もう一度でもやれるかどうかは怪しいところだ(ERP5でもう一回やれたらいいとは思っているけどね)。 そこから得たものは、技術はもちろん、プロジェクト運営や法律関係から、新しい友人との出会いにいたるまで、本当に数え切れないぐらい。
来年は、このままいけば、GRUBの開発で(私にとって)十周年ということになる。 果してその十周年で何が達成できるのか、 まだよくはわかってないが、 きっとさらに多くのことを学べると期待している。
最近タブ関係をいろいろ入れてみた。 今日、こんなにいっぱいの中からどうやって探せばいいんだろうと訊いたら、 開きすぎだと答えられたが、こればかりはいかんともしがたい。 Tab Mix Plus、 ColorfulTabs に加えて、 Showcase をインストールしたら、大分マシになった。 Showcaseがもっと高速動作すれば完璧なんだろうけどなあ。
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昨日は AVPr を観に行った。 何かいろいろ言いたいことがあったけど、 IMDbのコメントで言い尽くされているので、もういいや。 コミックをスクリーン上で再現したかっただけちゃうかと。 CGが作りやすいからって、暗くするんじゃねー。
今日は朝は久々に市場へ。 vieuxlilleに行ったのは本当に久しぶりだった気がする。 以前とあんまりやっている人たちが変わってなくて、 ちょっと安心した。 昨日Vの家で食べた Comté がおいしかったので、市場で買ってしまった。 いっぱい買ったら高かった。 しかしおいしいので、まあいい。 パン屋はあいかわらずバイト(?)の入れ替わりが激しいな。 いっつも若い娘が何人もいるのはうれしいが。
その後はVと(GRUB 2用の)Reiserfsと格闘する。 まだちゃんと動かない。 エンディアン問題っぽい。 一応コミットはした。 PPCでは動くらしい。 ちょっとむかつく。
追記:一応は動くようになった。あいかわらず勘で直しているので、 もうちょっと真面目にテストしないといけないが。
「なぜ動くのか」を意識する を読んで、前に思っていたことを思い出したのだが、 中身に関心があるのかないのか、よくわからん人っているよな。 ないとしたら、それはそれでエンジニア的に問題なんだが、 少なくとも筋は通っている。
「プログラムはなぜ動くのか」はかなり売れたらしいので、 関心を持っている人はそれなりにたくさんいて、 一応勉強しようと思うから購入するんだろう。 しかし、このぐらいの本でカバーできる範囲なんて、 あまりにごくわずかなので、 当然これでは物足りないと感じるべきである。 あくまでこういう本はとっかかりでしかない。
ちょっと辛辣になってみよう、 何たって、実例だから、本人は自分のことだとわかるだろうから。
スケーラビリティに興味がある。それはすばらしい。 現代のコンピューティング環境で、非常に重要で需要もあるテーマだ。
スケーラビリティを必要とするような機会は、個人ではなかなか得られない。 それは全くその通りだ。 よっぽど運が良くない限り、個人がそこまでヒットを飛ばすことはないだろうし、必要なインフラを手に入れるのも簡単ではない。
しかしだ、だからと言って、 手に入らないからと、何も勉強しなかったら、一体どうなるんだ? そういう機会に恵まれて、 そこから急に勉強するつもりなのか? 研究者ならともかく、普通、ビジネスでは基礎からちまちま勉強している余裕なんて、ほとんど存在しないんだぜ? 分からなければ分からないままで、結局分かっている人の言うことを聞いて、言われた通りのことをやるだけで終わりなんだよ?
スケーラビリティと一言で表すのは簡単だが、 本当にやろうと思ったら、必要な知識は膨大だ。 すでに利用できるソフトウェアやハードウェア製品等はもちろんのこと、 計算量理論、グラフ理論、トランザクション管理、バス・アーキテクチャ、 イーサネットの仕組み、スイッチの仕組み、ハードディスクやメモリの故障率、TCP/IPスタック、OSのネットワーク関連システムコール、 分散処理におけるデザイン・パターン、RDBMSの理論と実際、 などなど、もう無数にある。 一夜漬けで済むような規模ではないのである。
そりゃ、 skynetのdocumentation に書いてあるように、 大して分かってない人でも分散処理を活かせるようになるのはすごいことかもしれない。 しかし、それでやれることには限度ってもんがある。 使うのが簡単になるのは結構だが、 分かってなくてもいいと言うには 現在のコンピュータはまだまだ遅すぎる。 例えば、ネットワーク遅延の間にどれだけの命令をCPUが実行できるか、 直感的に掴めるか? こういうことがわからないと、 どう分割して効率が上がるのか/下がるのか理解できないから、 設計も実装もロクなことができない。
個人的にはしばしば叫びたくなるんよね。 興味があるなら、ちゃんと勉強しなさい、と。 本当に興味があるなら、勉強が苦痛になるわけがないんだし。
そりゃ、ずっと勉強だけやってろとは言わんよ。 息抜きも必要だからね。 でもいつまでも手を出さないでいたら、一生できないままで終わっちゃうね。
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パッチの拒否率をさげる10の方法 がとても面白かったので、 調子に乗って、アンチパターンを書いてみよう。 ちなみに、私の場合、最近は送るよりも受け取ることの方が多いかな。 送った場合の勝率(?)は、書き直しを含めれば、8割ぐらいじゃないかな。 念のため書いておくと、ここに書いたパターンは実際に私が見たことのあるものである。
元記事も10と言いながら、実際には6つしか書いていないので(ネタ?)、 こっちも7つで。
しばらく前に発注していた商品が、さっぱり違う所に誤送されていた件で、 La Poste(郵便局)が返事も寄越さないので、仕方なくまたAmazon側に連絡した。 すると、無料で同じ商品を再送してくれるとのことだ。
まあ、ある意味当たり前のことなんだけれど、 正直すごく申し訳ない気分になってしまった。 だって、Amazonには何の非もないことが分かっているのだから。 おかしな事をやったのはLa Posteであって、Amazonではない。 自分とこから出荷された段階で、そこからはAmazonの手を離れているわけだから、論理的には彼らに謝る理由は何もないと思うのである。
しかし、とても素早く誠実な対応をとってくれたので、 恩返しに、それほど強く欲しいと思っていたわけではない商品を新たに発注してあげた。 どの程度のマージンがあるのかは知らないけれど、 おそらくこの損失を埋める程度の儲けはあるはず。
何で私がこういう考え方をしてしまうかというと、 いくつか理由がある。
一つには、フランス人にとって、自分に非がない時に頭を下げることがどれぐらい苦痛なのかを知っているからだ。 自分に非がある場合でさえ、そうなんだから。
もう一つは、やっぱり客商売の辛さを知っているからなんだと思う。 理不尽な物言いに内心ムカムカすることは少なくない。 こんな辛さを自分からは与えたくない。
日本人にはやたらと店員に対して態度のでかい奴とかが結構いるが、 親の商売の関係か、私は昔から店員に対して失礼な振る舞いをしないように心がけてきた。 だから、フランスに来て、日本から見ると、まるで主従が逆転しているかのような環境になっても、それほど違和感がない。
もちろん、お客様あっての商売なんだから、客が優位に立つのはやむを得ない面もある。 しかし、だからといって、何やってもいいってわけじゃないと思う。 完全に対等ではなくても、お互い人間であることには違いはないんだし、 別の日には客と店員の関係が全く反対になることだって考えられるのだ。
とにもかくにも、La Posteはむかつくな。
以前から噂のあったLinuxプリインストールなThinkPadだが、 ようやく実現するらしい。
しかーし、 DellのUbuntu搭載モデル もそうだが、 どうしてもっとパワフルな構成に適用してくれないんだろう。 まるで「あんまり売れないでくれ」と言わんばかりじゃないか。 ハードウェア対応とかで難があるからなのか、それとも、 そもそも需要が少なめになる機種で需要が少ないかもしれないOSだと、採算がとれないかもしれないと思っているからなんだろうか。 対象がパワーユーザやマニアになる方が、OSのことも気にする人が増えるだろうから、できれば最新鋭モデルでやっていただいた方がよさそうに思うんだけど。 /.にはWalmartではLinuxなマシンが在庫尽きるまで売れちゃったとか書いてあったので、そうでもないのかな。
個人的には、Xシリーズで早くLinuxプリインストールかOS無しが選べるようになってほしい... (後、最近のXシリーズのやる気のないキーボードも何とかしてほしい。)
Cloudbookにしろ、Eee PCにしろ、 とにかく気に入らないのは、 CPUパワーでもなく、重量でもなく、バッテリー持続時間だ。 このタイプのマシンのいい所は、どこでも手軽に持ち運んで、 外出時にも使い倒せるってことなんだが、 バッテリーが持たないのでは話にならない。 たったの三時間程度ではなあ。
個人的に思うのは、昔私が愛用していた AMiTY CN (法人向けモデルなので、私のとはちょっと違う) から、ほとんど進歩がないじゃんってことだ。 確かにあれよりはパワーがあり、内蔵だけで比較すると、 バッテリーも多少は長く持つようになっているようだが、 画面はAMiTY CNの方が広かったわけだし、 使い勝手が特によくなったようには思えないのである。
正直にいって、もっと高くなって結構だから、 10時間ぐらい使い続けても平気なモデルを作ってくれ!と言いたい。
MySQL買収に関しての、Sun Microsystems CEOのコメント。 多分マーケティング関係の人がチェックしているんだと思うけど、 よく書けている。
個人的には、今回の買収の件は、比較的肯定的に捉えている。 またまたヨーロッパの有名企業が米国企業に身売りしてしまったのは寂しく感じざるを得ないけれど、 最近のデータベース業界はマネーゲームが大流行していて、 ひたすら買収合戦が続いているので、 どっか財務的な余力のあるところに後ろ盾になってもらえないと、 やってられなかったんだと思う。 Sunは、ビッグ・プレーヤーの中では、フリーソフトウェアに対するまともな理解のある会社であるし、選択肢として正しかったんじゃないだろうか。 何もかもOracleとIBMに抑えられるよりは、よっぽどマシなんだと思う。
いやあ、この冬は寒かった。 というのもあって、最近ひどく出不精になってしまっていた。 今日はタイミングよく、朝早い時間に目が覚めたので、 久々に日帰り旅行にでかけることにした。
最初は レンヌ に行こうかと思ったのだけど、 それだと片道四時間以上かかってしまう。 レンヌの美術館は昼食時に閉まってしまうので、 電車の都合と考えあわせると、 朝に出ても午後の部にならないと入れないことになってしまう。 ってことは、帰るのは九時を過ぎるのが明らかで、 それが嫌なら泊まるしかない。 どっちにしろ、急な思いつきにしては、 (またまた)大げさな気がしたので、 やっぱり行き先を代えることにした。
というわけで、 シスレー 目当てで行く旅としては今回が三回目ということになると思うのだが、 ルーアン に出かけることにした。
ルーアンはこの前 ル・アーヴル に行ったとき、ちょうど横目に眺めたところだったのだが、 電車の都合で、今回も全く同じルートになってしまった。 行きは直通のTER、 帰りはパリ経由。 あんまり面白くないけど、そうしないと帰りが遅くなるので、仕方がなかった。
この前電車から見る限りでは結構寂れた街に見えたのだけれど、 実際に降り立ってみると、案外そうでもない。 すごーいきれいというほどではないけど、 割合きれいな街。 中国人もアラブ人もほとんど見かけなくて、 あー、やっぱり田舎なんだなあ、移民が少ないんだなあと感じた。 実際私は物珍しそうに見られていた気がする。 不快な感じは全くなかったので、どうでもいいのだけれど。
着いたら、すぐさま、 美術館 へ直行。 通りの名前がRue de Jeanne d'Arc(ジャンヌダルク通り)とか、 いかにもって感じで面白かった。 駅で地図が手に入れば良かったのだが、 観光局まで行かないと駄目っぽっかったので、 あらかじめ適当に覚えておいた頭の中の略図に基づいて、 いい加減に歩いた。
そして、いつも通り、通り越してしまっていた。 フランスは全般的に標識が足りないと思う。 駅からは自動車用に標識が立っているので、 それに合わせて行けばいいのだが、 直前に何もないのは困る。 しかし私の場合、普通観光客が来ないような所までうろうろ歩くのも、 重要な旅の一部である。 だから、ちっとも気を悪くはしない。
さて、美術館、めちゃ安い。 L'expositionがうにゃうにゃとか言われて、 聞いてみると、今はアメリカの何かをやっているんだとか。 しかし私は根本的にアメリカ美術ってもんに何の興味も覚えないので、 パス。 何たって私の美術に対する関心は大部分が、相当大昔の彫刻と、 19世紀美術に偏っているからだ。 すると、アメリカ自身にはそんな時代には何もないわけである。
とにかく、普通の展示だけいいと言うと、たったの3ユーロで済んでしまった。 学生かと訊かれて、Ouiと答えておけば、もっと安かったんだろうな。 今さら学生割引はプライド的に(以下略)。 何で私が今でも学生と思えるのか不思議で仕方がないぞ。
一階の始まりは15世紀から16世紀ぐらいの宗教画ばっかり。 技術的にはまだ黎明期なんだなあと再認識しつつ、適当に飛ばす。 そんなに興味ない。 とはいえ、私にしては比較的ゆっくり見てたかも。
二階に上がって、さらに宗教画。 もうかなり飽きてきていたが、 元の絵の上に上塗りしたらしい油絵というのがあって、 X線だか何だかで解析した結果が隣にあったりして、 肉眼でも言われてみると多少は透けて見える。 そういうのがしばしばあるというのは今までにも聞いたことはあったのだが、 ここまではっきり見るのは初めてだったので、 思わず釣り込まれて、気がつくと長い間観賞してしまっていた。
二階の後半が遂に近代画。 ジャンヌダルクをモチーフにした絵画がいくつかあるのが、 いかにもルーアン。 コロー や彼の弟子の作品が結構たくさん。
んで、問題のシスレーなのだが、実はあんまり期待していなかった。 一枚しかないのだと思っていたのだ。 ところがどっこい。 数えてみたら、何と10枚もあって、びっくりした。 これじゃ、フランスで最も多くの印象派をかき集めている オルセー よりも多いってことになる。 さすがに世間的マイナーな作品ばかりなんだが、 それでも本当に来てよかったと感動してしまった。 ここで観賞している間、ずっとお腹が空いたなあとばかり考えていたのだが、気分だけはお腹いっぱいになった。 いやあ、本当、あれだけの交通費と時間を費して来るだけの価値はあった。
しかし、絵で腹は膨れないので、もうかなり限界で、後は相当すっ飛ばしてしまったから、よく覚えていない。
外に出て、ルーアンはいい感じのレストランが結構あって、 なかなか楽しそうではあったのだが、 どうにも気遅れしてしまったのと、 時間がないのとで、 結局Paulでサンドイッチと飲み物とデザートを買って、 歩きながら食べてしまった。 なぜかよくわからないが、 ルーアンに流れている ラ・セーヌ を見たくてしょーがなかったので、 パクつきながらてくてく歩いて、 へー、下流はこんな感じなのかーとか考えていた。
次は、 ノートルダム。 例の、 モネ が馬鹿みたいに(失礼)たくさん描いたやつだ。 まだ14時前で閉まっていたので、外から見ただけ。 しばらく待って入ろうかと思ったのだが、 面倒くさくなってきたし、 教会に入るのはあいかわらず好きじゃないので、 やっぱりやめた。
それからもひらすら歩いた。 かなり町中短時間に見まくったと思う。 市庁舎の建物とかも相当すごかったし、 ジャンヌダルクの教会も外からは見た。 ステンドグラスがあるというので、 ちょっと入ってみたくはあったのだけど、 かなり足が疲れてきて、気力が尽きたので、やめて駅に戻った。
んで、しばらーく、ぼわーっと待って、またパリのサン・ラザールまで行って。 RERを使えばいいのかもしれないが、どうもRERは好きになれないので、 またMetroで移動して、ノールに行って。 後はTGVでお終い。
ちなみに、サン・ラザールからどれぐらい早くノールまで移動できるのか知りたかったのだが、 30分ってところらしい。 ただし、私は乗る路線を最初勘違いしていて、あれ?何でこっからないんだ?とか間抜けなことを考えて、しばし路線図を睨んだり、 チケット買ったり(前の残りはかずひこさんにあげてしまったから)、 いろいろ余計なことをやっていたので、 もっと素早く行動できる条件が整っていれば、 20分ぐらいでも行けるのかもしれない。
今回はカメラ持って行かなかったので、写真はなし。 天気はよくなかったし。 しかし、出かける気になったのは、最近あんまり寒くなくなったからなんだけど、歩き回る分にはちょうどいい気温だった。 割と楽しかったので、来週も体調がよければ、どっか行ってみようと思う。 このところノルマンディー方面ばっかりだったので、 次はリヨンとかグルノーブルとか、あっちの方に行ってみたいな。 でもそれだと泊まらないわけにはいかなくなるのが玉に瑕なんだよな。
そう言えば、って、どう言えば、 LinuxBIOSがcorebootに名称変更になったのって、 全然ニュースになっていないよなー。 まだ完全に切り替えが済んでいないからなのかな?
個人的にはこれはとてもいい決断だと思うので、 速やかに周知徹底されると嬉しいんだけど。
バカが征くより:
若いヤツと仕事してると、よく『なんとなくこのへんが おかしい気がするんですけど』っていうのを聞く。
若くなくても、そういう人はいるんですよねえ、というのは置いといて、 私がしばしば言っていることは
プログラマは一行一行に責任を持て。
ってことなんですね。 「プログラムというのはロジックを記述するためのものなのであって、 詩や小説じゃないんだから、無意味な行があっても仕方がない。 自分がそこで何を意図しているのか責任を持てないようなコードを書いちゃ駄目。」と。
もっとも、詩や小説にも本当には無意味な行なんてものはなくって、 雰囲気を作り上げるためとか、話のテンポを調節するためとか、 それ相応の意味があるわけですが、 プログラムというものには「論理的に」関係のない行があっては駄目だと思うんですね。 もちろん、読みやすくするための空行とかは別ですが、 何かやっているのに実は何の役にも立っていない処理があったって、 無駄でしかないわけです。 こういうコードを書く人は自分が何をやっているのか理解していなくて、 結局何かの役に立っているところもおかしいことが多いのです。
エンジニアというのは、何か実用に供するものを作る仕事です。 エンジニアの成果は誰かが使う、そして、その結果として、 何かがうまくいったり、いかなかったりします。 時にはそれが人命に拘ることもあります。 生死にまで関係なくても、相当大きな損害を生み出す可能性が多々あります。
そこで、自分でも何やっているのかよくわかっていないようなものを作って、それを他人に使わせるなんて、私はあんまりだと思ってます。 使う人の身にもなってほしいものです。 そういう人は、ちゃんとわかるようになるまで、あまり重要な仕事には関わってもらいたくないと思います。
ちなみに、そういう「わかってないのに書いている人」を見抜くのはそれほど難しくありません。 その人が書いたコードをざあーっと眺めて、 怪しそうなところをいくつかピックアップして、 逐一「ここは何してるの?」と尋ねれば容易に判明します。 「そこは読みにくいかもしれないが、こういう意図であって..」と説明できたり、間違っていたとしても「自分はこう考えて書いていたが、言われてみると、正しくなかった」と認められるなら、大丈夫。 「えーっと、よくわかりません」とか「それでいいような気がした」とか「...(沈黙)」とかだと、やばい。
しかし、こういうのは意識の持ち方次第で改善できることですから、 それほど悲観はしてませんね。 書く気力がある限り、経験していくうちに良くなっていきますから。
今日引っ越す人と話していて、 家具の処分とかで相談を受けた。 それでふと思ったのだが、 どうして暮らしていると、モノが増えるんだろうなあ。 単調増加だよなあ。
うちもいろいろガラクタが増える傾向にある。 最近はモノが増えると、とても身動きがとりにくくなることを強く認識しているので、たまにどかっと整理することがある。 しかし、全般的には増える傾向があるに違いなく、 少々不可解である。
自分の場合、特に増えるのは書籍で、こういうのは中古で売っ払ってしまえばいいのかもしれないが、もったいない意識が芽生えてしまって、 さっぱり売りたい気分にならない。 おかげで減るのは、引越した時にどっかの倉庫に保管して見えなくなってしまうか、あるいは、誰かに貸して、そのまま戻ってこない時ぐらいである。
モノを増やさないうまい手があれば知りたいものだ。
私もしばしば在宅勤務モードになるので、それなりに慣れているのだが、 いろいろと向き不向きがあるなあとは感じる。
とにかく、在宅は集中力がめちゃめちゃ必要な仕事では必須だと感じるのだが、人と話を付ける必要があるときは会わなきゃ埓が明かないことが多い。 必要に応じて切り替えればいいんじゃないかねえ。
PHP使いの反論より:
どうやら、私はRubyという言語設計者なので「他の言語を馬鹿にし、自分の言語を宣伝したくてうずうずしてる」という脳内イメージが形成されているらしい。
PHPに対する批判には私は概ね賛成なんだけれど、 ある世界において特定の何かにコミットしている人が他のものに言及するとき、その意見の中立性を疑われるのは仕方がないことないんじゃないかなあ。 「馬鹿にしている」とまでいかなくても、「色がついている」とは思われても当然というか、実際避け難いことなんじゃないかという気がする。
実際、私がLILOやyabootやsyslinuxについて語っても、同じような反応を返される。 いかに客観的な見解なのかを力説しても効果がないことはよくわかっているので、私はもうそういうことを書くのをやめてしまっている。 Perl批判をやっても全然明後日な方向に難癖がやってくる始末で、 もうそう思いたければ思っていてくれて結構です、話すだけ無駄なんですね、としか言いようがない。
しかし、例えば、ある政党の議員が他の政党の批判をすれば、 自分の党を有利にするために言っていると勘ぐるのが世の大半であろうし、自分もそう考えるかもしれない、と思う。 そう考えると、そもそも何か特定のものにどっぷり浸かっている人が、 同業他社とか、そういうのに正当な批判を行うのは、相当大変なことなんだと感じる。
んじゃあ、どうすればいいのかというと、名案はないのだけれど、 敢えて自分のやっているものも含めて批判することで公平感を増す、 というのは使えるかもしれない。 しかし、自分のやっているものが同じ問題点を持っていない場合、 取りあげようもないし、やっぱり自分の作品を持ち上げたいんだけなんだと思われかねないのが難しい。 Webアプリケーションに限って言えば、どれでやってもこんな風に大変なんですよ、というのはアリかもしれない。
Web Component Development with Zope 3 の前書きにEJBがコメントを寄せているが、 なかなか面白いと思ったので、ざっくり翻訳してみる。 ちなみに、原文はここにもある。 以下、翻訳。
Zopeの導くところへ、Pythonはついて行く。
長年続いてきたけれど、この潮流は止まりそうな気配さえない。 最新の宣伝文句が何であろうと、RESTful Webプログラミングだろうが、 標準化インタフェースだろうが、プラグ可能コンポーネントだろうが、 実用的制限実行環境だろうが、 Zopeは控えめに行き先を先導し、他の誰よりも何年も先を行って、 本物を送り届けてきた。 技術上の概念だけではなくって、ちゃんとお金を払っている顧客のオフィスに届けられ、稼働してきたんだ。
ところが奇妙なことに、進みつづけるPythonの開発の中で、 Zopeの役割はPython開発者たちの間でさっぱり知られず、評価もされていない。 Pythonコミュニティで何か新しくて持ち上げられてる開発が、 特に、Webアプリケーションとかオブジェクトセキュリティとかの世界で、 Zopeではもう何年もそれやってきたことだよ、なんてのが頻繁にあるんだ。
Pythonコミュニティの、こんな奇妙な盲点を見てると、私は少々まごついてしまう。 みんながやっていることはZopeがもうやってるよと教えてあげても、 大抵反応はぽかんとされるか、反応なしかなんだ。 それはまるで、誰か他の人が再発明するまで、Zopeの革新は存在しないかのようなんだ。 実のところ、そうした傾向を見ているうちに、こんなちょっとした言葉を思い付いてしまった。
Zopeを学ばない者は、再発明することを運命づけられる。
Zopeを実際に使おうと思っているかどうかは関係ないんだ。 率直に言って、私はZopeを何年も使ってない。 でもZopeから得た教訓は、絶えず使っている。 Zope、とりわけZope3を学ぶことで、疑問の余地なく、もっといいプログラマになれるんだ。
当然、「もっといいプログラマ」って、どうもっといいんだ?とか、 何をできるのがもっとよくなるの?とかいう質問になるだろうね。
Zopeは、Zope Corporation (旧Digital Creations, LLC) が請負業務をもっと効率的に行えるように作成された。 おかげで、進化しつづけるツールキットを用いて、再利用可能なソリューションを顧客に提供し、同時にそうしたアプリケーションの開発や保守のコストを削減することができたんだ。 その目的は「一度だけ書いて、何度も使う」という規模の経済効果を生み出すことなんだ。
もしこれがあなたのキャリアが辿る道筋なら、 そうした目的のために本当にZopeを使おうか使うまいが、 Zopeではどうやって実現されているのかを学ぶと、 ためになることばかりなんだ。
もしPython用に何か新規のものや最新技術を開発しているんなら、 「Zopeにはすでにこんなものか、似たようなものがあるだろうか。 もしないとしたら、Zopeだとこれはどうやって使うだろう」と問いかけると、得るものが大きい。 これこそ、 私がPython Eggsやsetuptools、WSGI (Python Web Server Gateway Interface) の仕様書を開発していたときに発した質問だったんだ。 これらのプロジェクトがうまくいったのは、WWZD: Zopeなら(このアイデアで)どうやる? (What Would Zope Do?) を尋ねたことが直接的に結果に繋がったんだ。
どうしてかというと、Zopeにいいことは、大抵Pythonにもいいことだから。 言語上のって意味じゃないよ、 Pythonの「慈悲深い独裁者」 (訳注:Guido van Rossumのこと) と 「Zopeの教祖」 (訳注:Jim Fultonのこと) は言語の変更の仕方については頻繁に激しくけんかしているからね。
自分が言いたいのは、Zopeをより良いプラットフォームにするツールは、 Pythonをもより良いプラットフォームにするってことなんだ。 そして、Zopeをこつこつ勉強してみれば、きっとなぜなのかがわかるようになると思う。
それから、ひょっとすると、もしかしたらってだけなんだけど、 特に新しいアイデアに至ったとき、他のプログラマよりちょっぴり前を進んでいる感じを受けるようになるだろうね... でも出来ればあんまり前に行き過ぎないように、そうでないと、 みんな今度はあなたも存在しないかのように振る舞い始めちゃうからね!
幸運を祈る!
_ bgnori [よいソフトウェアには10年かかる、か。]