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enbug diary


2007-09-01

_ 与太話

私の悪い癖はすぐに人を助けたくなってしまうことです。 それで何度も嫌な思いをして、結局何も救うことができず、 かつ、自分自身に災難が降りかかって、何一つ良いことがありません。 何度ももう二度とやらないと決めて、 それでもまたやってしまうのは、きっと私が馬鹿だからなのでしょう。

しかし、本当に、本当に、今回の件は疲れ果てました。 二度とやらないと言ったところで、 前回も大いに疲れ果てていたことを考えると、 きっとまたやってしまうと思うので、 今回は限定的に誓います。 二度と「こういう形では」やりません。 助けてほしいと本人が明示的に表していない相手に対して、 今後一切関わりません。 周りがどう言おうと、徹底的に無視します。 冷酷だと思われても構いません。 自分の身を削って、それでも何も報われないようでは、あまりに哀しすぎます。

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本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ いさむくん [おせっかいな突っ込み m(^^)m]


2007-09-02

_ 所得税

しばらく放置していたが、いい加減オンラインで支払うことにした。 以前と違って、多少分割払いをするようになったので、 精神的には楽になった気がする。 絶対に、単なる気のせいだが。

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2007-09-03

_ GRUB 2

無性にハックしたい気分になったので、 小関さんレポートを連発で片付ける。 しかし三つ目で息切れ。 四つ目はもうちょっとよく確認しないと、きれいに片付けられそうにないのお。

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2007-09-16

_ コピペは注意してやれ

何やら、 かずひこさん がアフィリエイト関係でえらい目にあったそうです。 うちの記事が頻繁にパクられていることは十分承知してますし、 そのことはむしろ嬉しく思っているので、 どんどんやってくださって結構です。 しかし、単純にコピペすると、変な問題が発生することもあるので、 ちょっとは中身を確認してからにしてもらいたいものです。 それが面倒なら、ここにリンクを張ればよいだけ。

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2007-09-23

_ Mochikit

どうもMochikitのCSS Selectorを使うと、 classが部分文字列で適合してしまっているような気がする... すごくどういうコードで処理をさぼっているのか想像しやすいのだけれど、 これって、単に私の持っているバージョンが古いだけ?

とりあえず、もうちょっと頻繁にリリースしてほしいなあ。

_ 通信の発達とコミュニティの閉鎖

インターネットの利用が広まって、 コミュニケーションが促進されて、 結果として、世界が広がる...と思いきや、 現実にはむしろ閉鎖に向かっている、みたいな話を最近聞いて、 少し考えてみた。

実のところ、インターネットの影響は非常に大きいけれど、 それを除いても凄まじい。 携帯電話もそうだし、 私の身近な話だと、 国際電話が異常に安くなった。 VoIPなら無料で可能なのはもちろんのこと、 IP電話との競合のせいか、 普通の電話でも一昔前とは雲泥の差だ。 一時間話しても全然平気である。 大昔に、せいぜい手紙や電報ぐらいしかなかった時代を考えれば、 とてつもない進歩と言えるだろう。

その一方で、指定した相手からしかメッセージを受け取られないとか、 指定したメンバーしか参加できないポータルを使うとか、 どう考えても狭まる方向にしか進まない状況も見えている。 山程あちこちに無料、あるいは、廉価なサービスが点在しているおかげで、 みんなが見るところも少なくなったし、 雑誌もどんどん潰れているから、 特定の人物や企業がリーチできる範囲も狭くなった。

なんでそうなるのかと言うと、 多分次のような理由が挙げられるのではないか。

  • spamがうざい。
  • troll(荒らし)がうざい。
  • 知らない人がそもそも嫌。
  • 変化が嫌。
  • 現状にすっかり満足。

spamの問題も相当深刻だが、 せっかくいい雰囲気になってきた場に、 変な奴が闖入してくるのが嫌ってのはかなりあると思う。 悪意を持った人間でなかったとしても、 新しい人間の登場によって、 これまでの人間関係が崩れ去ってしまうことは多々ある。 言ってみれば、免疫系におけるアレルギー反応のようなもので、 別段害悪を及ぼすものでなくても、異物に過剰反応してしまったりもするだろう。

しかし、そういう開放的な場に対する侵入ではなくて、 もっと別の見方があるように感じる。 つまり、そもそも通信の発達はむしろ世界の広がりを邪魔する傾向を伴っているのではないか、ということだ。

例えば、である。 昔なら、離れた所の人間に連絡を取るのは、あまり容易いことではなかった。 ところが今では、携帯電話はもちろんのこと、IMや電子メール、その他の手段で、 極めて簡単に連絡を取りつづけることができる。 以前なら、引越しなんかがあると、当然のように付き合う人間が変化したものであったが、 実際に顔を合わせるという部分さえ我慢できれば、 もはや変化を起こす必要もなく、 既存の知人とだけ付き合いつづけることさえ現実的だ。 だから、既存のコミュニティを崩壊させるのが困難になった分、 新規のコミュニティは創造しにくい世の中になってるのかもしれない。

それだけではつまらないので、じゃあ、どんどん付き合う人間を追加していけばいいのに、 何でそうはならないのかと考えてみる。 おそらく、一人の人間がまともに付き合える人間の数にはかなりの制限がある。 まず第一に、時間的制約がある。 気持ちの上での限界もあるだろうし、 そこそこで満足してしまうというのもあるだろう。

単純に考えて、 この前に書いたように、 余分な時間は一日当たり4、5時間程度だとすると、 これが時間的制約となる。 自分自身のために費す時間もあるだろうから、 他人との付き合いに費す時間はさらに少ないだろう。 グループで話をする等の方法で、擬似的に増すことはできるだろうけど、 これでも本当に個々の人間と付き合う時間が増えているわけではない。 ただ、混じっている感じがするだけである。

実は、この状況でも、通信の発達であきらかに付き合いが増えている人種もいる。 つまり、オタクたちだ。 以前身近しか見られなかった頃、 同様の趣味を持つ相手を見つけ出すのは大変なことだったので、 一般にオタクの友達付き合いは限定的だったろう。 しかし、あっちこっちの人間を探しやすくなったので、 オタクであるというギャップが以前ほどは感じられなくなっているのではないか。

もちろん、これは今までキャパシティの限界まで達していなかった人々の話題であって、 すでにキャパシティ付近まで上り詰めていた人々には当てはまらないだろう。 そういう人々は、通信の発達によって、むしろ「昔馴染みのもの」に縛られてしまっているような気がする。

ま、逆に言えば、通信の発達は人々の格差を減少させる風には役に立っていると言える。 みんなが同じところを見に行くのではなくて、 てんでばらばらのところを見ているというのは、 特定人物の与える影響を限定しているわけで、 考えようによってはいいことなんだろうな。

それで何が言いたかったのかというと、 本質的には人間は変わらんよなあということだった。 どうせ付き合える人間の数に限度があるんだから、 技術が発展したからと言って、 劇的に変化するもんではないというか。 通信コスト、とりわけ手間暇があんまりかからないようにすれば、 効率を上昇させて、数を増すことはできるんだろうけど、 それでも数倍が限度、な気がする。

結局やり方変えても、人間のできることは大して増えたりしないってのは、 昔外国旅行大好きな人たちを見て、痛切に感じたことでもあった。 大体において、そういう人は、自分の国のことはほとんど知らなかったり、 外国には行っているが、 現実にはそこのことをほとんど知らなかったりする。 それを無意味と言っているわけではないが、 ちょっぴり淋しい感じがするのだな。

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2007-09-27

_ 広告

OSC 2007でERP5の発表をします ということで、かずひこさんが東京で発表します。 興味のある人は、当日彼はどこかのブース辺りにうろついていると思うので、 声をかけてやってください。

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