◆本論
◇キャラクターが薄いプリキュアシリーズは、プリキュアとなる女の子たちが友情を育んだり、敵と戦ったりする中で心身共に成長を遂げていくのがストーリーの基本フォーマットです。
変身して戦ったり、アイテムを集めたりするのは方針の1つであって、それ自体がメインというわけではありません。メインはあくまでも女の子たちです。
すなわち、方針や大枠の中でプリキュアとなる女の子たちが目立ってくれないとストーリーが成り立ちません。
それを踏まえると、本作はストーリーを真っ当に描けていないと見ています。
キャラクターが全くと言っていいほど掘り下げられていません。初期設定から拾ってきたかのような、一面的な話をずーっと引きずりっぱなしです。
例え最初は一面的な話でも、サブキャラクターやプリキュア同士で積極的に交流することでキャラクターを広げていくこともできたはずですが、
スタプリの場合はそれすら殆どありませんでした。
ひかるの場合は、宇宙や星座に関して好奇心旺盛という性格でしたが、その前向きな性格が他人に影響を及ぼすことはなく、
終始1人で騒いでるだけなので序盤で息切れしてしまい、以後は何かしらの出来事に
「キラヤバー!」と叫ぶだけのアホピンクと化しました。
序盤では伏線かと思われたお祖父さんとの確執らしきものも、本人の与り知らぬところで事態が収束していました。
ララの場合はキャラ固有のストーリーの進展がひどく遅いように感じました。
恒例行事である中学校への入学も、登場してから12話経ってようやく消化され、
序盤から何かと伏線を匂わせていた母星サマーンに関しては、伸びに伸びて29話になってようやく本格的に話が進みました。
その間、彼女にイベントらしいイベントが降ってくることはなく、ひかるに引っ付いてはルンルンオヨ~と当たり障りなく振舞うだけで、基本的には暇を持て余していました。
異星人であれば地球の文化に触れて反応を示したり、逆に母星の文化との違いをアピールしたりとやりようはいくらでもあったと思いますが、
どちらも満足に描かれているとは思えないほどの無味無臭っぷりでした。
(それでも要所でイベントが設けられていた辺り、彼女は恵まれていると思います)
えれなとまどかは2人揃って空気扱いしても差し支えないぐらい目立ってません。
基本的には、たまに画面に映って、たまに喋って、たまに変身するだけの存在で、
キャラ回が来たかと思えば
「家族と笑顔!」「厳しいお父様!」ばっかりで、
「新人脚本家が初期設定だけ見て話を見繕ったのかな?」と思うぐらい薄い話ばかりが描かれていました。
この影響で、特に まどかに関しては本人よりもお父さんの方が良くも悪くも目立っていたのではないかと思うほどです。
こうして振り返ると… というより視聴当時も思っていましたが、全体的にキャラ同士で積極的に交流しないので、キャラ同士のシナジーを発揮できていないんですよね。
私からしても
「このキャラとこのキャラを組み合わせたら面白そう」とか全然予想ができませんでした。
一応、キャラ同士最低限の会話はしますが、本当に
「会話」しかしてません。肝心なことは大体自分の中で結論付けます。
結論に至るまでの経緯も当然のように省くので主張に正当性や説得力が感じられず、
「こいつ何言ってんだ?」と首をかしげるシーンも序盤・中盤・終盤まで隙がありませんでした。
主張に正当性がなければ敵とまともに舌戦もできません。敵が言い放つ卑怯であくどく、時に鋭い主張に対して真っ向から反論するのがヒーローの常ですが、
本作の場合、要領の得ない喚きで水掛け論を繰り広げているだけなので非常に生産性がないと思いました。
結局最後までキャラクターの広がりを見せず、主張の正当性もなければ成長も見られない。
最終話における将来の姿も、初期設定から容易に拾えるような内容で終わりました。
最初から最後までキャラクターを描けていない、それがスタプリの神髄だと思います。
◇ユニとかいうアレ近年のプリキュアシリーズではストーリーの途中で追加戦士が馳せ参じるのか常です。
本作でもユニ/キュアコスモという追加戦士が登場したわけですが、これがあらゆる意味で
「信じられない!」と言わざるを得ないキャラクターでした。
「滅んだ母星と仲間を救うために、全く関係ないアイテムを盗み集めている」「それを叶えるのに1番建設的な手段があったのに何故かそれを選ばない」など、登場時点で突っ込みどころ満載なキャラクターでしたか、
本格的にプリキュアとして仲間に加わってからその突っ込みどころは殺人的加速力で増加していきました。
元々ユニというキャラクターには、
・怪盗
・猫人間
・アイドルという無二のアイデンティティが3つも備わっていました。
しかしこれらの設定は、プリキュアとして仲間に加わった途端ほぼ死に設定と化しました。
怪盗ネタは映画の宣伝エピソードで1回拾われ、アイドルネタはどうでもいい話で2回ほど使われてましたが、
どちらもネタ程度の扱いでストーリーの本筋には加わってませんでした。
猫人間設定は彼女のルーツとも言える重要な設定ですが、劇中の9割がた人間の姿に化けていたのであまり意識することはありませんでした。
設定を活かす機会を失われた彼女はストーリー上で何をしていたかと言うと、何もしてません。
誇張表現でも何でもなく、
本当に何もしていません。
地球の文化に自分から触れようとせず、衣食住の場所も決めず、学校にも通わず。
プライベートがダメでも、プリキュアとしては積極的に活動してるんだろう、と言いたいところですが、
こちらも何もしてません。あまつさえ、彼女には
「母星と仲間を救う」という使命があるにも関わらず、
基本的にひかる達が動こうとしなければペンの1本も探そうとしません。
時間になったらプリキュアに変身して必殺技を撃つという、他のキャラでもできそうなことを淡々とこなす程度のことしかしません。
当然の如く、他キャラとまともに交流しようともしません。プリキュアとも積極的に会話しません。サブキャラとの交流なんて豆粒ほどもありません。
基本的に他人の会話に聞き耳を立てているだけで、自ら話題を出すことは稀です。
じゃあ普段一体何してるんだ、と聞かれたら何もしてません。本当に、
本当に何もしてません。
何かしてるのかもしれませんが、劇中ではクソほども描かれません。それは
「何かしてる」って言いません。
地球の重力に引かれるとともに、本人の主体性もどこかに落として無くしてしまったかのような感じでした。
劇中の描写的には何となく
「ダークヒロイン」や
「ツンデレ」であることをアピールしたいのかな、と思いましたが、
根本的に何もしてない人なのでそういう印象すら抱けません。
最終的に彼女の印象は
「ニート」「無関心」「コミュ障」のスリーコンボで固まってしまいました。
この印象は作品中盤時点でほぼ固まっていましたが、番組が終わってもとうとう揺らぐことはありませんでした。
こんなキャラクターあり得ません。
本人固有の設定があるにも関わらず、ストーリー上でちっとも活かしてもらえず、挙句何のアクションも起こさせないなんて正気の沙汰ではありません。
一体何を考えてこんなキャラクターを作ってしまったのでしょうか。ユニが登場してからは頭を抱えっぱなしでした。
一応断っておくと、ユニというキャラクター自体にケチをつける気はありません。
やりようによっては何とでも描けたと思います。ただし制作側が一切の努力を放棄してしまったので、何も残りませんでした。
ある意味作品の癌とも言えますし、1番の被害者とも言えます。
しかし結局何もしてこなかったのでそれ以上の結論は出せません。
◇多様性という何かこの作品のテーマは
「多様性」だそうです。
インタビューの度に柳川Pが主張してましたから、間違いないでしょう。
しかし多様性と一言で言っても、意味は様々です。この作品で描いてきた多様性とは何だったのでしょうか。
ここでは、
「作品描写から読み取ってみた場合」と
「私の思う多様性から比較してみた場合」という2つの視点でそれぞれ考えてみました。
・作品描写から読み取ってみた場合柳川Pの主張をかき集めた限りでは、
「色んな種族・特徴をもつ人が平等に居ていい」ことを多様性と表現しているように見受けられました。
しかしテーマというのは漠然と掲げていればいいものではなく、ストーリーやキャラクターを通じてその意図が伝わらなければなりません。
重要なのは、多様性というテーマを描くために劇中で何を描いてきたのか、という点です。
そういう視点で見てみると、スタプリは… これといって何もしていないと思います。
ハーフ故に人と肌の色が違う えれな、宇宙人であるララとユニ、如何にもな妖怪をモチーフにしたデザインのノットレイダー幹部たち、その他様々な星の住人。
確かに色んな人間やら宇宙生物がたくさん登場しましたが、先述したように、本作はそもそもキャラ同士の交流が浅い作品です。
ドラマらしいドラマはなく、スタプリで
「何かを描いてきた」という実績がイマイチ見当たりません。
百歩譲って
「当たり障りなく描くことで、色んな生き物が点在する様を見せる」ことで多様性を表現していた、と考えられなくもありません。
これは前作ハグプリにおける多様性の表現方法が
「マイノリティを押し付ける、否定派を排除する」だったことと対照的であり、
それを反省して今作のような大人しい表現方法に落ち着いた、と考えればある程度信憑性が得られると思います。
それも1つの表現方法かもしれません。しかし私からすれば、それは物凄くつまらないやり方だと思います。
アニメ作品、それも4クールもの尺がある作品において、何もせず画面に映ってるだけで多様性をアピールしているって変だと思います。
プリキュアは仲間と力を合わせ、悪者と戦うアニメです。そんなアクティブなフォーマットに、何もしないことをモットーとするテーマは不釣り合いだと思います。
・私の思う多様性から比較してみた場合過去にも言及しましたが、私の説く理想的な多様性というのは
「誰もが違う存在であることを理解する」ということにあります。
これにはぼーっと突っ立っているだけではなく、相手を理解するために明確にアクションする必要があります。
その上で好き嫌いを主張するのは自由ですが、他者の存在そのものを否定してはいけないと思います。
その観点で見ると、プリキュアは私視点での多様性を表現できていないと思います。
基本的に友好的に接するのは自分たちに害をなさない人間か宇宙人くらいで、敵であるノットレイダーに対しては基本的に排除を試みます。
敵なんだから排除するのは当たり前だろ、と思うかもしれません。確かに過去のプリキュアも似たような例はありました。
ですが
「多様性」をテーマとする本作において、
「敵は悪いやつらだから排除してOK!」なんて言い分は成り立たってはいけないと思います。
またノットレイダーの皆さんは、どれも辛い境遇に立たされていたことが序盤の時点で匂わされていましたが、まず誰も気にしません。
加えて、主人公である ひかるは
「分からないこそもっと知りたい」という思いを何度か晒しているものの、具体的なアクションを起こさないので何も知ろうとしません。
他者を理解する上での土壌らしきものを作ろうとした形跡は見られますが、結局明確な形になっていないので全部意味がありませんでした。
それでいて終盤になると突然敵同士が馴れ合いを始めるのでついていけなかったです。
また、多様性を語るうえで重要なキャラクターを忘れています。ユニのことです。
彼女は猫人間であるため、その素顔は普通の人とはかけ離れているため、人間顔に化けて暮らすことを余儀なくされていました。
つまり彼女は本来の姿で生活することが認められておらず、全然多様性が重視されていないと思うのですが、一切解決することなく話が進みました。
ユニというキャラは基本的に誰にも交わろうとしなければ相手にもされない存在なので当然とも言えますが、当然にしてはいけない(戒め)
上記2点から考えてみた結果、スタプリにおける
「多様性」というのは意図して何かを描いてきたのではなく、
何かしら描こうとしたけど結局のところ方向性が定まらず、結果らしい結果も出せないままズルズルと引きずって行ってしまったのだと思います。
前作のように過激路線は避けたかったが故に表現に困ったのかもしれませんが、
結局何もできてないしテーマ以前に描けてないことも多いので同情する気はありません。
◇村山功という脚本家作品の具体的な特徴を掴むには、実際に脚本を担当した方の意見を聞くのが1番です。
というわけでネット上を探して拾ってきた、本作シリーズ構成の村山功さんのインタビューを読んでみました。
すると、これまで述べてきた事実と照らし合わせて興味深い内容を知ることができました。
(インタビュー内容は
こちら)
彼の具体的な主張をまとめてみると、
・敵のドラマを描きたかったが、序盤から描くと子供が飽きそうなので後回しにした
・子供への分かりやすさを重視するため、「大人になったら分かる良さ」は描かないようにしたというものです。脚本を仕上げるにあたって、一種の制約が課せられていることが伺えます。
ただ、
「敵のドラマは後回し」「大人向けの良さはスルー」と、何かを避けて書くことに関しては具体的に述べられているのですが、
代わりに
「何を描いていくのか」という内容が具体的にイマイチ伝わってこないように感じました。
何かを避けるだけではストーリーなんて仕上がらないと思います。避けるからには埋め合わせをしたり、描写の帳尻を合わせる必要があると思います。
で、結局描写を避けた分村山さんは何をしたのかと言うと、
何もしてません。今まで述べてきた通り、徹頭徹尾空虚なのが本作の特徴です。
わざわざ
「描きたい」とまで言っていた敵のドラマは、結局明確な描写を避けるばかりで進展がなく、最終盤で一気に明かすというバランスの悪さを見せつけていました。
これは村山さんが過去にシリーズ構成を担当したまほプリでも同様であり、過去作から変化を持たせるべく様々な要素を削っていたのですが、
結局削ってばかりで作品固有の魅力を発揮できず、随分と歪な作品に仕上がってしまったと記憶しています。
どうも本作も同じ轍を踏んでしまったように思えます。
むしろ無駄に尖った部分が見受けられたまほプリと違い、これといった成果のないスタプリと比べると脚本家としての腕前は劣化したのではないかとも思います。
更に突っ込みたいのが、同インタビュー内での下記のような発言です。
・スタプリはうたを歌って変身したり、惑星やその文化、異星人の説明をしなくてはならないので、物語に割ける時間が少ないまるで自分の意に反する制約をかけられているかのような言い方ですが、
私が見る限り、宇宙・異星設定の描写において、最も筆が乗っていたのは間違いなく村山さんが担当していた回です。
そういった回では、本筋に貢献しない無駄な設定にばかり言及して、話の内容が薄いと感じていたことがしばしばありました。
多分、誰も何も言ってないのに
「宇宙設定のこと言及しなきゃ!」と自分の中で勝手にルールを決めて、自分1人だけ暴走してたんじゃないかと思います。
まほプリの時は
「彼は無能ではなく、自分の中のイメージを拗らせ気味なだけ」と評していましたが、
今作でも何ら結果を残せていないあたり、もう
「無能」の烙印を押さざるを得ないかもしれません。
うしろめたさは、あまりない。
◆まとめ「キャラクターの描写が弱い」「テーマが満足に描けていない」「脚本家の無駄な拘りが作品にとって邪魔」上記がスタプリを構成する3つの負の要素だと思いますが、何も本作に限った話ではありません。
私が知る限りでは、少なくともまほプリの頃からこの手の要改善点は何ら抜本的な対策が取られていません。
それこそが本作を
「怠惰」と表現する理由です。今後も見直されない限り、同じ悲劇が繰り返されることでしょう。
プリキュア大投票然り、感謝祭の宣伝然り、なまじ広報面はかなり頑張っていたように見えただけに、
肝心のアニメ内容の微妙さが却って際立ってしまったことも大きいと思います。
ただ、1年間見てきた感触としてはそんなに悪いものではなかったと感じています。
1クール目辺りまでは
「まだ何とかなる」という気持ちで視聴していましたが、
ユニが出しゃばり始めたあたりで
「そろそろ本格的にマズいかもしれない」という気持ちがこみあがってきたので、
作品に対してまともなクオリティを期待するのではなく、
「どれだけ珍妙な光景が見れるか」を期待して見るようになりました。
ところどころ頭を抱えることもありましたが、視点を変えることでモチベーションは維持できていたと思います。
だから私は、それなりに楽しみながらこの作品を観れていたのではないかと思います。
客観的に楽しんでいるように見えていたかは置いておいて。
そんな視聴態度で見ていたので、作品を通して得られたもの、というのは残念ながら特にありません。
強いて言うなら、村山功という
「ニチアサおもしろ脚本家」を発掘できたことでしょうか。
まほプリの頃からその片鱗を感じていましたが、今作でもう確定しました。
まともなクオリティは彼に期待できません。その分、トチ狂った何かを今後も提供していただければと思っています。
今度のオールスター映画も脚本担当するんだっけ。タノシミー。オラワクワクしてきたぞぅ
そんなこんな視聴してきたこの作品に、あえて点数をつけるなら…
うーん… 100点満点中
1点ですね。本来なら0点なんですけど、視聴モチベーションは維持できていたのでオマケの1点です。
参考までに、まほプリは0点です。キラプリは10点です。ハグプリは
マイナス3億点です。
まあ実際のところ点数なんてどうでもよく、作品固有の
「何か」が感じ取れれば私はそれで満足します。
本作の場合、
いつまでも中身が伴わなかった脚本がそれにあたるってことで…
次回作も、そういった個性が感じとれればいいなーと思ってます。
おつかーれ。

以前と比べりゃ、中の人たちがメディア露出する機会も増えたなぁ…