人形浄瑠璃とは、江戸時代に端を発する日本の伝統芸能の一つである。
小学校か中学校の歴史の教科書でも軽く触れられている通り、近松門左衛門などによって大成された。
浄瑠璃がそもそも三味線と太夫(語り)により演じるものを示した言葉で、
これに木偶(でこ)とも呼ばれる人形による芝居を合わせたものを指して人形浄瑠璃と呼ばれている。
国の重要無形文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にも認定されている。
ちなみに、混同されてしまっているが「文楽」というのは、大阪の人形浄瑠璃座の1つ、文楽座を示す言葉。
人形浄瑠璃を示して文楽と言うのは、厳密には誤用である。
とは言え、人形浄瑠璃に関わっている人とか詳しい人でもないと、区別して使っていないというのもまた事実。
ここでは、文楽でまとめられるもの以外の人形浄瑠璃も含めて、人形浄瑠璃に関して述べる。
冒頭でも触れたように、人形浄瑠璃の歴史は江戸時代に遡る。
それまでは、三味線と太夫と呼ばれる物語の語り手が2人1組(それ以上の人数の場合もある)で物語を演じ語っていただけだったが、江戸時代に近松門左衛門らによって人形を使って芝居を合わせることが考案された。
この近松門左衛門の考案によって、人形浄瑠璃は当時の娯楽として流行することとなった。
(現代から見れば)娯楽に乏しかった当時、人形浄瑠璃は今日のドラマやミュージカルみたいなものであったのかもしれない。
この頃から、既に興行として人形浄瑠璃は成立しており、人形浄瑠璃を生業とする者たちによって巡業も行われていた。 この時には当然、囲壁を作り、入場料を支払った者だけが見られるシステムは成立していた。
しかしながら、人形浄瑠璃の舞台はこの形態に限らず、寺社の祭事として呼ばれたり、殿様などが庶民に娯楽を与える目的で(内心は不服を抑えようとする意図などが見え隠れするわけだが)呼ばれたりすることもあった。
人形浄瑠璃が娯楽として普及した後は、交通網や移動技術が発達していなかった当時は巡業にも金がとてもかかり、それ故公演料もかかるために、自分たちで人形浄瑠璃をやってしまおうという勢いで、日本各地にその地域独特の人形浄瑠璃が発展する土壌を作った。
この頃の人形浄瑠璃(あるいは能)のために作られた舞台は、結構日本各地に残っていたりする。
文明開化以降、娯楽の形態が多様化し、人形浄瑠璃は衰退する兆しを見せていた。
昭和前期では戦争の影響もあり、人形浄瑠璃の公演自体がされることがなくなっていった。
昭和中後期にはついに後継者が少なすぎる、いなくなるなどの理由で、地域独特の人形浄瑠璃が姿を消すこともあった。同時に、全国の多くの人形浄瑠璃(あるいは能)舞台も廃屋と化し、自然に帰っていったり、壊れてしまったりした。
昭和後期や平成初期に渡って、伝統芸能が見直される傾向が広がり、その中で人形浄瑠璃も再興していくこととなる。
地域によっては町おこし・村おこしの材料としても活用されており、そこそこの観客を動員している舞台もあるようだ。
さらに、それまでは新しい人形浄瑠璃として、新しい外題(作品) の創造や、現代語での公演、科学技術などを活かした演出、を取り入れたりするようになった。
最近では、初音ミクの「メルト」に合わせて人形を舞わしてみたりもしたそうである。
逆に橋下徹氏による財政改革の一環で、大阪の文楽座への補助金がなくなってしまい困ってしまう、地方の人形浄瑠璃の公演の一部は祭事としてで自治体が企画するものがほとんどなど、補助金や寄付金、税金頼りになっているのではないか、という批判もある。
人形浄瑠璃の公演での役割は、主に次のように分かれ、外題(作品)によって必要人数が就く。
三味線で物語のメロディを弾く。必ずしも節だけを弾くわけでなく、効果音なども弾くことがよくある。
外題によってはかなり三味線を酷使するものもあるので、たまに途中で三味線の弦が切れることもあったりする。
物語を語る人。独特の節で喋るので、慣れない人には何を言っているか分からないことも。
演技の中で異性の声を出すことは一般的だが、多分みなさんが想像してる異性声ではなくて、能とかのそれと同じ。
主遣い(頭と右手)、足遣い(下半身)、右遣い(右手と細かな動作などの補佐)に別れる。
古くからの所だと、主遣い>右遣い>足遣いと技能が要求されるとし、それに応じて上下関係が生まれることが多い。
実際、 主遣いが司令塔となって人形の動きを決めるのだが、だからといって他の役割が簡単というわけでは当然ない。
アニメでいう男性店員Aとか女子生徒2みたいなモブキャラだと、1人で1体の人形を扱うこともある。
当然右手と頭しか扱えず、他の部分が放置プレーとなるので、意外と扱いが難しかったり。
本来、人形浄瑠璃は上で述べたように、三味線・太夫・人形が三位一体となって演じるものだが、これと異なり、ほぼ全てを1人ないし2人で行うものがある。これが木偶廻しであり、地方に未だ風習として残っている所がある。
新年祝いなどに民家の軒先でほぼ一軒毎に行われ、通常の人形浄瑠璃とはまた異なるタイプの人形浄瑠璃である。
ただ、穢多・非人のような身分とされた歴史もあり、今日に残る木偶廻しはとても少ない。
人形浄瑠璃の外題には大きく分けて2つの種類があり、「時代物」と呼ばれる(人形浄瑠璃が成立した江戸時代から見て)過去の出来事について語ったものと、「世話物」と呼ばれる同時代のことについて語ったものがある。
これに加えて、新たな種類として、最近作成された新しい外題がある。
阿波国(あわのくに・現在の徳島県)の武士・十郎兵衛と妻・お弓は、盗まれた主君の刀を探す為、盗賊として大阪で隠れ住んでいた。
当時は犯罪人は家族も責任を問われたので、まだ幼い愛娘・お鶴を祖母の所に預けてでてきたのだ。
しかし、そのお鶴がある日、西国巡礼で家でお弓が裁縫している所にやってきた。
お鶴はお弓が母だとは気づかないが、お弓は当然お鶴が我が娘と気づく。
だが、我が娘に罪が及ばんとするために、お弓はお鶴を帰してしまう…。
ある所に、盲目の沢市と、その女房のお里が暮らしていた。仲睦まじく、貧しいながらも暮らしていたが、毎日午前4時に家から出かけていくお里を、浮気でもしているんじゃないかと沢市は疑う。そこで沢市は、ある日お里を問いただした。すると、お里は沢市の目が治るように毎日観音様に祈りに行っているとのことであった。
沢市は自らを恥じ、むしろ自分がいなくなればお里は幸せになれるんじゃないか、と身投げを行う。不吉な予感がしたお里は沢市を探しに後を追うが…。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/03(金) 19:00
最終更新:2025/01/03(金) 19:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。