WORLD TURF CHAMPION
2006.3.25 Dubai Sheema Classic (GROUP 1)HEART'S CRY
ハーツクライ(Heart's Cry)とは、2001年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。鹿毛の牡馬。
日本調教馬として唯一、ディープインパクトを破った馬にして、2006年の世界トップクラスの競走馬の一頭に数えられる強豪。
馬名の由来は母アイリッシュダンスからの連想で、リバーダンスの中の一曲「ザ・ハーツクライ」から。
通算成績19戦5勝[5-4-3-7]
主な勝ち鞍
2004年:京都新聞杯(GII)
2005年:有馬記念(GI)
2006年:ドバイシーマクラシック(G1)
父はサンデーサイレンス、母は重賞含む9勝を挙げ中距離重賞戦線で牡馬に混じって活躍したアイリッシュダンス、母の父はトニービンという、「良血」と呼ぶにふさわしい血統背景を持つ。
橋口厩舎に入厩し、デビューしたのは2004年の1月と遅れたがここは快勝。続くきさらぎ賞は素質のみの荒削りな走りながら3着。関西の皐月賞トライアル若葉ステークスではちょっとした腐れ縁になるスズカマンボを下し、皐月賞へ。
しかし記録的高速前残り馬場だった当時の中山では当時追い込みしかできないハーツは不利であり14着に惨敗してしまう。そこでダービー前に京都新聞杯へ向かい、ここでもスズカマンボを僅差下し1着。勇躍ダービーへ向かう。
酷暑の五月晴れの中、マイネルマクロスの破滅的ペースを無理矢理前に出てそのまま押し切ろうとしたキングカメハメハをずっと後ろで温存してきた強烈な末脚で追い詰めるがわずかに及ばず2着となる。橋口厩舎の呪いであろうか。鮮烈な追い込みは可能性を感じさせるものだったが、ここから苦悩の日々が続く。
秋は菊花賞を目標に神戸新聞杯で復帰。いつものように最後方につけたがキレを欠き3着、菊花賞は距離不適だったか伸び切れず7着、続くジャパンカップと有馬記念は完成していない体で連戦するのが辛かったか凡走。
4歳春は大阪杯(当時GII)から始動するが先に抜けだしたサンライズペガサスを捉えられず2着。
天皇賞(春)は距離不適ながら善戦するも5着。
宝塚記念では上がり最速で突っ込むがいつものように届かず、牝馬スイープトウショウの勝利を許してしまう。
なんとも煮え切らぬ敗戦続きの春を終え、ハーツクライは放牧に入った。この放牧の後、ようやく筋肉のバランスが良くなり、体が完成したと言われる。
そして迎えた秋シーズンは、鞍上にクリストフ・ルメール(当時は短期免許騎手だった)を新たに迎え、天皇賞(秋)へぶっつけでの挑戦。が、超スローペースで後方からの競馬は不利で6着。
続くジャパンカップは、タップダンスシチーの凄まじいハイペース逃げが後方待機の彼にはハマり、ものすごい末脚で突っ込むが僅かに足らず2着となった。
しかし、この秋からの主戦的な存在となったルメール騎手は確かな手応えを掴んでいた。それもそのはず、勝ったアルカセットとハーツクライ、両者のJCで出したタイムは2分22秒1。あのホーリックスが出したレコードをコンマ1秒縮める驚異的なものである。彼の潜在的な鬼脚が目覚めた瞬間であった。
ルメール騎手は有馬記念に向け、かの地で相まみえるであろう「ある馬」の研究を始めた。この年のクラシック三冠を無敗で制した英雄・ディープインパクトである。
心の叫び
ここまでの戦果に
納得などできるはずもない
幾重もの無念と未練が
心の奥底では渦巻いている
この年の有馬記念は無敗の三冠馬ディープインパクトの勝ちっぷりだけが注目されており、誰も他の馬なんか見ていなかった。馬券オヤジすらディープは外せないと観念し始め、例年いつもよりライトなファンが多い有馬記念ではあるが、この年はライト層がディープ見たさに前売り入場券がないと入場出来ないのに大挙押し寄せるという情勢だったんだから、当時の狂騒っぷりがわかろうもんである。なんせ、入場人員162409人。この数字は2005年付近では突出した観客動員数である。ただ、ライト層が多かったため動員数の割に売上金は下がった。馬券買ってくださいよ!!というJRAの叫びが聞こえる。
そんな中、レースが始まると…なぜか前にいるハーツクライ。ルメール騎手は「ディープインパクトに道中10馬身差をつけていれば逃げ切りは可能」との結論を出し、これまでハーツクライのスタイルだった追い込みから先行策へとスイッチしたのだ。そんなことを知らぬ競馬ファンは不自然さにざわつく。
そしてそのまま4角を回ると、脚色が衰えぬままハーツクライが先頭に立つ。ディープも凄まじい末脚で迫るが、先行して3位タイの上がりでまとめられては、追い込み馬はどうしようもなかった……!
ハーツクライ、まさかの勝利。ルメール騎手もJRA重賞初勝利。GI、しかも有馬の大舞台での戴冠となった。ネットも競馬場もウインズも、ディープの過剰なプッシュに飽いていた層がホラ見ろあんなもん偽物だとドヤ顔するやら、競馬をあんまり知らない、いわゆるにわかファンが幻滅するやら、ディープに魅せられた層が愕然とするやら…なんかちょっと異様な空気になっていた。
しかし、この当時はまだ「奇襲で出し抜いただけ、ダイユウサクみたいなもんだろう」という評価もあった。前走世界レコードで走っている馬に対して失礼極まりないが、有馬記念でGⅠ初勝利の馬は有馬の一つで燃え尽き止まることも多いので、そういう見方もされる風潮もあるにはあった(ダイユウサク以外の例としてはリードホーユー、シルクジャスティス、ブラストワンピースあたりが該当するだろうか)。
当時のディープインパクトプッシュには異様な空気があり、ハーツクライの勝利の報道の仕方は何とも陣営と馬とハーツクライを応援していたファンに失礼なものだった。公共放送で「レースをやり直せ」などと発言した芸人までいた。彼がこれまでに2着を何度も繰り返したこと、初めての戦術で力が開花したこと、別馬のように馬体が成長していたこと、陣営の努力が実ったこと、前走の走りに「もしかして…」と感じ彼に賭けたハーツのファンは喜んでいたこと、そんなことは全て無視して何かの間違いかのように彼の勝利を称えもしない当時の競馬メディアに、怒りを覚えたファンは少なくないだろう。
故に、現役続行となった5歳は実力を示す大きな勲章が必要であった。そして彼はそれを示していく。そんな連中をまとめて黙らせる、魂の走りを世界の頂で見せることになる。
翌年、ドバイミーティングに同厩のユートピアらと出発。ユートピアが逃げ切りでゴドルフィンマイルを制し、モハメド殿下がお買い上げになる切っ掛けをつかむいい流れの中出走したドバイシーマクラシックで、なんと逃げ切り勝ちをやってみせた。しかもおいでおいでをやってノーステッキで四馬身突き放すという余裕たっぷりの勝ち方。
これには世界が度肝を抜かれた。メンツも決して欧州の二軍だけではなく、2004年・2006年のヨーロッパ年度代表馬ウィジャボードもいたのである。ハーツクライはたった二戦で、日本の年度代表馬と欧州の年度代表馬を打ち取ったのだ。
そしてこの勝利の後、既定路線通りならば凱旋門賞遠征となるディープに対抗したわけではなかろうが、イギリス夏の大一番キングジョージへの参戦を表明。ダンスインザダークで果たすことの出来なかった夢に向け、橋口調教師も気持ちを新たにしたのであった。
そして迎えたキングジョージ、シーマクラシック以来のハーツクライは二番人気だったが、一番人気の凱旋門賞馬・クールモアのハリケーンラン、三番人気のドバイワールドカップ馬・ゴドルフィンのエレクトロキューショニストまでほぼ差のない人気になっており、三強による決戦であるという見方がされていた。
レースは直線で最内を突かないと伸びないハリケーンランを封殺しつつ上がっていったエレクトロキューショニストと、外から切れ味鋭く伸びるハーツクライの叩き合いになる。サンデー産駒特有のキレで突き放しにかかり先頭に躍り出るハーツクライだが、エレクトロキューショニストも凄まじい根性を発揮し伸びる。
しかし、エレクトロキューショニストが根性を発揮すべく併せに行き、ぽっかり空いた最内を突いてハリケーンランが急追。モンジュー譲りのパワフルな末脚で一気に前の二頭を捉え勝利。ハーツクライは末脚の持続が短かったか僅かに遅れ3着に終わった。
寂しがって馬体を大きく減らし、満足な調整が出来なかったとは橋口師の弁。ユートピアのような僚馬をつれていくべきだったようである。
キングジョージの舞台であるアスコット競馬場は起伏が非常に激しく、高低差はなんと22m。日本で急坂と言われる中山の坂が高低差5mなので、その異常さが分かろうというものである。延々下って最後は延々登り坂、整備されたコースに慣れた日本馬がまともに走れる競馬場ではない。
それでもハーツクライは、ガレた馬体で最後の最後まで食らいついて見せた。三強から脱落することなく、1度は先頭に立って力を示した。ハーツクライの前にも後にも、キングジョージ以外でも、アスコット競馬場で走った日本馬は好走どころかハーツクライ以外、ただの一頭として勝負に加わることすら出来ていない。時間が経てば経つほど、彼の強さがいかに異常だったかを思い知らされる。
欧州でもこの熾烈な戦いはこの当時凋落傾向のあったキングジョージにおいて久々の激戦だったということもあり、非常に受けが良かった。しかしこのキングジョージの上位三頭は秋は父の二の舞かのごとく急激に衰えて引退、約一ヶ月後心臓麻痺で急死、喉鳴り発症で引退危機という、燃え尽きて消し炭も残らなかったかのような末路になってしまった。
ハーツは2004年死の日本ダービーに続いて、死のキングジョージにまで参戦してしまったようである。
そして秋はジャパンカップでこちらも遠征が失敗したディープと二度目の対決を目指すことになった。
しかし、レース前に橋口師がわざわざ公表していた上記通りの喉鳴り発症の影響か全くいいところなく10着。引退と社台スタリオンステーション(SS)での種牡馬入りとなった。
ようやくちゃんといろんな戦術を取って走れるようになったというのに、とてももったいない引退であった。
種牡馬としては血統がサンデーサイレンス×トニービンで母系がノーザンダンサー系とそっくりなアドマイヤベガの早世で空いたポジションにすんなり入れたのが功を奏したようで、毎年多くの種付け数を得てディープインパクト・ステイゴールドなどとともにポストサンデーサイレンスの筆頭格に位置している。
距離適性はやや長めでディープインパクトと比較すると2000m前後では劣るものの、2500m越えの長距離戦重賞成績はディープ産駒を凌駕している(但し、ディープ産駒が果たした菊花賞・天皇賞春制覇はいずれも果たしていない)。母父トニービンの影響が大きいのか、東京コースでの重賞勝率は非常に高い。
ダートは意外にも?血統の字面よりこなせる。母系がアメリカンだったり近親ダート馬なら地方の深い砂でもイケる口でディープよりよっぽど得意。なんならYoshidaが本場で芝・ダートGⅠ双方を勝つマルチタレントぶりを披露(なお、Yoshidaが勝利した際に「サンデーサイレンスの血統がアメリカに帰ってきた」と称され、種牡馬になってからも現地のファンからの熱い視線を受けている)。
ウインバリアシオン・ワンアンドオンリー・ヌーヴォレコルト、ドウデュースなどクラシック戦線で活躍した馬もいるが、重賞成績では古馬になってから成績が向上する傾向にある。またジャスタウェイ、リスグラシューに代表されるハーツクライの晩成型名馬は晩年にとんでもないパフォーマンスを発揮する。成長途上でもそれなりに走るが、完成されてからは圧巻の一言。負けながら強くなるので馬柱は汚くなるが、その分覚醒後の化け物っぷりは他の追随を許さない。現役時のハーツを彷彿とさせてくれる子供たちである。ジャスタウェイのドバイDF、リスグラシューの有馬記念は必見。近年だと2歳王者になったサリオスなど早い段階で成績を残す産駒も見られる。
当時の内国産馬の最高所持レーティングはジャスタウェイのドバイDFの130。リスグラシューの有馬は126だが、牝馬のアローワンスを考慮すれば実質130で国内GⅠ最高値。内国産馬レーティングトップの二頭はどちらもハーツクライ産駒ということになった[1]。最高到達点という意味では、ハーツクライはどんな種牡馬にも負けない高みを見せてくれた。
2020年にフラつきが出たため、翌2021年は種牡馬休養となり、6月22日にそのまま引退することが発表された。その後は引き続き社台SSにおいて功労馬として繋養されていたが、1年9か月後後の2023年3月9日、起立不能となり急死。22歳であった。
引退翌年の2022年には、ドウデュースがワンアンドオンリー以来に日本ダービーを制した。朝日杯フューチュリティステークス制覇からの弥生賞→皐月賞→日本ダービーという、近年珍しい平成の超王道ローテを令和の世でこなすニューヒーローである。
また、同年のジャパンダートダービーはノットゥルノが勝利。産駒初の国内ダートGⅠ・JpnⅠ勝利であり、しかも同種牡馬の産駒による同一年の芝・ダート両ダービー制覇という史上初の快挙であった。
そしてその翌年にはクールモアが日本に連れてきた*フラッフが産んだContinuousがセントレジャーステークスを勝つなど、残された産駒たちはまだまだ進化を続けている。ハーツクライの伝説は、未だ途上であるのかもしれない。
また、彼の血を繋げる後継種牡馬は、2023年度現在、ライバルであったディープインパクトの後継達と同様に混沌としている。ジャスタウェイは初年度でテオレーマ、18年度にダノンザキッドを出すも、その後2020年に社台SSから異動。2019年にスワーヴリチャード、2023年にサリオスが社台SSにスタッドインしており、社台SS以外ではシュヴァルグランがブリーダーズスタリオンにスタッドインしている。各種牡馬の産駒達がデビューする2023年世代以降に注目したい。
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
アイリッシュダンス 1990 鹿毛 FNo.6-a |
*トニービン 1983 鹿毛 |
*カンパラ | Kalamoun |
State Pension | |||
Severn Bridge | Hornbeam | ||
Priddy Fair | |||
*ビューパーダンス 1983 黒鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer | |
Goofed | |||
My Bupers | Bupers | ||
Princess Revoked |
アニメ「銀魂」などの脚本を務めている大和屋暁氏は大の競馬好きとして知られているが、実は大和屋氏はハーツクライの一口馬主でもある。
同氏は他にも「焼きたて!!ジャぱん」の脚本も担当していたが、原作の漫画には彼と同姓同名のキャラが登場しており、そのキャラもハーツクライについて言及している。
さらに、ハーツクライの活躍がよほどうれしかったらしく、同氏は後にとあるハーツクライ産駒の競走馬を所有する事となる。…その名もジャスタウェイ。銀魂に出てきた爆弾のような何かである。
名前はふざけているように見えるが、G1・3勝の名馬。伝統ある秋の天皇賞馬であり、ドバイデューティーフリーを制し、親子二代でのドバイG1勝利までも成し遂げる。そのドバイの勝ち方が尋常では無かったため、2014年ロンジンワールドベストレースホースランキング単独1位(日本競馬史上初)となった超名馬である。完成度高いってレベルじゃねぇなオイ。
ついでに天皇賞秋でジャスタウェイに敗れたのはディープ産駒の三冠牝馬ジェンティルドンナ。名前だけだとネタ馬に聞こえるが、父世代から引き継いだドラマすら再現したれっきとしたハーツクライの代表産駒である。
ちなみにジャスタウェイの一個下の世代でも銀魂由来の名前を持つオツウが好内容で新馬戦を勝ち上がり、重賞を3着するなどした。他には活躍はしなかったがパンデモニウムという馬もいた。
さらにさらに、 同氏がシリーズ構成・脚本を手がけるアニメ『イクシオン サーガ DT』は、一部のキャラを除いてはほとんど全てのキャラの名前がハーツクライ産駒から取られている。
(例:ギュスターヴ:ギュスターヴクライ、バリアシオン:ウインバリアシオン、レオン:ツルマルレオン、KT:ケイティーズハートorトーセンケイトゥー、マリアンデール:そのまま・なぜか男の娘キャラ、エカルラート姫:そのまま・スカーレット一族に連なる姫様血統)
アニメはネットゲームを原作としたファンタジーアニメですのでどなたでも楽しくご覧いただけます(棒)
ハーツクライはとにかく牝馬にモテたというエピソードが伝わっている。人間から見ても二重の綺麗な瞳に美しい流星、小顔で脚が長く均整の取れた馬体と文句なしのグッドルッキングホース(トニービン譲りのガニ股が玉に瑕)だが、どうやら馬の目から見てもイケメンらしい。人間の目から見たイケメンホースと実際にモテる馬は異なることもあるが、ハーツクライは見た目通りである。
輪乗りで牝馬の視線を独り占めしていたとか、すれ違った牝馬が振り返るとか、隣の馬房の牝馬が必死になってハーツの馬房を覗き込もうとしていたとか、種付け相手の牝馬がすぐに目を潤ませるとか、その手の話が色々と伝わっている。主戦騎手のルメールもハーツクライのことを「ハンサム」と称していた。
種付けもとにかく上手で、どんな暴れ牝馬でも歩きながら種付けをして無事受胎させるなど、とんだテクニシャンであったらしい。気性が物凄く荒く根っからの王様気質のため、暴れる牝馬相手でも一切物怖じしないのが功を奏していたのかもしれない。
競走成績も種牡馬成績もトップクラスでエッチが上手な牝馬にモテモテのスタイル抜群のイケメンってどんだけ勝ち組なんだよハーツクライェ…。
更に余談だが、功労馬となったハーツクライは、かつてノーザンテーストが余生を過ごした放牧地と馬房が直結した専用厩舎へと移り、実質放し飼い状態で悠々自適の余生を送った。ここまでの超高待遇はノーザンテースト以来であり、今まで種牡馬として結果を残し続けたハーツクライへの、社台グループの評価と敬意の表れといえよう。
ディープインパクトやキングカメハメハは種牡馬として結果を残したが、余生を送ることなくこの世を去ってしまった。社台に繁養されても、結果を残せず追放された種牡馬も多くいた。そんな中で、最後まで結果を残し続けて無事に引退し、どこも悪いところなく、最高の環境で約2年の余生を自由気ままに過ごしていたハーツクライ。彼こそ、真の意味での勝ち組なのかもしれない…。
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最終更新:2025/01/25(土) 15:00
最終更新:2025/01/25(土) 15:00
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