ウィッシングウェル(Wishing Well)は、1975年生まれのアメリカの競走馬・繁殖牝馬である。
歴史に名を残すスーパーホースとして名高い*サンデーサイレンスを産んだ繁殖牝馬として知られる。血統を考えれば自身の重賞2勝も突然変異的と言えたが、繁殖生活でさらなる偉業を達成した。
生産者は米国カリフォルニア州に拠点をもつジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニアである。
馬名のWishing Wellは、wellを「熱心に」と解釈して「熱心に願う」という意味に受け取ることができる。しかし、wellを「井戸」と解釈して「願いを叶える井戸」という意味に受け取るのが最も有力である。
ヨーロッパの各地には「硬貨を投げ込むと願いが叶う井戸や泉」というのが各地に存在する。その中で有名なものはイタリア・ローマのトレヴィの泉である。
ディズニー映画の『白雪姫』の冒頭にも「願いが叶う井戸」が登場する。そのときに歌われる曲が『I'm Wishing』で、その歌詞の中にWishing Wellという言葉が入っている(歌詞)。
ちなみに日本の東京ディズニーランドにも「白雪姫の願いの井戸」が存在し、観光客が硬貨を投げ込んでいる。
父Understanding[1]、母Mountain Flower[2]、母父Montparnasse[3]という、現代から見るともはや何が何だか分からんような血統である。詳しく見ていこう。
まず父アンダースタンディングはステークス競走1勝を含む87戦7勝2着16回3着12回の成績を残した馬であり、本馬以外に活躍した産駒は皆無である。その父Promised Landは77戦21勝、祖父Palestinianは45戦14勝という成績であり、頑丈さが受け継がれた血統である。
一方、母マウンテンフラワーは7戦未勝利である。未勝利馬から活躍馬が出るケースは枚挙に暇がないが、ウィッシングウェルの牝系は常軌を逸していて、牝系を遡っても未勝利馬ばかりである。
ウィッシングウェルの2代母Edelweissは不出走馬、3代母Dowager[4]は2戦未勝利と言われ[5]、4代母Marcellinaは不出走馬である。
ウィッシングウェルから見た高祖母まで4代続けて勝ち星らしい勝ち星をマークした馬がいない。一応もっと遡っていくと、5代母にBelle Mere(モールコームS、レスターシャーオークス)という重賞級のレースを勝った馬が見つかり、6代母のCinna(1000ギニーステークス、コロネーションS)や8代母のLa Fleche(イギリス牝馬三冠、ゴールドカップ、チャンピオンSなど)という活躍馬が出てくるが、裏を返せばそこまで遡らないと活躍馬が出てこないほど牝系は貧弱であった。
ウィッシングウェル、その母Mountain Flower、2代母Edelweiss、3代母Dowagerはいずれもカリフォルニア州にエル・ペコ・ランチという牧場を持っていたジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニアというオーナーブリーダーによって所有されていた。カリフォルニア州という「馬産の僻地」で[6]、馬産家の好意によって細々とつながれてきた牝系だった。
ウィッシングウェルの母父モンパルナスはアルゼンチン生産で、競走馬・種牡馬としてはいずれもブラジルに拠点を置き[7]、競走成績は18戦5勝である。モンパルナスの父Gulf Streamは英ダービー2着、エクリプスS勝利などの実績を挙げた後に種牡馬としてアルゼンチンに輸出され、リーディングサイアーを3回獲得した。
ウィッシングウェルの母母父のHilaryはジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニア自慢の種牡馬で、同氏が所有する牝馬のほとんどに交配されるほどだった。1964年ケンタッキーダービー2着馬のHill Riseを出すなど種牡馬としてなかなか優秀だった。
このような血統背景を持つウィッシングウェルは、ともすれば本節の見出しのように「頑健さ」と「活躍馬皆無」という点でまとめられてしまいがちであり、実際まとめるとすればそれ以外の表現は難しい。ただし、本ニコニコ大百科におけるジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニアの項目を見ればわかるように、彼は「馬産の僻地」カリフォルニアからアメリカ競馬史に名を残すような馬を複数頭輩出しており、これほどの馬産家が何らの目的意識もなしに「何の取り柄もない配合」を行ったのか否かについては、今後の研究が深まることを期待したい。
ウィッシングウェルは母や2代母と同じく、生産者ジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニアが自ら所有し、初めはC.B.ヒクソン調教師に預けられた。
3歳5月にデビューしたが、当初は差をつけられての負けが続き、3戦目に6ハロンのメイドン(未勝利戦)を勝った段階で既に生産所有者のポープ氏は見切りをつけつつあった。そこでクレーミング競走(出走馬が売りに出ているレース)に出されたが3着に敗れた上に買い手もつかず、結局その後は年末までに一般競走を3戦して1勝した。
4歳時は引き続き一般競走を使われたが離れた2着が2回続き、3戦目で大差のシンガリ負けを喫するとポープ氏は今度こそ見切りをつけ、クレーミング競走に本馬を出走させた。最初にハナ差2着となった後、二度目の出走で9馬身差で圧勝すると買い手がつき、3万2000ドルで購買されてゲイリー・ジョーンズ厩舎に移った。ジョーンズ師は本馬のことを「キチガイじゃないかと思った」(大意)と言っており、後に息子に受け継がれる気性の一端が既に表れていたようである。
閑話休題、購買されたクレーミング競走から20日後の転厩初戦では、前年に愛1000ギニーを勝ってこの年からアメリカに移籍していたMore Soを破って勝利した。続くコンヴィニエンスSを勝ってステークス競走初勝利を記録すると次走の一般競走も勝利し、パロマーHというステークス競走で3着に入ったのを挟んでラモナH(GIII・芝9ハロン)に出走したが、前走ヴァニティH(GI)で2着だったCountry Queenの7着に終わった。オータムデイズHというステークス競走でGreat Lady M.(Lady's Secretの母、ビリーヴらの牝系祖先)を破って勝ったのを挟んで出走したラスパルマスH(GIII・ダート9ハロン)ではHigh Pheasantの4着、次走イエローリボン招待S(GI・芝10ハロン)もCountry Queenの7着に終わった。なお、ウィッシングウェルが現役時代に出走したGIはこのイエローリボン招待Sのみである。
その後、ラスフローレスHというステークス競走で重賞4勝を挙げていた3歳牝馬Terlinguaの4着となり、シーズンを終えた。なおTerlinguaは後に母としてStorm Catを産む馬であり、また6着だったImage of Realityは後にGI1勝を挙げ*エンパイアメーカーなど4頭のGI馬を産んだ名牝Toussaudを産む馬である。
5歳時は初戦から5着→3着とした後、3戦目の一般競走を勝ち、続くラスシエネガスHではGreat Lady M.のハナ差2着となった。続けてコンヴィニエンスSを勝ったのちゲイムリーH(GII・芝9ハロン)に向かうと、Country QueenやImage of Reality、そしてこの1年半後に第1回ジャパンカップを優勝することになるMairzy Doatesといったメンバーを破り、重賞初勝利を挙げた。
続くホーソーンHでCountry Queenの3着となった後、ウィルシャーH(GIII・芝8.5ハロン)ではゲイムリーHで4着に破ったSisterhoodをクビ差の2着に破って勝利した。このレースでは第1回ジャパンカップで1番人気に推されることとなるThe Very Oneも出走していたが8着に敗れている。
しかし、その後はビヴァリーヒルズH(GIII・芝9ハロン)でCountry Queenのハナ差2着に敗れ、パロマーHでもA Thousand Starsのハナ差2着だった。
なお余談だが、ここまでちらほら名前が出てきたCountry Queenという馬はビヴァリーヒルズHまで出走したレース9戦連続[8]で本馬と当たっており、1戦挟んで10回目の対戦となった1980年のパロマーHで4着となったのを最後に引退している(対戦成績はウィッシングウェルが6勝4敗)。
閑話休題、この年はこの後GIIに昇格したラモナHで前年の愛オークス3着だった移籍馬Queen to Conquerの3着と敗れシーズンを終えた。6歳時も現役を続行したが一般競走で1勝したのみで、Queen to Conquerや欧州時代にムーラン・ド・ロンシャン賞(仏GI)を勝ったKilijaroといった芝実績のある移籍馬と何度か当たったという不運もありその他のレースでは勝ちきれず、ラモナHでQueen to Conquerに敗れたのを最後に引退した。通算38戦12勝、重賞勝ちはGIIとGIIIが1勝ずつであった。
引退後、石油業者の傍ら馬産にも関わっていたトム・テイサムという人物に購入され、メリーランド州にあるウインドフィールズファームで繁殖入りした。しかし、初仔が産まれてすぐに落雷で死亡したり、流産や不受胎があったりして、しばらく産駒がデビューに漕ぎ着けられない状況が続いた。
10歳になった1985年、テイサムは本馬をHaloと交配することを考え、同馬が繋養されていたケンタッキー州のストーンファームに向かい、首尾よく交配することが出来た。そして翌年3月25日に産まれた青鹿毛の牡馬はウィッシングウェルの仔として初めてデビューに漕ぎ着けたばかりでなく、二重三重のハンデを乗り越えケンタッキーダービー、プリークネスS、BCクラシック勝利を含む通算14戦9勝2着5回・GI6勝の成績を残した。そう、*サンデーサイレンスである。これ以上の詳細は当該記事を参照していただきたい。
話をWishing Wellに戻すと、*サンデーサイレンスの後にRebel Allianceという牡馬を産んだが、同馬は32戦3勝でステークス競走も勝てず、1995年に7歳で死亡した。その後産んだ*サンデーズシスは13戦1勝、*ペニーアップは不出走であった。
日本に輸入された*サンデーサイレンスの初年度産駒が走り始めると、それらが2歳時点で非凡な活躍を示していたことから、1992年に本馬が産んだ*サンデーサイレンスの全妹Thisis Mylifestyleが日本に輸入され、*マイライフスタイルという馬名で走ったが、同馬は5戦1勝に終わった。
その後クールモアグループに購入され、アイルランドで*サンデーウィッシュを産んだが同馬は不出走に終わり、*サンデーウィッシュを産んだ3年後の1999年、腸捻転のため死亡した。
直仔は*サンデーサイレンス以外に目立った実績を残せず、牝系子孫でも重賞級は*ペニーアップの孫であるトーセンクラウン(中山記念)とサンデームーティエ(ダイヤモンドS2着)くらいしか目立たないものの、日本競馬界に強い新風を吹き込んだ*サンデーサイレンスの母である本馬の牝系は地道ながらも大きな広がりを見せ、国内に確実に根付いている。
*サンデーサイレンスの母であるゆえ、日本では配合相手が大きく限られるというハンデはあるが、同馬の死から約20年が経った今は*サンデーサイレンスから何代も重ねた種牡馬が徐々に増えつつあり、また*サンデーサイレンスの薄め液となるような種牡馬も多く導入されている。ウィッシングウェルの牝系子孫が爆発的な活躍を見せる日も、もしかしたらそう遠くはないのかもしれない。
Understanding 1963 栗毛 |
Promised Land 1954 芦毛 |
Palestinian | Sun Again |
Dolly Whisk | |||
Mahmoudess | Mahmoud | ||
Forever Yours | |||
Pretty Ways 1953 黒鹿毛 |
Stymie | Equestrian | |
Stop Watch | |||
Pretty Jo | Bull Lea | ||
Fib | |||
Mountain Flower 1964 鹿毛 FNo.3-e |
Montparnasse 1956 黒鹿毛 |
Gulf Stream | Hyperion |
Tide-Way | |||
Mignon | Fox Cub | ||
Mi Condesa | |||
Edelweiss 1959 鹿毛 |
Hillary | Khaled | |
Snow Bunny | |||
Dowager | Free France | ||
Marcellina | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
3 ななしのよっしん
2022/11/09(水) 11:04:44 ID: M9Z357cUmX
>>2
もうちょっとわかりやすい例は出せるな
遡れば下総御料牧場の基礎輸入牝馬だが、近年は主だった活躍馬のない斜陽血統で、自身の競争成績でも重賞勝ちは無し
生まれは日高の中小牧場
その名はポイントフラッグ
父はGI 1勝の二流馬で、社台には戻れずに日高で種牡馬となったステイゴールド
母父は種牡馬としては失敗だったメジロマックイーン
(ステマ配合好きなので、書いててすんげぇイラッとしたが嘘は言っていない)
はっきり言って、ここからGI 6勝の二冠馬、世紀の名(迷)馬ゴールドシップが生まれるんだから、競馬の世界は摩訶不思議である
4 ななしのよっしん
2023/02/04(土) 18:47:58 ID: s1DwSLJqGv
貨幣を投げ込むwishingwell(願いの井戸)というとゲームブック世代におなじみやね…
恩恵イベントなりトラップなり仕掛けとしての登場例は定番中の定番
井戸自体を舞台にした同名のシナリオ(ゲーム)もある
西洋では賽銭箱と同様にありふれた存在らしい
5 ななしのよっしん
2023/02/13(月) 11:15:59 ID: zEc6iLxN9+
ウィッシングウェルの血統に注目した連載がnoteで始まってる
https://
より正確には、ジョージ・アンドリュー・ポープ・ジュニアに注目した記事なんだけど、ニコ百に彼の記事を作成した人、何者?
(この人の編集履歴を見ても競馬関係の記事が極端に少ない)
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/10(金) 21:00
最終更新:2025/01/10(金) 20:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。