キーストンとは、1962年生まれのお金で買えない価値がある日本の競走馬である。
人間と馬の絆を我々に教えてくれた馬である。
※Keystone(キーストン)という競走馬は1906年英オークス馬など世界中に多く存在するが、この記事では日本の競走馬について記述する。また、この記事では当競走馬の活躍した時期に合わせて年齢を数え年表記(現表記+1歳)とする。
主な勝ち鞍
1964年:京都3歳ステークス
1965年:東京優駿(八大競走)、弥生賞、京都盃
1966年:金杯(西)
父は現役時代は愛2000ギニーなど9戦6勝で種牡馬として日本に輸入され多くのクラシックホースを輩出した*ソロナウェー、母は英国産の*リットルミッジ、母の父は凱旋門賞馬ミゴリというかなりの良血である。
だがその割にキーストンは小柄で貧弱な馬だった。走るときは常に全力だったが動きはぎこちなく、性格もおとなしかったため、まったく目立たない存在で、牧場での評価はデビューできれば上出来というものあった。
明け3歳になると徐々に走る姿が様になってきたため、京都の松田由太郎厩舎に入厩。ニューヨーク‐ペンシルバニア間を結ぶ特急列車にちなんでキーストンという名前を与えられた。
このころになってもまだ地味な存在で、生涯のパートナーとなる山本正司騎手曰く、「何の特徴もなく、大きな期待を抱かせる馬ではなかった」という。
大して期待されていなかったキーストンだったが、調教をこなすにつれて天性のスピードをぐんぐん開花させ、7月にいきなり函館のオープンでデビューした。
キーストンは、不良馬場で10馬身も後続を引き離して圧勝。ド派手すぎるデビューを飾った。
結局3歳で5戦して全勝、レコード勝ち3回、2着に着けた差は合計30馬身半というとんでもない成績を残した。一体どこが地味なのだろうか。
デビューできれば上出来だったあのキーストンはどこへ行ったのか、最優秀3歳牡馬のタイトルを受賞、鞍上山本騎手も「最初はよくわからない馬だったが、時とともにいいところが出てきた」と語った。
この頃には地味どころか、小柄ながら圧倒的スピードを武器にした逃げを打つスタイルで多くのファンを獲得していたキーストンは、言うまでもなくクラシックの最有力候補であった。
距離の不安もささやかれていたが、そんな批判はどこ吹く風で4歳初戦の弥生賞を3馬身差で圧勝。相棒・山本騎手に重賞初勝利をプレゼントした。
続くスプリングステークスでは単勝支持率65.9%の圧倒的一番人気に推されたが、このレースでキーストンは後のライバルとなるダイコーターの前に人生初の敗北を喫してしまった。
この敗北が響いてさらに距離の伸びる皐月賞は無理だと距離不安説が再浮上。皐月賞ではダイコーターの前に1番人気を譲ることとなった。
レースは20頭中19番と逃げ馬としては致命的な大外だったこと、概ね440キロとただでさえ小柄な馬体がマイナス14kgとガレていたことから精彩を欠き、逃げを打ったものの直線で失速。伏兵チトセオーの前に14着という大敗に終わった。
山本騎手は落ち込むあまり騎手をやめて田舎へ帰ることまで考えたという。山本騎手の騎乗にも問題があったため、キーストンの馬主は山本騎手をキーストンから降ろすことを指示した。
だが、松田調教師や山本騎手の師匠である大御所武田文吾の必死の説得でこれは阻止された。山本騎手は騎乗機会の少なさを不服として武田厩舎から松田厩舎に移籍した過去があったにもかかわらず、自分のために動いてくれた元師匠に非常に申し訳ないと思ったという。
かくして離れ離れにならずに済んだキーストンと山本騎手はダービーの前にオープンを叩いて完勝。万全の状態でダービーへと向かった。
一方ライバルダイコーター陣営にも大きな動きがあった。ダービーを前にして馬主が変更になったのだ。
ダイコーターの最初の馬主は前年シンザンで三冠を獲得していた橋元氏であったが、「ホウシュウ」の冠名で知られる九州の炭鉱王・上田清次郎氏はどうしてもダービー馬のオーナーになりたいがために、金銭でダイコーターを橋元氏から買い取った。
当時ダービーの優勝賞金は1000万円であったが、上田氏がダイコーターにつけた値段はなんと2500万円。現在のダービーの優勝賞金が2億円であるので、ここから今の金額に直すと5億円になる計算である。上田氏のダービーへかける執念が見て取れる。
だが、本番のダービーは逃げを打ったキーストンをダイコーターはとらえきれず、1馬身4分の3離された2着に終わる。キーストンと山本騎手は晴れてダービーの栄誉を手に入れたが、ダイコーターは「ダービー馬は金では買えぬ」という格言を身を持って証明する形になってしまった。
その後休養に入ったキーストンは9月から復帰し、オープン2戦と京都杯を難なく勝利。2冠目を狙うべく菊花賞に臨んだが、ダイコーターの前にここは敗れ去った。
その後キーストンはオープンを制したが、不調との判断から有馬記念は欠場。年明けの京都金杯から始動し、これを圧勝。続く大阪杯は7着となったが、続くオープンは制覇。
続く天皇賞は5着に敗れ、休養に入ったものの休養先で足を負傷。そのまま5歳のシーズンを終えた。
復帰は6歳の夏まで遅れた。7月のオープンで2着とし、その後オープンを4連勝。年末の有馬記念を花道に引退が決定したが、遠征の負担を考慮して阪神大賞典に変更した。この配慮が思わぬ事件を生むのだから、世の中とはわからない。
1967年12月17日、冷たい風が吹く曇天の阪神競馬場にて、5頭立てで阪神大賞典は行われた。
例にもよって快足を飛ばして先頭に立ったキーストンが、そのまま第4コーナーを回って最後の直線に差し掛かった時、事件は起こった。
後続が迫り、必死に逃げるキーストンだったが、ラスト300メートルといったところ突然前のめりに崩れ落ちたのだ。左前脚の完全脱臼であった。重度の脱臼は重度の骨折と同様、競走馬にとって致命傷となる故障である。
転倒の拍子に山本騎手は落馬。脳震盪で立ち上がれない山本騎手のもとに、折れた左前脚を浮かせて三本足のキーストンが歩いてきた。足は完全に折れていて、誰が見ても予後不良なのは明らかだった。
これほどの故障をしたら、普通の馬なら痛みで起き上がれない。それどころか激痛にもがき苦しみ、最後は衰弱死してしまうほど馬にとっては致命的な怪我であった。だが、キーストンは歩いて行って山本騎手を気遣うように顔を寄せた。一部始終をアナウンサーは涙声になりながら実況していた。
山本騎手はひたすらキーストンに泣きながら謝っていたという。そして山本騎手は職員に手綱を託し、その後しばらくの記憶はないそうである。
キーストンは予後不良となり、馬運車に運び込まれて安楽死となった。普通の馬なら5分で死ぬところを、キーストンは強靭な心臓ゆえか15分もかかったという。しかし山本騎手はその死の場面には立ち会えず、目が覚めた時には既にキーストンは薬殺されていた。
このキーストンの行動は人と馬の間にも深い絆は生まれるというエピソードとしてあまりに有名である。
「キーストンは馬の本能で騎手に助けを求めに行っただけだ」と言う人もいるが、果たして本当にそうだろうか。仮にそうだとしても、文字通り死ぬほどの激痛に蝕まれながらも、生物としての生存本能よりも人間に手綱を握られた馬としての本能が勝った、という感動的な一幕が実際に起きたということには違いないのではないだろうか。
キーストンの故障・死は、当時モラルの低かったとされる競馬ファンすら会場で押し黙ったと言われるほど、計り知れない衝撃を与えた。この事件を題材に寺山修二は『夕陽よ、急ぐな』というエッセイを発表。歌手の諸口あきらは『キーストン・ブルース』という歌を発表するなど、多方面に波紋を呼んだ。
山本騎手は1973年に37歳の若さで騎手を引退し、調教師に転身。桜花賞馬オヤマテスコ、安田記念馬ハッピープログレス、天皇賞馬ヘヴンリーロマンスをはじめとして数多くの競走馬を育て上げたが、キーストンにしか思い出がないと語る。また、キーストンが生きていればその産駒に乗ることを楽しみに、もっと現役を続けたとも言う。
ライバル・ダイコーターは古馬になってからは精彩を欠き、晩年には障害競走に活路を求めた。しかし、種牡馬としては多くの重賞馬を輩出し、当時の内国産種牡馬としては出色の好成績を残した。
キーストンがもし生きていれば、あるいは山本騎手はもっと活躍していたかもしれない。あるいはダイコーターと種牡馬としても張り合ったかもしれない。あまりに惜しい馬であった。
*ソロナウェー Solonaway 1946 鹿毛 |
Solferino 1940 鹿毛 |
Fairway | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Sol Speranza | Ballyferis | ||
Sunbridge | |||
Anyway 1935 鹿毛 |
Grand Glacier | Grand Parade | |
Glaspia | |||
The Widow Murphy | Pomme-de-Terre | ||
Waterwitch | |||
*リットルミッジ Little Midge 1957 鹿毛 FNo.11-f |
Migoli 1944 芦毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Mah Iran | Bahram | ||
Mah Mahal | |||
Valerie 1939 鹿毛 |
Sir Cosmo | The Boss | |
Ayn Hali | |||
Dereham | Friar Marcus | ||
Lysandra | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Polymelus 5×5(6.25%)、Orby 5×5(6.25%)
Keystone(JPN)(1962)←Solonaway(1946)←Solferino(1940)←Fairway(1925)←Phalaris(1913)←
Polymelus(1902)←Cyllene(1895)←Bona Vista(1889)←Bend Or(1877)←Doncaster(1870)←
Stockwell(1849)←The Baron(1842)←Birdcatcher(1833)←Sir Hercules(1826)←
Whalebone(1807)←Waxy(1790)←Potoooooooo(1773)←
Eclipse(1764)←Marske(1750)←Squirt(1732)←Bartlet's Childers(1716)←
Darley Arabian(1679)
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最終更新:2024/12/23(月) 19:00
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