回答(5件)

自由組手という発想は山口剛玄が始めた事だから 沖縄というよりも立命館大学が発祥なんじゃないか?

この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう

古流剣術の稽古は木刀ならスンドメです。 先生が弟子を当てまくっていたら、弟子が皆、死んでしまう。 空手も同じでしょう。 上手が下級者に、稽古で怪我をさせる・・・日本武道ではありえない。 日本武道は八百万の神を相手にしますから。 神に対し恥ずべきことです。 50年前の剛柔流は、日常稽古で顔以外は当ててましたよ。金的は蹴られる方が悪い。 勿論、完全に打ち抜くような馬鹿は、先生に追い出されたでしょう。 鍛錬組手と称して、相手の腕を腹を殴る・・・ふさわしい体を作るため。 内小手外小手の骨を鍛える。 サンチンで先生が弟子の体をバチンバチン。これは他の意図もあったようです。 糸東でもやってました。 痛いのですよ。腹の底から・・ 上地流は今でも似たような稽古をされているようです。 自由組手もやってました。5cm位入れる、とか言ってましたが。 顔はスンドメですよ。もちろん。 金的も容赦なく蹴ってました。だからみな猫足立ちを崩さない。 当時は、スンドメの試合もやってました。 タダ、ベテランは試合なんか馬鹿にしてました。あんなもの闘いではない。 稽古は型・分解がメインでした。 50年前の私のやっていた空手の先生は、沖縄で沖縄の師に学んだ人です。 糸洲先生、東恩納先生、安里先生・・・複数の先生に師事された方です。 私の先生の空手は、沖縄の空手です。 従って、私も沖縄の空手を学んだ。文字どうり沖縄空手です。 しかし、50年もたてば、随分と変わりました。もはや、沖縄空手ではない、とも言うことは可能です。 貴殿のおっしゃるフルコンカラテとは? 極真・その亜流の試合ルールでしょうか? ならば、顔はスンドメどころか、禁止です。 人の素手の戦いで、顔パンチ禁止の格闘は存在するのでしょうか? 私が決闘するなら、顏を無視した戦いなどあり得ない。 フルコンとは極真会の隆盛に伴った新語・造語です。 マーケッティングですよ。矛盾です

いいえ 沖縄空手は現在も試合自体しません 体と精神を鍛えるのが目的です 寸止めやフルコンはスポーツ空手です

江戸時代以前から、琉球王国(現在の沖縄県)と交易のあった福建省近辺の中国武術(現代の「南拳」の原型)が琉球王国に流入し、独自に改変されたのが空手道の原型となる唐手術であるというのが定説です。 空手道は昭和が始まる頃に武道の一種として組み入れられましたが、唐手が勃興した江戸時代には武道というジャンルはまだ無く、闘技=実戦武術でした。 あらゆる武術は原則的には武器術であり、中国武術も例外ではありません。 素手の闘技は武器を失った際に、武器をゲットするまでの緊急避難的なつなぎの技術に過ぎず、武術のメインではありません。 中国武術をコピペしたのが唐手術ですから、当初の唐手術も武器術がメインだったはずです。 琉球王国は1606年の江戸時代が始まってすぐの頃に日本の薩摩藩から侵攻を受け、数年後には占領統治されました。 しかし、薩摩藩は琉球王国に表面上の自治権を与えて中国への朝貢を続けさせることで、その利益を幕府に内緒で掠め取っていました。 薩摩藩の命令によって、属国である琉球王国の国民は刀のような武器の携行を禁じられていましたが、庶民は薩摩から来た荒くれサムライから身を守らなければならないため、護身術として琉球古武術に残る舟のオール、銛、鎌、棒、などの日常生活に使う道具を武器化して戦う術が発達しました。 現代の空手のような素手の闘技でサムライの刀に対抗できるわけがありませんので、それは自然な流れでした。 ここからは「オレ説」による推察ですが、おそらく琉球の庶民は、支配階級だったサムライにバレないように、こっそりと擬態しながら武器術を訓練していたはずです。 ブラジルのカポエラは、奴隷たちがダンスに擬態して格闘技を継承していましたが、それと同じようなニュアンスです。 その方法として、素手で武器術の体術の形の練習を行っていたのが唐手の原型だったのではないかと推察します。 唐手術の原型だった中国武術も、武器を持った場合と素手の場合とで、ほぼ同じ体術で流用が可能な点が特徴となっていることも、その説を補強する材料になると思います。 要は武器術の体術をマスターするために、武器を用いずまったく異なる素手の闘技ないし体操のように見せかけたものが唐手術だったという説です。 武器さえ持たなければ御目こぼしされてもおかしくはないですから。 もしそれが正しければ、カラテの稽古はすべて形稽古、ないし、寸止めの約束組手だったはずです。武器を使って直接打撃の組手は出来ませんので。 以上の理由から,素手同士で戦うことだけを前提としたフルコン空手は、「実戦=刀と戦うこと」が常識だった時代には想定の範囲外だったはずです。 そんな役に立たない闘技の習得に、限りある時間と体力を費やすくらいなら、武器の技量を磨くことが喫緊の課題でしょうから。

画像