第二次世界大戦において日本をはじめとする多くの国で主に男性が徴兵されて戦争に従事した背景には、当時の社会構造や価値観(女性に「家庭を守る役割」を求める、あるいは女性に参政権すら十分に与えられていなかったなど)が大きく関わっていました。現在はそうした社会的性別役割の固定観念が変化し、実際に各国の軍隊で女性も志願して戦闘任務に就いている例は増えています。しかし、「次の大戦は女性が戦うべきだ」と単純に置き換えることが“男女平等”の実現になるわけではありません。
1. 「平等」とは何か
• 平等は“同じことをする”ではなく、“選択肢と機会が公平に与えられる”ことだと一般には解釈されます。
• したがって、戦争に参加する・しないも含め、誰もがその役割や行動を自由に選べる社会が理想といえます。男女ともに徴兵制がある国も存在しますが、そうした制度があれば当然“義務”として果たす必要はあるでしょう。しかし「全員が兵士にならなければいけない」となることが、必ずしも平等とはいえません。
2. 戦争の是非と“誰が戦うか”の問題
• 戦争は根本的に破壊的で悲惨なものであり、できるだけ回避すべきです。そうした行為において「男性がやるべき、女性がやるべき」という議論は、戦争を発生させない努力よりも優先度は低いのではないかと思います。
• もしも戦争が避けられない状況になれば、性別に関わらず必要とされる役割を果たす人が担い、個々の適性や専門性を活かすことが大切になります。近年ではドローンやサイバー戦のような形態もあり、身体的な差が必ずしも中心とは限りません。
3. 戦争以外での「義務」と「役割」
• 「第二次大戦は男が戦ったから次は女が」というのは、極端に言えば「過去に男性ばかりが負担した義務を、次回は女性に転嫁する」という発想にも見えます。
• 社会を維持・発展させるうえでは、戦争以外にも多くの義務や役割があります。納税や地域コミュニティへの貢献、家庭や労働の場など様々です。性別で分担を割り振るよりも、適性や意思、状況に応じて柔軟に担う方が“平等”に近いはずです。
まとめ
「男女平等」を戦争の文脈で語るのであれば、“女性にも兵士になる自由と権利があること”は大切ですが、一方で「次の大戦は女性が戦うべき」というような一律の押し付けは、本来の平等の考え方とは異なる部分があります。むしろ、戦争という悲惨な事態が起こらないように努めること自体が、性別を問わず最も望ましい方向性ではないでしょうか。