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私はあんなものではないかと思っている。 大谷は去年もポストシーズンでは打てなかった。ポストシーズンではゲーム運びがレギュラーシーズンとは異なる。大谷のヒッティングはレギュラーシーズンに特化していてポストシーズンでは役に立たない。 ヤマ張り一発狙いのことだよ。 昨日の第3戦は5打数ノーヒット1三振だったが、BBEになった4打席でバットスピードが75mph以上のファストスイングが2回しかなかった。残り2回は当てに行っていた。 https://baseballsavant.mlb.com/gamefeed?date=10/9/2025&gamePk=813041&chartType=pitch&legendType=pitchName&playerType=pitcher&inning=&count=&pitchHand=&batSide=&descFilter=&ptFilter=&resultFilter=&hf=exitVelocity&sportId=1&liveAb=#813041 今の大谷は相当悩んでいるのではないかと思う。 MLBのゲーム運びはレギュラーシーズンとポストシーズンでは相当に変わる。 レギュラーシーズンでは162ゲームのトータルで勝率の最大化を目指すので、ローテーションピッチャーはイニングを稼ぐことが優先で6イニングを目指し力の配分をしたピッチングの組み立てをする。投球数を節約するため初球もストライクで入ってくる。 初回に5失点ぐらいでも交代しないことが多い。そのゲームを捨てゲームにしてでもイニングを稼いでもらう継投をする。ブルペンを温存して勝てるゲームに使った方がシーズントータルでの勝率を高めることができるからだ。 大谷のヒッティングは球種へヤマを張ってフルスイングなわけだが、長いレギュラーシーズンでは700打席以上の母数を前提にヤマが当たってHRを十分に期待できる。配球も単純で読みやすい。バットスピードを保ってスイングすればHRの数も相当に稼ぐことができる。 ポストシーズンになるとピッチングはがらりと変わる。 ローテーションピッチャーは最初から飛ばしてくる。速度はレギュラーシーズンより上がる。配球もボール球が増えてくる。イニングを稼ぐ必要がないからだ。 打順で3巡目になる前に交代することも多い。3打席目以降でスタッツが上がるピッチャーなどほとんどいないことは統計的にわかっている。 ブルペンも良いピッチャーを先に使ってくる。カブスなどは典型だ。クローザーのパレンシアが5回や6回で登場し、セーブシチュエーションを作るためのセットアップロールを担う。 大谷のヤマ張りはポストシーズンでは役に立たないのだろう。 レギュラーシーズンでは1打席の間で狙いを変えることは少ないが、最近は1球ごとに狙いを変える打席も目立つ。結果が伴わず凡退を繰り返し迷いを生じていると思う。それがバットスピードに表れているというわけだ。
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野球ってどんなに凄い選手でも三割しか打てないスポーツです。 なのでどんな選手でも短期間だけで見たら打ててない時期はあります。 たまたま打ててない時期が今来てるってだけです
ピッチャーが優秀だからね。普段から優れたピッチャー相手からは打てないことが多いから自然だよ。特に彼の場合はこれが顕著だね。普段のホームランも相手の失投や甘い球ばかりだから。見逃さないってのが彼の長所だけど、優れたピッチャーは失投をしないから打てないって感じだね。一言でいうと弱いチーム相手にホームランを打ってきたのが彼だよ。これは間違いないね。
リアルニ刀流では、打てなくなることがシーズン中でも多かったです 投球に集中していることや疲労などが言われてます ニ刀流やってると、練習時間が足りなくて、打撃に割く時間は殆ど有りません 調整もできないままになりますから、一度打撃が狂ってしまうとなかなか元に戻らないようです 5月には打撃の調子が上がらないので、投球練習を中止して、打撃に専念してます。 結果、5月は、打率3割15本塁打を打ち、月間MVP しかし、6月に投球練習を再開すると、打率.274、7本塁打で、明らかに打撃成績が落ちました。
ロバーツ監督の記者会見 ――大谷翔平選手がシリーズを通して苦しんでいます。原因は? 左投手との対戦が多いのもあるが、それ以上に打席での判断がよくない。インサイドやボールゾーンの球に手を出しており、甘い球を仕留めるチャンスを逃している。少しタイミングが合っていない。スイングの判断を修正する必要があります。
短期決戦ではよくあることです。たまたま調子が悪かっただけでしょうね。元ダイエーの松中信彦さんも2004年のプレーオフ(今のクライマックスシリーズの前身、当時アドバンテージなしの5回戦制)で第2戦から第4戦までノーヒットでブレーキになってました。ちなみに松中さんはその年、平成唯一の三冠王でした。