ベストアンサー
なんか根本的なところで思い違いをされているというか、一番最初のボタンをかけ間違えているせいで結論に至るまでが微妙にずれているように見えます 「悪法も法」というのは、「法律は皆で話し合って決めたことなのだから、悪法であってもそれを正すためには法律に則った手続きをする必要があり、それなしに『悪法だから守らなくても良い』と自分勝手に判断するのは民主主義の原則に反する」という考えかたです。法治主義といいます。「法律はお上が決めたことなので従わないといけない」という考え方とは真っ向から対立するものです。 「法律はお上が勝手に決めたものだ」という考え方は、多くの場合「だから守らなくても罰せられない状況では守る必要などない」という考え方に繋がり、また自分自身が「お上」に相当する立場になれば、それは「自分が勝手に決められるものなのだから、守るも守らないも自由な立場である」という考え方に繋がります。人治主義が陥りがちな罠です。 法治主義、法の支配ともいいますが、偉い人も庶民もみな法の下には平等であり、同じように法律を守る義務があり、守らない者は偉い人でも庶民でも同じように罰せられるというのは、主にヨーロッパから入ってきた考え方で、少なくても現時点においては全世界においての共通ルールということになっています。 法律は「上の者」が「下の者」を支配するための道具に過ぎず、それをどうやって作りどうやって決めるかは全て「上の者」の気分次第、守るも守らないも気分次第というのは、現時点でも中華圏に色濃く残る考え方です。前者と後者の考え方の根本的な違いは、しばしば深刻な対立を招きます。 「個人の自由や権利を守るためなら銃器をだしてもOKだという雰囲気」というのは、つまり自分自身の生命財産などを守るために武器を所持して使用するという、人間だったら誰もが持っていてしかるべき当然の権利といえます。その権利を多くの庶民が所有し発揮することが認められている社会は、「権力者も庶民も法の下には平等である」という考え方が、少なくてもタテマエだけでも成り立っている社会といえます。 その一方で、庶民からその権利を没収し支配者が独占している社会は、「法は権力者が庶民を支配するためのものでしかない」という考え方が色濃く残っている社会といっていいでしょう。 この観点で見ると、日本ってのはかなり特異な国ってことになります。権力者は、まあそこそこ「好き放題」なことをしてるかもしれませんが、庶民がそれを批判したりすることは自由ですし、場合によっては告発して相応の罰を与えることもできます。それなりに「法の支配」が行き渡っている社会といっていいと思います。なのに、まるで独裁国家のように「庶民が自らの権利を守るために武器を所持して使用する」ことをほぼ全面的に禁止することに成功しているわけです。 一度戦争に負けて戦勝国に支配された後、平和裏に支配権を取り戻して「戦勝国による占領体制」をそのまま引き継いで統治を続けることに成功するという、かなり特殊な経緯があるからこそ成り立っている社会なのだと私は思います。
この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう
質問者からのお礼コメント
遅れてすみません!かなり難しいのでちょっとずつ理解しようと思います。ありがとうございました!
お礼日時:10/8 12:25