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幕末の時期は火器の進歩が著しい時期でしたので アームストロング砲も薩英戦争時点では最新最強の火器だったのですが あっという間に旧式化しています。 幕末の戊辰戦争時期になりますと最新最強の火器はクルップ社の 16センチ前装施条艦砲になります。 この砲は施条が6条、仰角4.5度で射程約4000mでした。 幕府海軍自慢の開陽丸に搭載されていたので有名です。 アームストロング砲が旧式化した理由は アームストロング砲が強度の高い鋼鉄の一体鋳造ではなく 砲身が脆い鋳鉄で作られその外側に錬鉄製のタガをはめた構造だったため 砲身強度が弱く高初速での発射が無理だったので 砲弾の貫通力と射程が不足したこと、また尾栓が弱かったため発射時に 砲身爆発の危険があったことなどです。命中率にも問題があったようです。 このため英国海軍はアームストロング砲を諦め前装式施条砲に戻しました。 この時期クルップは製鋼法を改良し鋼鉄で砲身を一体鋳造できる技術を 開発し大砲を鋳造したのですが、この砲は強度が高く アームストロング後装砲よりも貫通力射程ともに優れており 最新最強の火器となっています。 ちなみにクルップは後装式施条砲の製造にも手を伸ばし 戊辰戦争には間に合いませんでしたが紀州藩から 75mmの後装式施条野砲12門の発注を受けています。 この野砲弾はアームストロング式と似た形式の 鉛で砲弾を包んだジャケット式の弾を使いました。 この時の野砲は西南南戦争にも使われています。 命中率については私も当時の火砲について興味がありましたので 当時の火砲の命中率についてのデータを探してみましたが 見つけられませんでした。
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ちなみに開陽丸にはアームストロング砲は搭載されていません。 また甲鉄艦(のちに東艦と改名)に積まれていたアームストロング砲も 有名な後装式施条砲ではなく前装式滑腔砲と前装式施条砲でした。 ウィキペディアで開陽丸と東艦で検索してみてください。
その他の回答(3件)
薩英戦争で使用されたロケット弾ですね 英国艦に搭載された、当時最新のロケット弾で 市街地に撃ち込むには強力すぎる武器である ―――― と、後に英国本国でも問題視されていますし 兵装目録にも記録はありません 射程は不明ですが 英艦隊が窮地に陥り、逃走しながら使用したと考えられるので アームストロング砲と同様の3.2㎞前後 あるいはもっと長かったかも知れません ………… 命中率に関しては 市街地を焼き払うという目的を果たしていますので かなり良かったのではないかと想像します
こんはんは >幕末期の最強兵器はアームストロング砲ですか? はい、そのとおりです。 幕府の最新艦の「開陽」や新政府軍のアメリカからの購入艦の「甲鉄」にもアームストロング砲が搭載されていました。 最大射程距離は3.6㎞らしいです。 以前の大砲より命中精度は上がったとの記述はあるのですが、具体的な数値を書いたものは残っていません。 1分間に2~3発の弾が打てたようです。
AIからのお助け回答
はい、幕末期において、アームストロング砲は最強クラスの兵器の一つでした。1855年にイギリスのウィリアム・アームストロングによって開発されたこの後装式施条砲は、当時の日本に持ち込まれた最新鋭の火砲でした。 アームストロング砲の性能: ・射程:口径により異なりますが、一般的に4〜5km程度(大口径のものでは7〜8kmに達するものも) ・命中精度:従来の滑腔砲と比較して格段に高く、1kmの距離でも高い命中率を誇った ・特徴:後装式で装填が容易、施条(ライフリング)により弾道が安定し精度が向上 薩英戦争(1863年)では、イギリス艦隊がアームストロング砲を用いて鹿児島を砲撃し、その威力に日本側は衝撃を受けました。その後、幕府や各藩がこの砲を輸入するようになり、特に薩摩藩は積極的に導入しました。 当時の日本の伝統的な火砲と比較すると、射程・精度・破壊力のいずれにおいても圧倒的な性能差があり、まさに「最強兵器」と呼ぶにふさわしいものでした。
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